所属 | 鹿島アントラーズ |
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前所属先 | - |
背番号 | - |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1969年05月18日(55歳) |
身長 / 体重 | |
出身地 | ブラジル |
所属 | 鹿島アントラーズ |
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前所属先 | - |
背番号 | - |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1969年05月18日(55歳) |
身長 / 体重 | |
出身地 | ブラジル |
アントニオ・カルロス・ザーゴ(Antônio Carlos Zago, 1969年5月18日 - )は、ブラジル・サンパウロ州プレジデンチ・プルデンチ出身の元サッカー選手、同指導者。元ブラジル代表。現:J1リーグ・鹿島アントラーズ監督。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。
通称アントニオ・カルロス (Antônio Carlos) 。日本での選手時代の登録名はアントニオ、ヨーロッパでの登録名ならびに日本での監督時代の登録名はザーゴ (A.C. Zago / Antonio Carlos ZAGO) 。
選手経歴
1990年、サンパウロFCでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートする。そこで3年を過ごしたのちに、スペインのアルバセテ・ブロンピエに移籍するも、1年でブラジルに戻り、サンパウロFCのライバルクラブであるSEパルメイラスで3年間プレーする。1996年には再び海を渡り、日本の柏レイソルに移籍。しかし、1年で母国に戻り、コリンチャンスの選手となる。
1998年1月にはイタリアのASローマに移籍し、2月11日のレッチェ戦でセリエAのデビューを果たす。ローマでは同胞のアウダイールらと共にDFラインの主力としてチームを支え、特に2000-01シーズンには主にワルテル・サムエル及びジョナタン・ゼビナと3バックを組み、左CBとしてチームの18年ぶりのスクデット獲得に貢献した。
2002年、5年間を過ごしたローマを退団。その後トルコのベシクタシュJK、母国のサントスFC、ECジュヴェントゥージを経て、2007年にサントスで現役を引退した。
代表
1991年10月30日のユーゴスラビア戦で代表デビューを果たすと、1993年まで継続して招集される。その後は声がかからない時期が続くも、ASローマでの活躍を受けて1998年から2003年まで再び代表の一員としてプレー。コパ・アメリカ1999のメンバーにも選出され、優勝を経験した。
指導者経歴
母国のコリンチャンスでテクニカルディレクターを経験した後、2009年6月にADサンカエターノの監督に就任。アウェーで古巣パルメイラスに歴史的勝利を飾るなど、監督業として好スタートを切った。2010年2月にはそのパルメイラスの指揮官になるも、成績は振るわず、3カ月で辞任した。
その後いくつかのクラブを転々としたのち、2013年1月に再びイタリアに渡りASローマのアシスタントコーチとなる。同年10月からはウクライナのFCシャフタール・ドネツクでミルチェア・ルチェスク監督のもと、アシスタントコーチを務めた。
2015年にはブラジルに戻り、監督業を再開。ECジュヴェントゥージを率いたのち、クラブ初の降格が決まったSCインテルナシオナウの指揮官に2016年12月12日に就任した。しかし、2017年5月28日に指揮官の座を下ろされた。同年8月20日にはセリエCのフォルタレーザECの新たな指揮官に就任すると、セリエB昇格を果たした。フォルタレーザの指揮官を務めている同年10月26日に、フォルタレーザとの契約終了後には再びジュヴェントゥージを率いることが発表された。
2018年、オーストリアの大手企業「レッドブル・グループ」が経営するレッドブル・ブラジルの監督に就任。翌2019年に、当時セリエBにいたCAブラガンチーノ(現:レッドブル・ブラガンチーノ)と合弁し同チームの監督に異動。そして同リーグで優勝を果たし、セリエA昇格に導いた。シーズン後、契約は延長せず辞任。
2020年1月2日、J1リーグの鹿島アントラーズの監督に就任した。引用元:wikipedia
2021年2月3日