所属 | セレッソ大阪 |
---|---|
前所属先 | サガン鳥栖 |
背番号 | 4 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1993年08月18日(31歳) |
身長 / 体重 | 175cm / 72kg |
出身地 | 山口 |
所属 | セレッソ大阪 |
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前所属先 | サガン鳥栖 |
背番号 | 4 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1993年08月18日(31歳) |
身長 / 体重 | 175cm / 72kg |
出身地 | 山口 |
原川 力(はらかわ りき、1993年8月18日 - )は、山口県山口市出身のサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。
来歴
プロ入り前
ジュニアユースチームのレオーネ山口(現・レノファ山口FCアカデミー)でサッカーを始めた。鴻南中学校のサッカー部に所属していた久保裕也は、チームこそ違うものの同中学の同級生で、中学校の校庭や学校の隣にある維新百年記念公園で朝練をしていた間柄であった。中学3年時の2008年には高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会に初出場、中心選手としてベスト4進出を果たす。また、同年のチャレンジ! おおいた国体サッカー少年男子競技にも久保と共に山口県代表として出場した。2009年、鴻南中を卒業後、同級生の久保と共に京都サンガF.C.U-18に入団。
京都サンガ
2011年シーズンに京都サンガF.C.に2種登録され、トップチームに帯同。2012年より、トップチームへ昇格。7月22日、J2第25節の愛媛FC戦で後半33分から出場し、プロデビューを果たす。2014年1月、出場機会を得るために愛媛FCへ期限付き移籍。この年32試合に出場しプロ初得点も挙げた。2014年12月、京都への復帰が発表され、2015年シーズンはJ2リーグ戦・天皇杯合わせて32試合に出場した。
川崎フロンターレ
2015年12月24日、川崎フロンターレに完全移籍することが発表された。2016年活躍に期待されたが、大島僚太、エドゥアルド・ネットの壁が崩せず、スタメンには定着できなかった。風間八宏監督の戦術理解に苦しみSB等で自分のプレーを見つめ直したり努力はしたが、シーズン通しての出場は少なかった。
サガン鳥栖
2017年1月4日、サガン鳥栖に期限付き移籍で加入することが発表された。2月25日、柏レイソルとの開幕戦でフリーキックから移籍後初得点を決め、3月11日に行われた第3節のサンフレッチェ広島戦でもホームで2戦連続となるフリーキックを決めた。12月9日、期限付きから完全移籍でサガン鳥栖に加入することが発表された。
セレッソ大阪
2020年12月27日、セレッソ大阪に完全移籍で加入した。
日本代表
2014年1月、オマーンで開催されたAFC U-22アジアカップ2013に出場するU-21日本代表に追加招集され3試合に出場。初陣となったイラン戦では、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場を目指す手倉森誠ジャパンの第1号ゴールを決めた。
2016年、リオデジャネイロオリンピック出場権が懸かったAFC U-23選手権2016(カタール)に臨むU-23サッカー日本代表メンバーに招集される。大会準決勝となったU-23サッカーイラク代表戦では、1-1の同点で迎えた後半アディショナルタイムで、南野拓実のクロスをパンチングでイラクのゴールキーパー:ファハド・タリブ・ラヒムが弾き返したボールをペナルティエリア外で拾い、左足でミドルシュートを放ってゴールに突き刺して得点を挙げた。これが日本にとって6大会連続となるオリンピック出場を決める決勝点となった。
2016年7月、リオデジャネイロオリンピックの代表登録メンバーに選出された。初戦のナイジェリア戦にスタメンで出場するも、残り2試合は出場せずにチームはグループリーグ敗退となった。
人物
田中陽子(ノジマステラ神奈川相模原、2012 FIFA U-20女子ワールドカップ日本代表)も、学校こそ異なるものの小学2年から6年までレオーネで共にプレーした幼馴染である。
2014年3月18日、一般女性と結婚した。同年8月に第一子となる長女が、2017年5月には第二子となる長男が誕生した。引用元:wikipedia
2021年2月3日