所属 | エイバル |
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背番号 | |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1961年03月14日(63歳) |
身長 / 体重 | |
国籍 | スペイン |
所属 | エイバル |
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背番号 | |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1961年03月14日(63歳) |
身長 / 体重 | |
国籍 | スペイン |
ホセ・ルイス・メンディリバル(José Luis Mendilibar Etxebarria, 1961年3月14日 - )は、スペイン・ビスカヤ県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。リーガ・エスパニョーラ・SDエイバル監督。
経歴
サッカー選手としての実績は平凡で、プリメーラ・ディビシオンの試合への出場経験はない。1994年に現役引退すると、1996年にはアスレティック・ビルバオのユースチームの監督に就任した。その後はUDランサローテやSDエイバルのトップチームの監督を歴任した。SDエイバルでは、クラブ史上最高位となるセグンダ・ディビシオン4位に導いた。2005年にはアスレティック・ビルバオの監督に就任した が、クラブ史上最悪ともいえる成績不振により、第10節終了後に解任された。
2006年にレアル・バリャドリードの監督に就任。2006-07シーズンのセグンダ・ディビシオンで優勝し、4シーズンぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。2007-08シーズンは15位だったが、徹底したサイド攻撃を基調とした攻撃的サッカーで強い印象を残した。しかし2009-10シーズンは開幕から20試合を指揮して18位と低迷し、2010年2月1日に解任された。結局、チームは19位で降格した。
2011年2月14日、ホセ・アントニオ・カマーチョの後任としてCAオサスナの監督に就任した。就任当初は降格圏内の18位と低迷していたが、着実に白星を重ねて最終節のビジャレアルCF戦に勝って9位に滑り込み、残留を果たした。 2013年9月3日、開幕から3連敗を喫したため解任された。
2014年5月29日、2年間の延長オプション付きの1年契約でレバンテUDの監督に就任した。しかし直近8試合で僅か1勝、そのうちホーム4試合は無得点14失点と成績不振に陥ったため10月20日に解任された。
2015年6月30日、ガイスカ・ガリターノの後任としてSDエイバルの監督に就任した。2015-16シーズンから加入した乾貴士には弱点であった守備戦術を叩き込んだ。 2016-17シーズンにはクラブ史上初めてコパ・デル・レイベスト8に進出し、さらに翌シーズンにはクラブ史上最高順位となるリーグ戦9位に導いた。
エピソード
集中して練習させるため、シュートをミスした選手に宙返りをさせることで知られる。このことについてウナイ・エスポーシトは「多分、彼のことを知らない人は、最初は変な人だと思うんじゃないかな」と表現した。引用元:wikipedia
2021年1月31日