ハキム・ジエク

所属
背番号 22
ポジション MF
生年月日 1993年03月19日(31歳)
身長 / 体重 181cm / 65kg
国籍 モロッコ

ハキム・ジエクの情報

ハキム・ツィエク(Hakim Ziyech, オランダ語発音: [zijɛʃ]; アラビア語: حكيم زياش‎, 1993年3月19日 - )は、オランダ・ドロンテン出身のサッカー選手。プレミアリーグ・チェルシーFC所属。モロッコ代表。ポジションはミッドフィールダー。

オランダ語でchは地域によって発音が様々なことと、モロッコ系の名前の発音はオランダで様々な発音で読まれることで、Ziyechの発音の仕方は統一が取られておらず、そのためカナ表記は“ハキム・ジイェフ”とされることも多く、様々な表記がある。2017年、所属するアヤックス・アムステルダムのインタビューにて、『本来の名字の綴りはZiyach、発音は「Ziyesj」(ジイェシュと発音する)』であると明言した。2018 FIFAワールドカップでは本来のHakim Ziyachの名前で登録した。

経歴

ヘーレンフェーン
ASVドロンテンでサッカーを始め、2004年にヘーレンフェーン/エメンのフットボール・アカデミーに移った。

2012年8月2日、UEFAヨーロッパリーグの予選3回戦、FCラピド・ブカレストとのホームゲームでトップチームにデビュー。同年8月12日にはエールディヴィジデビューも果たした。

2013-14シーズンのプレシーズンでスタメンに定着し、クラブトップスコアラーのアルフレズ・フィンボガソンに鋭いスルーパスを連発したことで、すぐに注目を集めた。2013年11月8日のRKCヴァールヴァイクとのホームゲームでは好調なプレーを見せてチームを5-2の勝利に導き、フットボール・インターナショナル紙の週間最優秀選手に選出された。「フットボールファンなら誰もがスタジアムに観に行きたがる、黄金の左足を持つクラシカルな10番」と讃えられた。

トゥウェンテ
2014年8月、フェイエノールトのオファーを断り、10番のポジションでスタメンを確約されたFCトゥウェンテへ移籍した。シーズン当初はフォームを崩していたが次第に調子を上げ、シーズン後半は低調なチームを一人牽引して13得点とリーグ最多の16アシストを記録した。2015-16シーズンの開幕前には、チームのキャプテンに任命された。

その後、2015年は低迷にあえぐトゥエンテにあって、ただ一人、違いを作れる選手として、リーグ戦34試合で17得点と17アシストを記録し、この1年でエールディヴィジで最も得点に絡んだ選手となり、トゥエンテの全得点43点のうちの実に8割以上に絡んだ。しかし、2016年1月1日に出されたデ・フォルクスクラント紙のインタビューでは、クラブの運営陣を批判、1月4日にテクニカル・ディレクターのテッド・ファン・レーウヴェンによってキャプテンマークを剥奪された。4月3日のヴィレムII戦では、前半終わって0-2のビハインドから、直接FKからの2点とシュートのリバウンドからのゴールで3-2の逆転勝利をもたらし、フットボール・インターナショナルやアルメーヘン・ダッハブラッドなどで週間最優秀選手に選ばれた。また、評論家のフーゴ・ボルストには「(クライフの死後初のリーグ戦で)試合前の黙祷と14分目の拍手以上に、痩せた体格のツィエクがクライフを思い出させてくれた」と称賛された。

移籍が確実視されていた2016年夏の移籍市場だったが、FCトゥエンテに運営上の不正から降格処分の可能性があったこと、同じくトゥエンテの財政状況から各クラブが値下げを待ったことで、トゥエンテの要求額1500万ユーロに近い真剣なオファーが届かず、ツィエクはエールディヴィジ第4節までトゥエンテでプレーし、8月27日のスパルタ・ロッテルダム戦でも2ゴールでチームを勝利に導き、最後まで価値を示してフットボール・インターナショナルとアルメーヘン・ダッハブラッドで週間最優秀選手に選ばれた。最終的にFCトゥエンテでエールディヴィジ68試合30得点27アシスト、計57ゴールに絡む成績を残した。

アヤックス
2016年8月30日、過去数年間ツィエクに具体的関心を示してこなかったアヤックスがシーズン序盤の成績不振により急遽獲得に動いて二日間の交渉の末に獲得した。移籍金は推定1100万ユーロ+ボーナスで、オランダ国内ではミラレム・スレイマニ(1630万ユーロ)に続く歴代最高額移籍になった。その内40%がヘーレンフェーンとツィエク側に配分された。

2017-18シーズンは、「エールディヴィジのベストプレイヤー」との評価を受ける一方で、低調な試合も多く、常にリスクを冒すプレーという理由以外にもシンプルなプレーでもボールロストを繰り返す試合が続いたことでアムステルダム・アレナで毎試合のようにブーイングを浴びた。シーズン終盤の4月に、アヤックス・サポーターを「彼らは自分たちを知るべき。同じプレーでも良い結果になった時だけ賞賛するのは偽善的行為だと思う」と批判した。チームがPSVの優勝決定戦に3-0で敗れた4月15日、アレナで帰ってくる選手バスを待ち構えていたサポーターたちの複数からツィエクが体を叩かれる事態となり、ツィエクは自身のSNSでアヤックス関係の投稿を全て削除。3日後のアレナでのVVV戦ではツィエクがボールを持つ度に拍手とブーイングが起きた。

低調なプレーで2018 FIFAワールドカップを終えたツィエクはオファーが届かなかったことでそのままアヤックスに戻り、UEFAチャンピオンズリーグ予選にも出場した。しかし、8月2日にアヤックスが新加入のタディッチとの契約交渉で背番号10を与える約束をしていたことを理由にツィエクの背番号を同意無しに取り上げ、22に変更した。ツィエクはこの夏の移籍市場でアヤックスを去るつもりで、個人ではASローマと合意していたが、アヤックスと合意できるオファーを提示したクラブが無くそのまま残留が決まった。

2018-19シーズンはチーム個人共に大躍進の年となった。特にUEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント1回戦レアル・マドリード戦で2試合連続ゴールを決める活躍で、チームをベスト4に導いた。

チェルシー
2020年2月13日、2020-21シーズンよりチェルシーFCに移籍することが決定。 2020年9月10日、クリスチャン・プリシッチが背番号を22番から10番に変更したのに伴い、チェルシーでもアヤックス時代と同じ22番を着用することになった。

代表

2015年6月、オランダ代表監督のフース・ヒディンクがラトビアとのEURO予選とそれに先立つトレーニング期間にツィエクを招集しようとしたものの、怪我によりこれを辞退した。

2015年9月、モロッコ代表を選ぶことを決断し、10月9日のコートジボワール戦で代表デビューを果たしている(U-21オランダ代表でUEFA U-21欧州選手権予選に出場していたため、以後の変更はできない)。当初、オランダ代表を選ぶと語っていたツィエクが翻意した理由として、本人は後に「19歳以下の代表でもヨング・オランイェでもほとんど試合に出られなかった。それに、ダニー・ブリントが代表監督になって初めてのA代表のセレクションからも外された失望は大きかった」と、ザイストからの信頼が感じられなかったことを挙げている。

2017年1月のアフリカネイションズカップに向けてツィエクはプレースタイルとキャラクターを理由にモロッコの代表監督エルヴェ・ルナールの構想に入らず、本大会を前に怪我人が重なっても招集されることは無かった。戦術面と精神面の問題の他、ハリド・シヌーはフランス系モロッコ人とオランダ系モロッコ人の政治的対立背景の影響も指摘している。

2018 FIFAワールドカップに出場するモロッコ代表に選出された。グループリーグの全3試合に先発出場したが、チームはグループリーグで敗退した。

引用元:wikipedia

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