キム ジンヒョン

所属
前所属先 東国大/大韓民国
背番号 21
ポジション GK
生年月日 1987年07月06日(38歳)
身長 / 体重 192cm / 82kg
出身地 韓国

キム ジンヒョンの情報

金 鎭鉉(キム・ジンヒョン〈キム・ジニョンとの表記も〉、ハングル:김진현 、ラテン翻字: KIM Jin-hyeon, 1987年7月6日 - )は、大韓民国出身のサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。韓国代表。ポジションはゴールキーパー(GK)。

来歴

幼少時よりスポーツ好きで、さまざまなスポーツを経験していたが、小学5年次に「背が高く目立っていた」という理由で指導者に誘われて本格的にサッカーを始めた。任されたポジションはGKであり、現在に至るまで一貫してこのポジションでプレーし 、ドリブルの練習やボールを蹴る練習も続け「足元の技術やフィードに優れている印象」 との評価を受けるようになった。

マンス中学校、東国大学校師大高等学校を経て2006年に東国大学校に入学してサッカー部に入部した。在学中にU-20韓国代表に選出されてAFC U-19選手権2006および2007 FIFA U-20ワールドカップに出場した他、北京オリンピックの韓国代表候補にも選出されたが、大会前に怪我をした影響もあり、五輪代表には選出されなかった。

練習生としての期間を経て、2008年12月29日、セレッソ大阪への入団が発表された。入団のきっかけは代理人の紹介によるものであった。加入初年度より正GKとして試合に出るようになり、負傷離脱 時を除き試合出場を続ける。2009年3月8日のJ2開幕戦となったサガン鳥栖戦で初出場。

2014年、セレッソのJ2降格が決まった時は「状況が悪いからといって逃げるのは男としてするべきないと思った」「サッカーは私の人生で最も幸せなことだが、この程度のこと(降格)で逃げたくはなかった」と話しチームに残留。2016年オフにも鹿島アントラーズやFCソウルからオファーが届くも残留した。

2017年はルヴァンカップの優勝やJリーグ3位でACLの出場権獲得、天皇杯決勝では延長後半に横浜FMのウーゴ・ヴィエイラの決定的ヘディングシュートを防ぎ、天皇杯の43年ぶり優勝に貢献した。

2019年リーグ戦では全試合に出場し、102セービング、クリーンシート15回を記録するなどリーグ最小失点に大きく寄与した。またこの年でセレッソ大阪でのリーグ戦出場数をJ1、J2通算364試合とし、森島寛晃の361試合を抜いてクラブ史上最多になった。

代表

韓国代表には2011年から招集されていたが、2012年5月30日、スイスにて行われたスペイン代表との国際親善試合で、先発フル出場でA代表デビュー。AFCアジアカップ2015では、韓国代表の正GKとして活躍し、韓国の準優勝に貢献、自身も大会最優秀GKにノミネートされた。2018年、ロシアワールドカップの韓国代表のメンバーに招集された。

AFCアジアカップ2019を最後に代表を引退する事を示唆している。

エピソード

訪日歴が長いこともあり、日本語に堪能であり、インタビュー等でも通訳なしで難なくこなすことが出来る。

愛称の『キムラ』は西澤明訓に呼ばれたことに由来する。

引用元:wikipedia

キム ジンヒョンの記事

記事はまだありません。

セレッソ大阪の他の選手

松本 泰志

丸橋 祐介

レヴィー クルピ

原川 力

奥埜 博亮

澤上 竜二

瀬古 歩夢

アダム タガート

新井 直人

山田 寛人

チアゴ

為田 大貴

同世代の同じポジションの選手

ウェイン・ヘネシー

ビセンテ・ガイタ

マルヴィン・ヒッツ

ラファル・ギキエヴィッツ

六反 勇治

アドリアン

マックス・グリューン

ダレン・ランドルフ

武田 洋平

セルヒオ・ロメロ

アンドレア・コンシーリ

ファブリシオ・アゴスト

他の選手(ランダム表示)

ロベルト・デ・ツェルビ

マイケル・オバフェミ

マルセロ・ガゾラ

ラファ・ソアレス

ビリー・ギルモア

タイロン・ミングス

マルコ・リヒター

ヨーナス・ホフマン

サイラス・ワマンギツカ

冨安健洋

ホセル

小野 伸二

2021年2月3日

-セレッソ大阪
-