松原 健

所属
前所属先 アルビレックス新潟
背番号 27
ポジション DF
生年月日 1993年02月16日(31歳)
身長 / 体重 180cm / 77kg
出身地 大分

松原 健の情報

松原 健(まつばら けん、1993年2月16日 - )は、大分県宇佐市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・横浜F・マリノス所属。登録ポジションはディフェンダー(右サイドバック)。元日本代表。既婚。

来歴

中学進学時に大分トリニータU-15のセレクションを受け不合格となったが、高校進学時に再びセレクションに参加し合格。2008年に大分U-18に入団した。1年次の夏過ぎにそれまではフォワードやボランチでプレーをしていたが、当時監督の皇甫官に、運動量の多さを買われて右サイドバックに転向した。大分U-18では緊張感のある中で練習し、重圧に圧し潰されそうになった事で初めてサッカーの練習が嫌いになったという。3年次の2010年にトップチームに2種登録され、5月2日のJ2第10節・ジェフユナイテッド千葉戦で公式戦デビュー。同年はリーグ戦9試合に出場した。

2011年より正式にトップチームへ昇格。2013年1月にはドイツへ渡り、フォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に参加した。

2014年、「大分でやってきたことが、外に出てどれだけ通用するかを試したい」という思いからアルビレックス新潟に期限付き移籍。新潟には年代別代表でもチームメイトであり、同ポジションのライバルである川口尚紀が在籍していたが、戸惑いは無く「チーム内のポジション争いに勝つことで、年代別代表でも勝てる」との考えがあったという。川口を抑え、右サイドバックのレギュラーに定着し、同年8月28日にはキリンチャレンジカップに出場するA代表に初選出された。試合出場機会は無かったものの、長友佑都や酒井宏樹、酒井高徳ら同ポジションの選手を始めとした、海外クラブでプレーする選手と練習を経験することで刺激を得た。同年はJ2時代も含めて自身最多のリーグ戦31試合に出場した。

2015年、新潟に完全移籍。4月に右膝半月板を手術(全治5か月)したこともあり、2015年シーズンはリーグ戦出場なし。2016年2月に右膝を痛めて再手術、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23日本代表メンバーの最終発表前の6月に復帰を果たし本大会メンバー発表前の最終公式戦・U-23南アフリカ戦のメンバーには選出されたものの、最終的に本大会メンバーからは落選した。

2017年、横浜F・マリノスからオファーを受け、「サッカー選手として上手くなるために挑戦したい 」という思いから移籍を決断し、完全移籍で横浜FMに加入。同年5月27日、リーグ第13節の清水エスパルス戦にて前半に先制点を挙げ、プロ初ゴールを記録。

エピソード

2010年、大分U-18在籍時に大分に2種登録された際より、クラブでは一貫して背番号は27番を背負っている。この事について本人は「こだわりは無くは無いが、背番号を決める際に27番が空いていれば、それでお願いしますというぐらい」と語っている。

2017年4月に高校時代から交際をしていた一般女性との入籍を発表。

引用元:wikipedia

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