豊田 陽平

所属
前所属先 蔚山現代FC/大韓民国
背番号 11
ポジション FW
生年月日 1985年04月11日(39歳)
身長 / 体重 185cm / 79kg
出身地 石川

豊田 陽平の情報

豊田 陽平(とよだ ようへい、1985年4月11日 - )は、石川県小松市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・サガン鳥栖所属。ポジションはフォワード(CF)。元日本代表。

マネジメントはエイベックス・マネジメント株式会社。

来歴

プロ入り前
中学時代までは積極的にサッカー選手を目指していたわけではなかったが、高校受験に失敗し、結果的に地元石川県の強豪校である星稜高校へ進学したことで、本格的にサッカー選手としての道を目指すことになる。在学中のスポーツ測定記録では、母校の星稜高校の先輩である松井秀喜の記録を複数項目で更新した。一学年後輩に本田圭佑や橋本晃司がいる。

名古屋グランパス
2004年に名古屋グランパスエイトに加入。2004年8月21日の磐田戦にてJリーグ初出場。2005年7月13日の鹿島戦で初得点を決めた。

モンテディオ山形
2007年、出場機会を得るため、モンテディオ山形へ期限付き移籍。7月1日、サテライトリーグの横浜FM戦で相手DFと接触して小腸破裂の大怪我。あと数センチ破裂箇所がずれていたら、命が危うかった可能性もあった。9月15日、J2第40節ザスパ草津戦にて相手の藤井大輔の顔面を蹴り、全治3週間の怪我を負わせた。これが、「選手等に対する著しい暴行・脅迫(乱闘、喧嘩等を含む)」に相当すると判定され、Jリーグから6試合の公式試合出場停止処分を受けた。

2008年は、4月に右脚の骨折に見舞われるが、北京オリンピック(後述)から帰国後は14試合に出場し9得点を挙げ、チームのJ1昇格に貢献(五輪後、豊田が得点を決めた試合は6勝2分の無敗)。

京都サンガF.C.
シーズン終了後、名古屋へは復帰せず京都サンガF.C.へ完全移籍。2009年の開幕戦では先発フル出場を果たし、第7節の磐田戦で移籍後初ゴールを挙げる。しかし、第15節以降はスタメン起用が無く、シーズン終盤にはベンチメンバーからも外され、この年は1得点に終わった。

サガン鳥栖
2010年、サガン鳥栖へレンタル移籍。鳥栖では主力選手として、リーグ戦13得点を挙げた。2011年も鳥栖へのレンタル移籍期間を延長して、23得点を挙げJ2得点王となり、鳥栖のクラブ史上初のJ1昇格に貢献した。J2得点王となったことで他クラブからも注目されるようになり、G大阪や清水からのオファー報道があったが、2012年より鳥栖に完全移籍し残留した。

2012年、クラブJ1初参戦となった鳥栖ではシーズン序盤こそ得点が伸び悩んだが、後半になるにつれて持ち前の得点力を発揮し、最終的に得点ランク2位の19得点を挙げ、自身初のJリーグベストイレブンに選出されるなどチームの5位に貢献した。シーズンオフには上海申花などからの高額オファーもあったが残留を決めた。

2013年3月30日のJ1第4節・対磐田戦(ヤマハスタジアム)で、自身Jリーグ2度目、J1では初のハットトリックを記録。3得点が全てヘディングによる達成で、これはJリーグでは長谷川祥之、高木琢也、中山雅史、呂比須ワグナーに次ぐ史上5人目、14年ぶりの記録となった。

2014年11月2日のJ1第31節・対ヴィッセル神戸戦(ベストアメニティスタジアム)で2ゴールを挙げ、このシーズン15ゴール目となり、J1で3年連続15ゴールを達成。日本人としては三浦知良、武田修宏、中山雅史に続く史上4人目の記録となった。

以後2016年まで毎年2桁得点を記録し、チームの大黒柱として鳥栖を支える。主将に就任して迎えた2017年、新加入のビクトル・イバルボや趙東建、ユース出身の田川亨介らの台頭もあり、途中出場となる試合も多く、鳥栖加入後最小の28試合出場・5ゴールに終わった。

蔚山現代FC
2018年、Kリーグ1(韓国)・蔚山現代FCへ期限付き移籍。鳥栖に残ることでほぼ固まっていたというが、日本でプレー経験のある金度勲監督からの熱心なオファーと、「町を歩いていて声を掛けられて、でも試合に出ていないのが納得いかなかった」という思いから移籍を決断したという。半年でリーグ9試合2得点1アシスト、ACL7試合無得点と結果は出ず、韓国のスポーツ・芸能総合サイト『ジョイニュース24』では「韓国の舞台にほとんど適応できなかった。豊富な運動量と献身的な動きは高く評価されたが、(FWとして)ゴールを量産できずに苦労した」と厳しい評価を示した。

サガン鳥栖復帰
2018年6月7日、クラブ間合意に基づき、蔚山現代FCへの期限付き移籍終了とサガン鳥栖への復帰が発表された。しかし、7月に加入した元スペイン代表のフェルナンド・トーレスや元日本代表の金崎夢生の加入もあり、8試合のみの出場でプロ入り1年目以来のリーグ戦無得点に終わった。

2019年5月11日に行われた第11節のガンバ大阪戦でPKを決めて、チームの勝利に貢献した。また、この得点は復帰後初ゴールであり、J1リーグ623日ぶりのゴールとなった。

日本代表(五輪代表含む)

2008年、北京オリンピックの日本代表に選出されグループステージ全3試合に出場。ナイジェリア戦では途中出場ながら大会を通してチーム唯一の得点を決めた。

2013年7月15日、アルベルト・ザッケローニ率いる東アジアカップ2013日本代表として初選出され、7月25日のオーストラリア戦で代表戦初出場を果たした。大会期間中得点は挙げられなかったものの、最終戦の韓国戦終了間際に自ゴールに吸い込まれる寸前のボールをヘディングではじき返すなど攻守で存在感を見せた。

以後、キリンチャレンジカップ(国際親善試合)2試合に出場し、W杯ブラジル大会日本代表の予備登録メンバーに選出されたが、本大会メンバーへの繰り上げは叶わなかった。

2014年11月14日、キリンチャレンジカップのホンジュラス戦(豊田スタジアム)で、代表初得点を決めた。

プレースタイル

日本人離れしたフィジカルとディフェンダーにもあたり負けしない身体能力を生かしたパワフルなプレースタイルが特徴。ジャーナリストの小宮良之は「とにかく横からのボールに強い。強靱でしなやかなふくらはぎと背筋を使った空中戦はアジア屈指」と評し、サッカー解説者のセルジオ越後は自身のコラムで「185cmの高さばかり注目されるけど、彼は速さと強さも高いレベルで兼ね備えている。ハーフナーよりも万能なタイプ」と評している。平岡康裕は「トヨさんはJリーグでもトップのFW。高さも、強さもあって、それに動きの速さもあるんですから。(セットプレーはマーク役を務めたが)ヘディングで競りに行くだけでも一苦労ですよ」と語っている。

本人は「前線からの守備」をアピールポイントの一つに挙げている。

人物

負けず嫌いの性格からかピッチ内では勝負にこだわり、時に相手と一触即発の雰囲気を醸し出してチームメイトに諫められることもある。しかしピッチを離れるとマイペースではあるものの探求心や好奇心は旺盛で、礼儀正しい性格であるという。 ファンサービスには定評があり、特に子供には優しい。

星稜高校在学中は、一年後輩の本田圭佑に敬語をなしにするというルールを作られタメ口で呼ばれた(本田が卒業後は先輩には敬語に戻った)。星稜高校の恩師・河崎護からは「トヨ」と呼ばれている。

「トヨグバ」のニックネームは日本人離れした体型とパワフルなプレースタイルから、コートジボワール代表のディディエ・ドログバをもじって山形時代のコーチが名付けたもの。

鈴木大輔、柿谷曜一朗など日本代表のチームメイトからは「トヨくん」と呼ばれている。

鳥栖移籍後は濃いピンクのマウスガードを着けてプレーしており、豊田のトレードマークともなっている。これは鳥栖の歯科医院で作ってもらった特注品である。日本代表初招集にあたって日本代表バージョンの紅白のマウスガードを作成した。

引用元:wikipedia

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