カルロ・アンチェロッティ

所属
背番号
ポジション 監督
生年月日 1959年06月10日(65歳)
身長 / 体重 179cm / 74kg
国籍 イタリア

カルロ・アンチェロッティの情報

カルロ・アンチェロッティ(Carlo Ancelotti, 1959年6月10日 - )はイタリア、レッジョ・エミリア県レッジョーロ出身の元サッカー選手、現在はサッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ハードなプレースタイルからタイガーとあだ名がついた。

選手経歴

下部リーグの弱小クラブであったパルマACでキャリアをスタートする。1979年にASローマに移籍し、9月23日、第2節のペスカーラ戦でセリエA初ゴールを決めた。1982-83シーズンにスクデットを獲得。1983-84シーズン、12月4日のユヴェントス戦で試合途中に負傷し長期離脱、チームはチャンピオンズカップで決勝に進出したが、怪我の影響で決勝のリヴァプール戦は欠場した。この後は主将も務めた。ローマでは227試合17ゴールの成績を残し、2014年にはチームの殿堂入りを果たしている。

1987-88シーズン、ローマは放出を渋ったことから、移籍期限終了間際に、当時としては大金であった移籍金約5億円でACミランに移籍、同シーズンには自身2度目のセリエA優勝を果たした。1988-89シーズン、UEFAチャンピオンズカップ準決勝のレアル・マドリード戦2ndレグではミドルシュートで先制点を挙げ、チームを5-0の勝利に導き、決勝でもスタメンで出場して優勝、同年のトヨタカップでも優勝した。1989-90シーズンのUEFAチャンピオンズカップでもレギュラーとして活躍、ミランの同大会2連覇に貢献した。1991-92シーズン、ベンチスタートになることも多くなり、リーグ優勝を置き土産に現役を引退、ホーム最終節のヴェローナ戦で2得点を記録した。

イタリア代表としては1986年、メキシコワールドカップでは代表入りしたが出場は無かった。1988年、ユーロドイツ大会に出場、1990年、イタリアワールドカップでは主に控えであったが、3位決定戦ではスタメンで出場を果たしている。

監督経歴

パルマFC

セリエBのACレッジャーナ1919で指導者としてのキャリアをスタートさせ、1シーズンでセリエA昇格を果たす。このシーズン限りで退任し、現役時代キャリアをスタートさせたパルマFCの指揮を執る。パルマはビッグクラブに変貌しており、各国の代表選手を纏め上げて1997年には強豪のインテル、SSラツィオなどを抑えユヴェントスFCに次ぐ2位に導いた。

ユヴェントスFC

成績不振で解任されたマルチェロ・リッピの後を受け、1998年のシーズン途中にユヴェントスFCの監督に就任。1999-2000シーズンはチームを見事に立て直し、最終節のACペルージャ戦に勝てば優勝できたのだが、ここでまさかの敗北を喫して2位に終わる。2000-01シーズンも最終節でASローマに逃げ切られ2位。これでパルマFC時代と合わせ3回目の2位となりシルバーコレクターと揶揄される。ヨーロッパカップ戦においても結果を残せなかった為、このシーズン限りで解任された。

ACミラン

フリーの身となっていた2001-02シーズン途中、成績不振の古巣ACミランの監督に就任。2002-03シーズン、2006-07シーズンにはミランでUEFAチャンピオンズリーグ制覇を果たした。これにより選手、監督両方でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した4人目の人物となった。なお、ACミランと契約する直前までパルマの監督就任が濃厚と報じられていたが、パルマと契約交渉する日の午前中にACミランとの契約に合意し、ACミランの監督に就任したという逸話がある(パルマとはその日の午後に交渉予定であった)。ACミランでは8年にわたり監督を務める長期政権になった。8年間安定した成績を収めUEFAチャンピオンズリーグでも常に上位に進出した。

チェルシーFC

チェルシーのキャプテンであるジョン・テリーと優勝を喜ぶアンチェロッティ
2009年6月1日、イングランド・プレミアリーグのチェルシーの監督に就任した。就任後、初の公式戦となったFAコミュニティ・シールドで、プレミア王者のマンチェスター・ユナイテッドをPK戦の末に倒し、自身の指導者としてのキャリアではイタリア国外で初となるタイトルを獲得した。2009-10シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは因縁の相手インテルに敗れてベスト16に終わったが、リーグ戦では2度目の得点王に輝いたドログバが29ゴール、ミッドフィールダーのランパードが22ゴールを挙げたのを筆頭に当時プレミアリーグ史上最多の103ゴールに物を言わせた圧倒的な得点力を武器に最終節まで優勝争いが縺れた末に4シーズンぶりの優勝をもたらし、連覇を目指したFAカップも優勝。監督に就任して最初のシーズンで二冠を手にした。

しかし翌2010-11シーズンはケガ人が続出してシーズン半ばにチームが不振に陥った。冬の移籍市場でフェルナンド・トーレスとダビド・ルイスを獲得し巻き返しをはかったが、ダビド・ルイスがチームにフィットした一方で5000万ユーロ(当時の為替レートで約70億円)という英国史上最高額の移籍金で加入したフェルナンド・トーレスを取り込む為の試行錯誤に手間取ったのが当時首位を走っていたマンチェスター・ユナイテッド追撃の足枷になり結局無冠、シーズン終了後に解任された。

パリ・サンジェルマンFC

2011年12月30日、ACミランで同僚だったレオナルドスポーツディレクターに誘われ、パリ・サンジェルマンFC監督に就任。契約は2年半。2年目の2012-13シーズン、総額180億円の巨費を投じてブラジル代表のチアゴ・シウバ、スウェーデン代表のイブラヒモビッチ、アルゼンチン代表のラベッシ等を獲得。リーグ最多の69得点とリーグ最少の23失点で19年ぶり3回目のリーグ優勝。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではチーム史上最高のベスト8に導いた。

レアル・マドリード

2013年6月25日、レアル・マドリードの監督就任が発表された。契約は3年間。2014年4月17日、コパ・デル・レイ決勝でFCバルセロナを破り、国王杯優勝を果たした。リーガではアトレティコ・マドリード、FCバルセロナとの混戦の末に優勝を逃したばかりか、2003-04シーズン以来10年ぶりの3位に沈んだ。チャンピオンズリーグでは準決勝で、対戦前の通算成績では7勝11敗と相性が良いとは言えず、敵地に至っては1引き分けした以外は全敗している前回王者で世界2連覇を狙ったバイエルン・ミュンヘンに2連勝。チームがバイエルンに2連勝したのもそうだが、バイエルンのホームで勝利した史上初の監督となった。初の同都市(マドリード)を本拠地とする対戦となったアトレティコ・マドリードとの決勝では延長戦の末4-1で下し優勝した。レアル・マドリードは記念すべき10度目の優勝、自身としては監督としてCL3度目の優勝となりボブ・ペイズリーと並び最多タイとなった。

2年目の14-15シーズン、前半戦はサッカー史上3番目の記録となる22連勝を果たすなど好調であったが後半戦に入ると失速した。また昨季CLで直接対決を制したアトレティコ・マドリードが最大の障壁となり、対決が実現した大会ではスーペルコパ・デ・エスパーニャ、連覇を目指した国王杯のタイトルをいずれも逃し、リーグ戦のアウェーゲームにおいては0-4の大敗を喫している。そして、ベスト8で激突したチャンピオンズリーグでは2ndレグで1-0で勝利して準決勝に進出し、8試合目にして雪辱を果たした。しかし、準決勝ではユヴェントスに合計スコア2-3で敗戦してベスト4で敗退し、史上初の連覇には失敗した。また、リーグ戦では審判への侮辱行為によって残り試合のベンチ入り禁止処分を受け、一足先にシーズンを終えることとなった。リーガ・エスパニョーラでも最終的に宿敵バルセロナに優勝を譲り、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップは制覇したものの主要タイトルでは無冠で終了、シーズン終了後に解任された。

FCバイエルン・ミュンヘン

2015年12月20日、2016-2017シーズンからFCバイエルン・ミュンヘンの指揮を取ることが発表された。2016-17シーズンはリーグ5連覇を果たしたものの、DFBポカールは準決勝でボルシア・ドルトムントに敗れベスト4、CLは準々決勝で王者レアル・マドリードに延長戦の末敗れベスト8に終わった。2017-18シーズンは、夏の移籍市場で自身が獲得を望んだハメス・ロドリゲスを獲得するなどしたが、第3節のホッフェンハイム戦で敗戦するなど不調が目立ち、CLグループステージ第2節のパリ・サンジェルマン戦において0-3で敗戦した直後の2017年9月28日、成績不振のため解任された。バイエルン会長のウリ・ヘーネスはアンチェロッティと一部の主力選手との間に確執があったと告白している。2017年12月、イタリア代表監督の候補として名前が挙がったが、本人は「代表監督就任は職業を変えることを意味する。クラブの監督を続けたい」との理由で拒否している。

SSCナポリ

2018年5月23日、SSCナポリと3年契約で監督に就任することが発表された。しかしチーム幹部らとの確執や成績不振によりシーズン途中に退任した。

エヴァートンFC

2019年12月21日、エヴァートンFCの監督に就任した。契約期間は2024年6月までとなる。

引用元:wikipedia

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