杉山 力裕

所属
前所属先 清水エスパルス
背番号 23
ポジション GK
生年月日 1987年05月01日(37歳)
身長 / 体重 184cm / 76kg
出身地 静岡

杉山 力裕の情報

杉山 力裕(すぎやま りきひろ、1987年5月1日 - )は、静岡県静岡市出身の日本のプロサッカー選手。J2リーグ・アビスパ福岡に所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。

経歴

プロ入り前
静岡に生まれ、両親の名前から1文字ずつ取って命名された。3歳の時に父親が亡くなり、以後は母親に育てられた。小学生時代は麻機サッカースポーツ少年団に所属していた。この頃の憧れの選手は地元清水エスパルス所属のシジマール・アントニオ・マルチンスで、自宅にポスターを貼っていた他、髪型までまねたと語っている。キューズフットボールクラブを経て2003年に静岡学園高等学校に入学、3年時には主将も務めた。

川崎フロンターレ
2005年に川崎フロンターレに入団。入団から数年は控えとしての日々が続いていたが、2009年9月3日にナビスコカップ準決勝の横浜F・マリノス戦で正GKの川島永嗣が日本代表の遠征で不在だったこともあり公式戦デビューを果たした。W杯後に川島が移籍した後は相澤貴志が正GKを務めていたが、2010年11月14日の鹿島アントラーズ戦で相澤の負傷を受けて途中出場し、リーグ戦初出場を果たした。しかし、交代直後に失点して敗れるというほろ苦いデビューとなった。

2011年は自身初の開幕スタメンを掴んだが、4月29日の名古屋グランパス戦で負傷。右手中指の骨折で全治8週間と診断され、その間に相澤にポジションを奪われた(なおその後相澤も故障)。復帰後も暫くは相澤の控えだったが、チームは夏場に8連敗を喫して急失速。その時に再び先発で起用されるようになって以降ゴールを守り続け、自己最多の13試合に出場した。相澤が退団した2012年より背番号を1に変更した。しかし開幕スタメンは移籍加入したベテランの西部洋平に譲り、さらに練習中に左ハムストリングの肉離れを起こしてしまい2年連続での離脱となってしまった。2013年、2014年シーズンはともに西部からスタメンの座を奪いきれずにいた。

清水エスパルス
2015年シーズンより、清水に完全移籍となった。開幕戦こそ櫛引政敏にスタメンの座を譲るも、櫛引とのスタメン争いを制し2ndステージでは、第1節を除く全試合でスタメン出場しキャリアハイとなる24試合に出場した。翌年に清水はJ2に降格したが、自身も引き続き清水に残留し20試合にスタメン出場した。しかし8月以降は植草裕樹に正GKのポジションを奪われ、自身は11月3日の京都戦で後半からの途中出場に留まった。

アビスパ福岡
2017年シーズンより、アビスパ福岡に完全移籍。6月3日の讃岐戦で怪我をし約2ヶ月間休養するも、主力GKとして32試合に出場(J1昇格プレーオフ2戦も含む)。しかし2018年では圍謙太朗(セレッソ大阪から期限付き移籍)の台頭もありリーグ戦での出場は16試合に、2019年では新加入のセランテスに第1GKの座を奪われ、出場した試合は11月24日のJ2最終戦のみとなった。

2020年でも引き続き福岡でプレーし、8月15日の松本戦で9ヶ月ぶりにスタメン出場を果たしている。

引用元:wikipedia

杉山 力裕の記事

記事はまだありません。

アビスパ福岡の他の選手

北島 祐二

永石 拓海

山ノ井 拓己

前 寛之

ブルーノ メンデス

志知 孝明

エミル サロモンソン

桑原 海人

三國 ケネディエブス

フアンマ デルガド

森山 公弥

石津 大介

同世代の同じポジションの選手

サルヴァトーレ・シリグ

ウェイン・ヘネシー

児玉 剛

ファブリシオ・アゴスト

ジョー・ハート

セルヒオ・ロメロ

ラファル・ギキエヴィッツ

マルヴィン・ヒッツ

アンドレア・コンシーリ

パヴァオ・ペルヴァン

アドリアン

武田 洋平

他の選手(ランダム表示)

タイラー・オニャンゴ

ヤン・カラモー

ハウメ・ドメネク

ニコラス・ヴィオラ

ベン・オズボーン

マティウ・ロウトン

フロリアン・コーフェルト

ルーカス・トロ

中山 克広

ヴラディミル・ダリダ

アダム・ララーナ

カラ

2021年2月3日

-アビスパ福岡
-