所属 | 鹿島アントラーズ |
---|---|
前所属先 | 湘南ベルマーレ |
背番号 | 6 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年06月04日(36歳) |
身長 / 体重 | 173cm / 72kg |
出身地 | 神奈川 |
所属 | 鹿島アントラーズ |
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前所属先 | 湘南ベルマーレ |
背番号 | 6 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年06月04日(36歳) |
身長 / 体重 | 173cm / 72kg |
出身地 | 神奈川 |
永木 亮太(ながき りょうた、1988年6月4日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー(右サイドバック)。Jリーグ・鹿島アントラーズ所属。元日本代表。
来歴
プロ入り前
中学・高校の6年間は川崎フロンターレの下部組織に在籍していたが、ユースからトップに昇格することができず、中央大学へ進学。
大学4年時の2010年7月、湘南ベルマーレに特別指定選手として登録され、リーグ戦11試合に出場した。特別指定選手の11出場はJ1歴代最多である(J2・J3まで含めると地主園秀美らの16出場)。
湘南ベルマーレ
2011年に湘南に正式加入すると、ハン・グギョンと共にボランチのポジションを担い、大卒1年目にしてリーグ戦36試合に出場した。
2012年も、リーグ戦では累積警告による出場停止1試合を除き、チーム最多の41試合に出場。チームのJ1昇格に貢献した。シーズン終盤には、ゲームキャプテンを務めていた遠藤航の不在や、監督である曺貴裁から「チームに徹するプレーや責任感が増してきた」と言われたこともあり、ゲームキャプテンを任されることもあった。
2013年より正式にチームのキャプテンに就任。出場停止1試合を除くリーグ戦全33試合に先発出場し、チーム最多タイの4ゴールを挙げるも、チームはJ2降格となった。オフシーズンにセレッソ大阪を始め、J1チームからの獲得オファーがあったものの、「とにかくこのチームを上げたいという気持ちが強かった」という本人の意思もあり、残留が正式発表された。
2014年は、左足の肉離れで約2ヶ月間離脱したが、その期間以外の公式戦31試合に出場。J2リーグ史上最速 となる9試合を残してのJ1昇格に貢献した。同年オフにもJ1クラブからオファーが届いたが、残留を表明した。
鹿島アントラーズ
2015年12月28日、鹿島アントラーズへ完全移籍することが発表された。2016年5月18日のナビスコカップGS第5節の古巣・湘南戦で移籍後初得点を挙げた。その後も中盤のレギュラーとして、1年目で鹿島の2冠達成に貢献した。
2017年、2018年はレオ・シルバの加入や、三竿健斗がレギュラーに定着したこともあり、出場時間が限られた。
2019年、怪我人が多いチーム事情もあり、右サイドバックとして多く出場し攻守に高いパフォーマンスをみせている。
日本代表
2015年末、日本代表候補合宿に初選出。2016年3月7日にも招集されていたMF米本拓司が負傷で離脱したため、日本代表候補合宿に追加招集された。同年9月29日、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選に向けた日本代表に招集された。11月11日のキリンチャレンジカップ2016・オマーン戦でA代表デビューを果たした。
プレースタイル
最終ラインから前線まで激しく動き回る、運動量の多さが特長。動きの中でボールに絡みながら、正確なパスやクロスでチームのリズムを作る。チームメイトへの冷静な声の指示も的確で、チームを統率。2014年にJ2リーグ月間MVP (3月度)に選出された際はチーム内でラストパス数1位タイ(7本)、パス数1位(272本)、パス成功率1位(76.8%)とパスの配給役としての活躍だけでなく、こぼれ球奪取率も1位(24 回)、タックル数2位(15回)という数値からも攻守の貢献度の高さが証明されている。特にボール奪取能力には非常に優れ、J1でプレーした2015年もリーグ3位の高い数値を示している。コーナーキックやフリーキックのキッカーも務め、縦に弧を描く力強い弾道のフリーキックを得意とし、2015年はゴール30m弱の長距離から直接2得点を決めている。
エピソード
湘南でチームメイトであった高山薫とは、川崎フロンターレのジュニアユース時代からの仲である。また、大学時代の同期に佐藤謙介、1学年下に林容平らがいる。
湘南でキャプテンを任されるまでキャプテンの経験は1度も無かったが、監督の曺貴裁から直々に打診された際、嬉しさのあまりその場で快諾したという。引用元:wikipedia
2021年2月3日