所属 | インテル |
---|---|
背番号 | 77 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1992年11月16日(32歳) |
身長 / 体重 | 181cm / 68kg |
国籍 | クロアチア |
所属 | インテル |
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背番号 | 77 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1992年11月16日(32歳) |
身長 / 体重 | 181cm / 68kg |
国籍 | クロアチア |
マルセロ・ブロゾヴィッチ(Marcelo Brozović, クロアチア語発音: , 1992年11月16日 - )は、クロアチア・ザグレブ出身のサッカー選手。セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属。クロアチア代表。ポジションはMF。クロアチア語に近い発音はマルツェロ・ブロゾヴィッチ。
クラブ経歴
クロアチア時代
NKフルヴァツキ・ドラゴヴォリャツのユースチームでキャリアをスタートさせ、2009年にトップチームデビュー。このシーズンでチームがプルヴァHNLへ昇格し、2010年7月24日、ディナモ・ザグレブ戦でトップリーグデビューを果たした。2011年3月18日のカルロヴァツ戦で初ゴールを記録。2011年7月、ロコモティヴァ・ザグレブに移籍した。
2012年8月、ハンブルガーSVに移籍したミラン・バデリの代替として、ディナモ・ザグレブに7年契約で移籍。
インテル
2014年夏にインテル・ミラノからのオファーがあったものの、断ったことをディナモ・ザグレブ会長のズドラフコ・マミッチが明かした。その後、ACミランやボルシア・ドルトムントからの興味が報じられたが、2015年1月24日にインテル・ミラノへ1年半契約での買取義務付きレンタル移籍が発表された。移籍金800万ユーロ、レンタル期間を含めて2019年6月までの4年半の契約を交わした。2015年2月1日のUSサッスオーロ・カルチョ戦でセリエAデビューを果たし、5月31日のエンポリFC戦で初得点を記録した。
2015-16シーズンはフェリペ・メロやジョフレイ・コンドグビアと中盤でコンビを組み32試合に出場したものの、翌2016-17シーズンは不安定なスタートを切ったチームに影響され不調に陥り、また2016年9月にはユヴェントスFC戦で招集メンバー外になるなどフランク・デ・ブール監督との不和も伝えられた。11月にはデ・ブールが解任されステファノ・ピオリが新監督になると状況が変わるかと思われたが、冬に加入したロベルト・ガリアルディーニの存在やフォーメーション変更の余波を受けサブメンバーのままシーズンを終えた。
2017-18シーズンは新監督に就任したルチアーノ・スパレッティが新加入のボルハ・バレロを重用したため引き続き不安定な立場となり冬にはセビージャFCへの移籍も噂されたが残留。シーズン終盤に向かうにつれてバレロが失速するとレギュラーに定着し、クラブのUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した。
代表歴
2014年5月31日、代表初招集ながら2014 FIFAワールドカップ出場メンバーに選出され、6月7日のオーストラリアとの親善試合にフル出場し代表デビュー。本大会ではブラジルとの開幕戦に途中出場した。2014年10月13日、UEFA EURO 2016予選のアゼルバイジャン戦で代表初得点を挙げた。
プレースタイル
目標とする選手としてフランク・ランパードを挙げている。
中盤の底でプレーする。2017-18シーズンにおいてレジスタとして開花し、視野が広く、ビルドアップにおいての貢献度は計り知れない。強烈なミドルシュートも持ち味である。また特筆すべきはスタミナであり、2018年9月に発表された1試合の平均走行距離ではセリエA1位の12.289kmを記録。2018年W杯準決勝のイングランド戦では延長戦となったこともあり、走行距離は大会最長となる16.399kmを記録した。
人物・エピソード
2015年12月、母国クロアチアにて飲酒状態でBMW・X6を運転し、赤信号を無視して通過したところを警察に止められた。ブロゾヴィッチはこの2ヶ月前にも信号無視をして免許停止状態となっていたため、無免許運転にもなり、3つの交通違反を犯しており逮捕された。所属していたインテルのロベルト・マンチーニ監督は「特別な事じゃない。クリスマスのパーティーは皆するものだろう。グラスワインを飲む事だってある。アルコール度数はそう高くなかったんだ」と語り、ブロゾヴィッチがチームに残留する事を強調した。引用元:wikipedia
2021年1月31日