所属 | SSラツィオ |
---|---|
背番号 | 20 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1988年09月05日(36歳) |
身長 / 体重 | 183cm / 84kg |
国籍 | エクアドル |
所属 | SSラツィオ |
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背番号 | 20 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1988年09月05日(36歳) |
身長 / 体重 | 183cm / 84kg |
国籍 | エクアドル |
フェリペ・サルバドール・カイセド・コローソ(Felipe Salvador Caicedo Corozo, 1988年9月5日 - )は、エクアドル・グアヤキル出身のサッカー選手。元エクアドル代表。セリエA・SSラツィオ所属。ポジションはFW。
経歴
地元のバルセロナSCの下部組織で育ち、2004年にはロカフエルテFCの下部組織に移った。
FCバーゼル
2006年冬、スイス・スーパーリーグのFCバーゼルに移籍した。移籍金は公開されていない。この時点ではヨーロッパでプレーするエクアドル人サッカー選手はおらず、カイセドが唯一の存在であった。移籍当初は下部リーグで経験を積み、2006-07シーズンはスイス・スーパーリーグで27試合に出場して7得点し、2007-08シーズンは18試合に出場して4得点した。リーガ・エスパニョーラ、プレミアリーグ、セリエAのクラブが関心を示し、2007年1月にはACミランが選手の照会を行った。
マンチェスター・シティFC
2007-08シーズン
2008年1月31日、労働許可証の取得が完了してプレミアリーグのマンチェスター・シティFCと4年半契約を結んだ。移籍金は520万ポンド(約700万ユーロ)であり、スイス・スーパーリーグ所属の選手としては過去最高額となった。マーク・ヒューズ監督はカイセドを「南米最高のタレントのひとり」と評し、ブラジル代表のアドリアーノと比較された。2月10日、マンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー (2-1) の後半から出場してデビューした。2007-08シーズン終了までに10試合に出場したが、すべて途中出場であった。
2008-09シーズン
2008年12月19日、UEFAカップ・ラシン・サンタンデール戦で移籍後初得点を挙げ、ラシン戦の直後のWBA戦ではバックヒールシュートで得点した。当初はゴールキーパーのオウンゴールと記録されたが、試合後にカイセドの得点であると訂正された。WBA戦の1週間後のハル・シティAFC戦 (5-1) では1試合2得点を決めた。2009年3月13日、UEFAカップベスト16のオールボーBK戦ファーストレグ (2-0) では先制点を挙げ、最終的にはPK戦の末に勝ち上がりを決めた。4月16日のハンブルガーSV戦セカンドレグ (2-1) ではシーズン6点目を決めたが、2試合合計3-4で敗退した。5月2日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦 (3-1) で7点目、シーズン最終節のボルトン・ワンダラーズFC戦 (1-0) ではリーグ戦8得点目を決めた。ゴール前でボールを保持し、ディフェンダーを振り切ってシュートを打てるチーム唯一のストライカーとして、多くのファンに強い印象を与えた。
スポルティングへのレンタル移籍
2009年夏にはパラグアイ代表のFWロケ・サンタクルス、トーゴ代表のFWエマヌエル・アデバヨール、アルゼンチン代表のFWカルロス・テベスが加入したため、カイセドは余剰戦力となった。7月23日、1年間の契約でスポルティングCPにレンタル移籍し、2009-10シーズンはUEFAチャンピオンズリーグにも出場した。契約には完全移籍オプションも付けられていたが、レンタル期間を半年間に短縮し、2010年になってイングランドに戻った。
マラガCFへのレンタル移籍
ハル・シティからもオファーがあったが、2010年1月8日、リーガ・エスパニョーラのマラガCFにレンタル移籍し、2月14日のラシン戦 (3-0) で移籍後初得点を決めた。最終節を前にして残留が決定していなかったが、最終節のレアル・マドリード戦の9分にセルジオ・ドゥダの得点をアシストし、残留を決める貴重な勝ち点1獲得に貢献した。
レバンテUDへのレンタル移籍
2010年8月31日、スペインの移籍市場が閉まる1時間前にレバンテUDへのレンタル移籍が完了した。レバンテでは飛躍的な成長を遂げ、12月までの12試合に出場して7得点を挙げた。11月21日のラシン (3-1) ではクリスティアン・ストゥアニとコンビを組んで2得点を挙げ、チームを残留圏内に押し上げた。12月18日のアスレティック・ビルバオ戦 (1-2) では3試合連続となる得点を挙げたが、この試合からチームは5連敗し、一気に最下位に転落した。2011年1月29日のヘタフェCF戦 (2-0) ではチームの2点目を決め、この試合で浮上の兆しを掴んだチームは3試合連続完封勝利で残留圏内に浮上した。5月11日のFCバルセロナ戦 (1-1) では、DFジェラール・ピケのミスに付け込み、シーズンを通じて僅か21失点しか喫しなかった相手から得点を奪った。なおこの試合は1-1の引き分けに終わり、バルセロナはリーグ戦3連覇を決めた。最終的に27試合に出場して13得点を奪い、14位でのプリメーラ・ディビシオン残留に貢献した。
レバンテUD
シーズン終了後、ロシア・プレミアリーグのFCアンジ・マハチカラやFCロコモティフ・モスクワに興味を示されたが、移籍金100万ユーロでレバンテに完全移籍した。
FCロコモティフ・モスクワ
2011年7月22日、ロコモティフ・モスクワへ4年契約の移籍金750万ユーロで移籍をした。
代表
FCバーゼルに移籍する前の2005年にイタリア代表との親善試合でエクアドル代表デビューした。この時点で16歳であり、エクアドル代表の最年少出場記録を更新した。しかし、2006年のドイツW杯の出場メンバーからは漏れた。A代表デビュー後もU-20代表に選ばれ続け、2007年には南米ユース選手権に出場した。同年3月にはアメリカとメキシコとの親善試合に出場し、アメリカ戦では1得点を挙げた。コパ・アメリカ2007では背番号10を背負い、グループリーグの3試合(チリ戦、メキシコ戦、ブラジル戦)すべてに途中出場したが、グループリーグで敗退した。2009年2月10日、U-21イングランド代表戦 (3-2) で得点した。コパ・アメリカ2011ではグループリーグ第3戦のブラジル戦で2得点を挙げたものの、チームは敗れ、グループリーグで敗退した。2014 FIFAワールドカップではクリスティアン・ベニテスが使用していた代表永久欠番の11を付けてプレーするが、これは規定により欠番が認められていないため。
2017年9月、グスタヴォ・キンテロスが監督職を更迭されると代表引退を表明した。引用元:wikipedia
2021年1月31日