所属 | アイントラハト・フランクフルト |
---|---|
背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1997年12月23日(26歳) |
身長 / 体重 | 181cm / 85kg |
国籍 | セルビア |
所属 | アイントラハト・フランクフルト |
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背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1997年12月23日(26歳) |
身長 / 体重 | 181cm / 85kg |
国籍 | セルビア |
ルカ・ヨヴィッチ( セルビア語キリル: Лука Јовић、1997年12月23日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ・ビイェリナ出身のサッカー選手。アイントラハト・フランクフルト所属。セルビア代表。ポジションはFW。日本語表記ではヨビッチとする文献も。
クラブ経歴
レッドスター
クロアチアやセルビアの国境に近いビイェリナにて誕生。セルビア人の父親、ミラン・ヨヴィッチもパルチザン・ベオグラードなどでプレー経験のある元プロサッカー選手であった。幼少期に父親の母国セルビアのロズニツァに移住、2005年にレッドスター・ベオグラードのスカウトを受け、同クラブの下部組織に入団。2014年5月のリーグ優勝を賭けた最終節の大一番、FKヴォイヴォディナ・ノヴィサド戦で、同クラブの最年少記録保持者であったデヤン・スタンコビッチを上回る16歳5ヶ月5日でプロデビューを果たしたばかりか、途中出場から3分後にはプロ初ゴールを挙げ、史上最年少得点記録も塗り替えた。さらにこのゴールは値千金の同点弾となり、レッドスターは最終節を引き分けに持ち込み、勝ち点1差でライバルのパルチザンをかわしてリーグ優勝を飾った。実質プロ1年目の2014-15シーズンもリーグ戦6ゴールを挙げ、世代別セルビア代表でも順調にゴールを重ね、レッドスターのズヴェズダン・テルジッチSDはヨヴィッチを「セルビアのファルカオ」と絶賛した。
ベンフィカ
その活躍を受け、ポルトガルの強豪クラブ、SLベンフィカが獲得に動き始め、当時18歳であったヨヴィッチは国外移籍は時期尚早と残留を希望していたが、当時のレッドスターは深刻な財政難に陥っており、2016年2月に移籍金600万ユーロ(当時のレートで約8億円)という高額なオファーを受け入れてクラブ間合意、ヨヴィッチはベンフィカと5年契約を結んだ。後にこの移籍は、分割払いを提示したベンフィカ側に対してレッドスターは一括での支払いを求め、ベンフィカ側は大物代理人、ピニ・ザハビに仲介を依頼してキプロスのアポロン・リマソールを迂回しての移籍(ヨヴィッチ自身はアポロンではプレーしていない)であったことが報じられている。しかしベンフィカではジョナス、ラウル・ヒメネス、コンスタンティノス・ミトログルという攻撃陣の分厚い選手層に阻まれ、さらにヨヴィッチ自身も適応に苦しんだこともあり、Bチームへの降格を命じられた。ベンフィカBのエウデル・クリストヴァン監督はヨヴィッチを高く評価していたが、トップチームでの出場はわずか2試合に留まり、ヨヴィッチは移籍を志願する。
フランクフルト
2017年6月、アイントラハト・フランクフルトにレンタル移籍することが発表された。契約期間は2年間で移籍金700万ユーロでの完全移籍オプション付。周囲は懐疑的であったが、この移籍は転機となり、同じ旧ユーゴスラビア出身の元プロサッカー選手であるフレディ・ボビッチ取締役のサポートや恩師となるニコ・コヴァチ監督の指導を受け、急成長を遂げ、2017年9月16日のリーグ戦第4節の対FCアウクスブルク戦でフランクフルトでの初ゴールを挙げ、2017-18シーズンはリーグ戦22試合に出場して8ゴールを記録、特にDFBポカールの準決勝の対シャルケ04戦では決勝進出を決める値千金の決勝点を挙げ、決勝でもフランクフルトはFCバイエルン・ミュンヘンを破り、DFBポカール優勝に貢献した。
2年目の2018-19シーズンは、恩師のコヴァチは退任したが、後任のアドルフ・ヒュッター監督からも信頼を受け、本格的に才能を開花させる。2018年10月19日の第8節の対フォルトゥナ・デュッセルドルフ戦では5ゴールを挙げる大活躍を見せ、1試合5ゴールの最年少記録を塗り替えた。2019年4月、フランクフルトは完全移籍オプションを行使し、2023年6月までの契約を結んだことを発表した。
レアル・マドリード
2019年6月4日、レアル・マドリード移籍が発表。契約期間は6年間で移籍金は6000万ユーロ+ボーナス500万ユーロ(当時のレートで最大で約78億円)、この内の30%はベンフィカ側に支払われると報じられている。リーガ第11節のレガネス戦で後半ロスタイムに移籍後初ゴールを決めた。2020年3月にセルビアに帰国した際に、新型コロナウイルス蔓延を阻止するため、感染が広がっている国から帰国した場合は最大28日間自主的な隔離が義務付けられているのにもかかわらず、交際中の女性の誕生日パーティーに参加したとして批判された。更に11月にはウイルスに感染し、チームから一時離脱。相次ぐ素行不良に監督ジネディーヌ・ジダンも見切りを付けたと言われ、2021年1月にはシーズン終了まで古巣フランクフルトへレンタルで移籍することとなった。
代表歴
各年代でセルビア代表に選出されている。2013年12月のクロアチア戦ではハットトリックを達成した。主要大会ではUEFA U-19欧州選手権2014に参加、ゴールも挙げた。
2018年5月、フル代表0キャップながら2018 FIFAワールドカップ参加メンバーに選出された。大会直前に開催されたチリ代表戦でフル代表デビュー。ワールドカップ本戦ではブラジル戦に出場した。
2019年3月、ドイツ代表との親善試合で代表初ゴールを挙げた。引用元:wikipedia
2021年2月1日