所属 | サンフレッチェ広島 |
---|---|
前所属先 | FC町田ゼルビア |
背番号 | 13 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1989年06月29日(35歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 80kg |
出身地 | 広島 |
所属 | サンフレッチェ広島 |
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前所属先 | FC町田ゼルビア |
背番号 | 13 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1989年06月29日(35歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 80kg |
出身地 | 広島 |
増田 卓也(ますだ たくや、1989年6月29日 - )は、広島市安佐北区出身 のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
来歴
プロ入り前
幼稚園時代からサッカーを始める。GKはこの頃から経験している ものの、中学生まではフィールドプレーヤー だった。広島高陽FCの4つ上に田坂祐介、3つ上に髙柳一誠、2つ上に森重真人、2つ下に中山雄登、4つ下に渡大生がいた。中学生時代はピジョンFCでプレーした。
2005年、強豪の広島県立広島皆実高等学校へ進学。同期に森本恭介がいる。本格的にGKを始めたのはこの頃からである。2年生から正GKに定着し、高校選手権では第85回及び第86回と2年連続でベスト8進出に貢献している。PK戦は第85回大会は3戦、第86回大会は1戦経験しているが、いずれも勝利している。日本高校選抜には2年連続で選ばれた。
2008年、流通経済大学へ進学し、サッカー部に所属。同期に山村和也・比嘉祐介・中里崇宏・堀河俊大など。乾大知とは後に長崎で同僚となる。サッカー部は当時日本代表候補の林彰洋が正GKに君臨していたが、林が怪我をすると1年生ながら正GKに抜擢され、林が復帰後もその座を明け渡さなかった。全日本大学選抜には1年生の段階から選ばれている。2009年になると林はイングランド2部のプリマス・アーガイルFCに移籍したためポジションを完全に確保した。2010年アジア大会では安藤駿介の控えとして同大会優勝に貢献した。2011年大学4年生の時に流経大キャプテンを務めた。ロンドン五輪アジア最終予選には全試合招集されている。
サンフレッチェ広島には高校3年生の段階から練習を体験していた が、広島側から獲得を前提として正式に練習参加オファーを受けたのは2009年大学2年生の時である。以降、海外キャンプにも同行した。大学卒業の際には広島の他、ジェフユナイテッド市原・千葉からもオファーが来ていた。
サンフレッチェ広島
2012年、広島に加入。同期入団はファン・ソッコとイ・デホン。この年は西川周作の控えとして過ごし、第2GKとしてベンチ入りした。6月6日、ナビスコカップグループリーグ第5節ベガルタ仙台戦で公式戦デビューを飾った。12月9日、FIFAクラブワールドカップのアル・アハリ戦で負傷の西川に代わって途中出場したが、1-2で敗れた。
2013年5月6日、J1第10節大宮アルディージャ戦(NACK5スタジアム大宮)で西川の負傷によりスターティングメンバーに名を連ね、リーグ戦初出場を果たした。しかし、後半39分に相手FW富山貴光と激しく衝突。ともに脳震盪を起こし、救急車で搬送された。広島は前節名古屋グランパスエイト戦でも西川が相手MF小川佳純と接触して脳震盪を起こしており、2試合連続での不運となった。
V・ファーレン長崎
2017年、V・ファーレン長崎へ期限付き移籍。 17年は守護神として全試合にフル出場したが、2018シーズンは開幕スタメンこそ勝ち取ったものの、第5節からは新加入の徳重健太にポジションを譲り、第30節と31節に出場するまでは出番が無く、リーグ戦の出場は6試合に留まった。
町田ゼルビア
2019年、FC町田ゼルビアへ期限付き移籍。 開幕からスタメンを確保し、38試合に出場した。12月25日、契約満了により広島に復帰すると発表された。
サンフレッチェ広島復帰
4年ぶりに復帰した2020シーズンだったが、林卓人と大迫敬介の争う激しいポジション争いに割って入ることが出来ず、公式戦出場は0に終わった。引用元:wikipedia
2021年2月3日