所属 | 浦和レッズ |
---|---|
前所属先 | 流通経済大 |
背番号 | 3 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年03月23日(36歳) |
身長 / 体重 | 172cm / 71kg |
出身地 | 埼玉 |
所属 | 浦和レッズ |
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前所属先 | 流通経済大 |
背番号 | 3 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年03月23日(36歳) |
身長 / 体重 | 172cm / 71kg |
出身地 | 埼玉 |
宇賀神 友弥(うがじん ともや、1988年3月23日 - )は、埼玉県戸田市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。Jリーグ・浦和レッズ所属。元日本代表。
来歴
プロ入り前
中学・高校年代ではジュニアユース・ユースと浦和レッズのアカデミーに所属し、同期には堤俊輔、西澤代志也、小池純輝らがいたが、トップ昇格を果たせず、流通経済大学に進学。 流通経済大学でも当初はRKU-19、20、21、22 (サテライトチーム)からのスタートでクラブ・ドラゴンズ (社会人チーム)流通経済大学FC(社会人チーム) を経てトップチーム (学生リーグ用) に昇格した。
2009年シーズン途中に流通経済大学に在籍しながら、特別指定選手として浦和にトップチーム登録された。
浦和レッズ
アビスパ福岡からのオファーもあったが、2009年10月21日、2010年シーズンより正式に浦和に加入する事が発表された。ユース→大学→トップチームという経歴の選手は、浦和では宇賀神が初となる。
2010年、キャンプや練習試合で左サイドバックとして質の高いプレーを披露し、2月20日に行われたプレシーズンマッチ、対徳島ヴォルティス戦では柏木陽介、ロブソン・ポンテが欠場したことにより左サイドハーフとして先発出場した。この試合では序盤から積極的なプレーで攻撃陣を牽引し、後半には鋭い突破から精度の高いクロスを上げエスクデロ・セルヒオのゴールをアシストした。そして3月6日、J1第1節、対鹿島アントラーズ戦で左サイドバックとして先発出場。これがプロでの公式戦デビューとなった。その後はサヌと左サイドバックのポジションを争う中でJ1第15節の対京都サンガ戦で途中出場し、J1初得点を記録。J1第18節、対名古屋グランパス戦では一時は同点となる鮮やかなミドルシュートを決めるなど、守備的なポジションでありながらも左サイドの攻撃の起点として活躍。終盤は故障での離脱を繰り返すこともあったが、最終的に公式戦32試合に出場し、3得点を記録した。
2011年は背番号を3番に変更し、開幕当初は左サイドバックのレギュラーとして定着していたが、不安定なプレーに終始しJ1第15節、対サンフレッチェ広島戦から平川忠亮にポジションを奪われてしまった。その後も故障や体調不良に悩まされ、前年から大きく出場機会を減らすこととなった。
2012年は、ベンチスタートが多いものの途中出場ではコンスタントに出場。また、左ウィングバックの梅崎司が2シャドーに入る試合は左ウイングバックでスタメン出場している。
2015年からは橋本和の加入で右ウイングバックにコンバートを予想されたが、橋本とのポジション争いに競り勝ちスタメン出場してるが、右ウイングバックでも出場した。この年はJ1最多タイの9回の警告を受けた。
2016年は左ウイングバックでスタメン出場を続け、日本代表サポートメンバーに選出された。Jリーグ2ndステージ9節で槙野智章が怪我を負い遠藤航が槙野の代わりにサッカー日本代表に選出されたためJリーグカップ準々決勝ヴィッセル神戸は自身初の左センターバックで出場した。また準決勝第2戦FC東京戦も左センターバックで出場した。阿部勇樹が肋骨を骨折し出場を回避したためキャプテンマークを巻いた。
2018年12月9日、天皇杯決勝のベガルタ仙台戦では、決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。
日本代表
2017年5月25日、日本代表に初選出された。2018年3月23日、酒井宏樹の代役として国際親善試合・マリ戦で右サイドバックとして先発出場し日本代表デビューを果たした。しかし、前半終了間際にPKを与えてしまい、前半の出場のみで交代した。
人物・エピソード
金久保順、船山貴之、石川大徳、林彰洋は大学の同期。また1年後輩に浦和でチームメイトになる武藤雄樹がいた。
トップチームに昇格出来なかった悔しさから、流通経済大学在学中は「違うチームで埼スタに乗り込んで、レッズを倒したい」と思っていたという。また、浦和への練習参加の話もユース時代の同僚に「成長していないと思われるのが嫌だ」と当初は拒否の姿勢を示していた中での参加だったが、そこでフォルカー・フィンケ監督に見初められ、特別指定選手として加入する事になった。
浦和との契約を決断したのは、2009年天皇杯でのガンバ大阪戦。本人曰く「通用しなかったらJ2から始めようと思っていた」が、得意とするプレーがある程度通用したため、J1の浦和との契約に踏み切った。また、流通経済大学の先輩にあたる宮崎智彦に「(オファーを受けたクラブの中で最も競争が厳しい)鹿島を選んだことに後悔していない」とアドバイスされたことも影響したと語っている。
プロ入り後は、ユース時代の同期である西澤をライバルとして強く意識していると語っていた。その西澤は2010年途中、ザスパ草津へ期限付き移籍し、2011年に栃木SCへ完全移籍したが、その年の2月27日に行われたプレシーズンマッチ、栃木SC対浦和レッズ戦で西澤は右サイドバックで、宇賀神は左サイドバックで先発出場し、対面サイドでのマッチアップが実現した。
2018年7月30日、地元埼玉県戸田市にサッカースクール「エスフォルソ」ならびにフットサルコートをオープンした。引用元:wikipedia
2021年2月3日