乾貴士

所属
背番号 14
ポジション FW
生年月日 1988年06月02日(36歳)
身長 / 体重 169cm / 59kg
国籍 日本
出身地 滋賀県

乾貴士の情報

乾 貴士(いぬい たかし、1988年6月2日 - )は、滋賀県近江八幡市出身の日本のプロサッカー選手。ポジションはMF、FW。プリメーラ・ディビシオン・SDエイバル所属。日本代表。

来歴

プロ入り前
小中学生時代に地元滋賀県のセゾンフットボールクラブに所属していた。2004年、滋賀県立野洲高等学校に進学。2年生で左ウイングのレギュラーをつかみ、一学年上の楠神順平、青木孝太や同級生の田中雄大らとともに、2005年度の第84回全国高等学校サッカー選手権大会に出場、大会優勝を経験した。チーム全体で高い技術力を誇ったことより、セクシーフットボールと呼ばれ、その中心を担った。連覇を目指した選手権大会では、直前にスパイクを盗まれる事件に巻き込まれながらも 2得点を挙げた。しかし、チームは3回戦敗退を喫した。

横浜F・マリノス
2007年に横浜F・マリノスへ入団。J1第2節・対横浜FC戦でプロデビューを果たしたものの、以降は横浜FMの厚い選手層に阻まれ、なかなか出場機会を得られなかった。

セレッソ大阪
2008年6月からセレッソ大阪へ期限付き移籍し、香川真司と息の合ったプレーを披露。チームはJ1昇格はならなかったが、シーズン終了後に活躍を認められセレッソ大阪に完全移籍。2009年5月23日のJ2第17節アビスパ福岡戦や、同年11月8日のザスパ草津戦で、1試合4得点(ハットトリック)を決め、チームの4年ぶりのJ1昇格に貢献した。

VfLボーフム
2011年8月1日、ドイツ2部のVfLボーフムに完全移籍。11年8月から14年6月末までの3年契約で、ボーフム側に1年の延長オプション付き。8月12日のFCザンクトパウリ戦にトップ下で先発出場。以後レギュラーに定着し、リーグ戦30試合に出場し、チームトップの7得点を記録するもチームは低迷し、1部昇格を逃した。

フランクフルト
2012年6月25日、ドイツ1部に1年ぶりに昇格するアイントラハト・フランクフルトへの完全移籍の合意が、両チームから公式発表された。9月16日、ホームのハンブルガーSV戦でブンデスリーガ初ゴールを決めた。その後2試合でもゴールを決め、3試合連続ゴールを達成した。最終的に2012-13シーズンのブンデスリーガ所属の日本人選手最多となる6ゴールを挙げる活躍を見せ、チームのUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得に貢献した。

2013-14シーズンは、序盤こそ出場機会があったが、徐々に出番が減り第28節以降は出場機会がなく、最終的にリーグ戦では無得点に終わった。

2014-15シーズンは、リーグ戦の得点は1点に留まったが、シーズン通して出場機会は確保した。

SDエイバル
2015年8月27日、リーガ・エスパニョーラのSDエイバルへ完全移籍。乾の念願だったというスペインでのプレーが実現することになった。 2015年9月23日、リーガ・エスパニョーラ第5節レバンテUD戦において、トップ下スタメンでリーガデビュー。2016年1月10日、リーガ・エスパニョーラ第19節のRCDエスパニョール戦でリーグ戦初得点。

2016-2017シーズンでは、2016年11月26日に行われた第13節のレアル・ベティス戦で今季初アシストを記録した。2017年1月8日、リーグ戦のアトレティコ・マドリード戦ではキレのあるプレーを見せて存在感を発揮するも敗戦した。1月22日、第19節のFCバルセロナ戦では11試合連続でスタメン出場を果たし、大久保嘉人の記録を塗り替えるリーガ・エスパニョーラにおける日本人最多出場記録を更新した。4月1日、ビジャレアルCF戦で今季初得点を決めた。5月21日、最終節のFCバルセロナ戦では2得点の活躍をし、日本人として初めてバルセロナから得点を奪った。このバルセロナ戦での活躍は日本でも大きく報じられ、日本代表の岡崎慎司からは「サッカー小僧が伝説残した」と語られた。

2017-18シーズンでは、12月16日に行われた第16節のバレンシアCF戦で今季初得点を決めた。 続く第17節のジローナFC戦では、今季リーガ最速41秒での先制点とリーガエスパニョーラ通算70000ゴール目となる追加点を決めた。これらの活躍が評価され、12月の月間MVPの候補にFCバルセロナのルイス・スアレス、デポルティーボ・アラベスのイバイ・ゴメスと共に選ばれた。

レアル・ベティス
2018年6月1日、レアル・ベティスと2021年までの3年契約を締結したことが発表された。入団会見やプレシーズンマッチでは、ロシアW杯と同じ背番号「14」を付けていたが、乾より後に移籍してきたウィリアム・カルヴァーリョが背番号14を希望し、乾はカルヴァーリョに「14」を譲りエイバル時代と同じ背番号「8」を付ける事となった。8月17日、ラ・リーガ開幕節レバンテUD戦にて途中出場し、移籍後リーグ戦初出場となった。 その後は序盤こそ試合に出ていたものの、徐々に出場機会を失い定位置を確保できず、最終的にリーグ戦8試合の出場にとどまった。

アラベス
2019年1月24日、出場機会を求めてデポルティーボ・アラベスとシーズン終了までの期限付き移籍が発表された。背番号は「11」。2月23日、第25節のセルタ・デ・ビーゴ戦で日本人史上初となるリーガ・エスパニョーラ通算100試合を達成した。3月2日のビジャレアルCF戦で、移籍後初ゴールを決め、2-1での勝利に導いた。更に続く9日の古巣エイバル戦でもゴールを決めた。

SDエイバル復帰
2019年7月24日、約1年ぶりにエイバルへ復帰することが発表された。契約期間は3年。背番号は「22」。12月20日、第18節のグラナダCF戦で復帰後初得点を決めた。このシーズン、リーグ戦29試合に出場し2得点を記録。チームの一部残留に貢献した。

2020-21シーズン、背番号を「14」に変更。

日本代表

2006年、U-21日本代表に選出されて2試合に途中出場した。

2009年1月20日、アジアカップ・カタール大会の予選、イエメン戦で金崎夢生とともにA代表デビュー。

2014年11月14日、約1年ぶりの代表復帰となったキリンチャレンジカップ・ホンジュラス戦で代表初得点を決めた。

2017年5月25日、日本代表のメンバーに選出され、6月7日に行われたキリンチャレンジカップ2017シリア戦にて途中出場し、2年ぶりの代表戦復帰を果たした。その後も度々召集され、香川真司不在の際は10番を背負う事もあった。

その後代表から遠ざかり、2018 FIFAワールドカップへのメンバー入りは難しいと思われたが、大会直前に監督が西野朗に交代した影響により、滑り込みでメンバー入りを果たした。当初は宇佐美貴史の控えに構想されていたが、宇佐美が精彩を欠く中、サブメンバー中心で臨んだパラグアイとの調整試合で2得点し、本大会ではスタメンに起用される。グループリーグ第2戦のセネガル戦でワールドカップ自身初得点を決め決勝トーナメント進出に貢献。1回戦の ベルギー戦でもチーム2点目となるミドルシュートを決めたが、チームは逆転で敗れベスト16で大会を去った。

大会終了後には、FIFA公式による驚きの活躍を見せた5人に選出されたほか、イギリスの『テレグラフ』選出のロシアワールドカップで活躍した50選手にも日本人で唯一選出された。

2019年1月5日、練習中に負傷離脱となった中島翔哉に代わり、AFCアジアカップ2019の日本代表メンバーに追加召集され、背番号10を背負うこととなった。

人物・エピソード

日本代表では特に岡崎慎司と仲が良い。

仲が良く、同じ日本代表の大迫勇也からは特別な距離感があると語られている。

2011年5月24日、史上初めてACLで実現した大阪ダービーでセレッソ大阪に所属していた乾は先発出場。しかし、前半のみで交代を命じられ、ハーフタイム中に自身のプレイの不甲斐なさに対してシャワー室のガラスを叩き割って怒りを露わにしたという。後日、乾はレヴィー・クルピ監督のもとへ謝罪に出向き、1週間の謹慎処分を受けた。

阪神タイガースのファンである。

柴崎岳がスペイン2部へ移籍した際に批判したセルジオ越後と舌戦を繰り広げたことがあり、後に2018年7月20日放送の『ダウンタウンなう』に出演した際に松本人志から「セルジオ越後さんとかすごい辛口じゃないですか」と振られると、「めっちゃ嫌い」と即答し「あの人ダメなんですよね。なんなんすかね。いつか言いたいと思ってたんですよ」と述べた。

引用元:wikipedia

乾貴士の記事

記事はまだありません。

エイバルの他の選手

セルヒオ・アルバレス

エステバン・ブルゴス

ダミアン・カジョル

ホセ・ルイス・メンディリバル

キケ・ガルシア

エドゥ・エクスポジト

メンディアレン・ベラサテギ

パウロ・オリヴェイラ

パパクリ・ディオプ

レシオ

アナイツ・アリビラ

ロベルト・コレラ

同世代の同じポジションの選手

セルヒオ・アグエロ

フェリペ・カイセド

伊藤 翔

レオナルド・パヴォレティ

イブラヒマ・トラオレ

カミル・グロシツキー

アドリアン・ロペス

アンドレー・ガラビノフ

ルーカス・ペレス

ニルス・ペテルセン

長沢 駿

ジエゴ・コスタ

他の選手(ランダム表示)

ダレー・シンクグラベン

ムニル・メルジャン

カラム・ハドソン・オドイ

クリス・ウッズ

マルク・バルトラ

ダニ・エスクリチェ

キコ・カシージャ

ゴンサロ・グエデス

ロレンツォ・シモネッティ

パヴァオ・ペルヴァン

トマ・ムニエ

伊野波 雅彦

2021年1月31日

-エイバル
-