所属 | インテル |
---|---|
背番号 | 14 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1989年02月02日(35歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 80kg |
国籍 | クロアチア |
所属 | インテル |
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背番号 | 14 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1989年02月02日(35歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 80kg |
国籍 | クロアチア |
イヴァン・ペリシッチ(Ivan Perišić、1989年2月2日 - )は、ユーゴスラビア(現・クロアチア)・スプリト出身のサッカー選手。セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属。クロアチア代表。ポジションはMF、FW。
経歴
2005年にHNKハイデュク・スプリトのユースチームに入団。2007年にフランスのFCソショーに移籍し、2009年にベルギーのKSVルーセラーレにレンタル移籍。2009年8月26日、クラブ・ブルッヘに3年契約で完全移籍を果たした。2010-11シーズンには22得点をマークし得点王となり、ベルギー年間最優秀選手賞を受賞した。
2011年5月22日、ドイツのボルシア・ドルトムントと5年契約を交わした。8月5日のハンブルガーSV戦でデビューを果たし、9月24日のマインツ戦で初得点を記録。2012年4月22日のボルシアMG戦では前半23分にゴールを挙げ、これが決勝点となりブンデスリーガ優勝を果たした。しかし翌2012-13シーズンには出場機会が減少したためユルゲン・クロップ監督と衝突し、クロップを批判した。
ヴォルフスブルク
2013年1月6日、ドイツ・VfLヴォルフスブルクへ完全移籍した。契約は2017年のシーズン終了まで。移籍金は約750万ユーロ。1月19日にシュツットガルト戦にてヴォルフスブルクデビュー。同シーズンはチーム内でイヴィツァ・オリッチに次ぐ10得点を挙げた。
2014-15シーズンのDFBポカールでは決勝で古巣のボルシア・ドルトムントを破りクラブに初優勝をもたらした。
インテル
2015年8月30日、イタリアのインテルナツィオナーレ・ミラノと2020年6月30日までの5年契約を交わし完全移籍。9月13日に行われたACミランとのミラノダービーで移籍後初出場を果たした。2016年9月のイタリアダービーでは交代出場から決勝ゴールを決め、約4年ぶりとなるユベントス撃破を助けた。2017年12月、第15節のキエーボ戦でキャリア初のハットトリックを達成。その後は主力として左サイドを主戦場とした。
バイエルン・ミュンヘン
2019-20シーズンは新しく監督に就任したアントニオ・コンテに構想外とされたためASモナコやアーセナルFCから興味を示されたが、2019年8月13日、FCバイエルン・ミュンヘンに買取オプション付きのレンタルで移籍した。8月31日のマインツ戦で移籍後初ゴールを決めた。DFBポカール決勝のレバークーゼン戦でレヴァンドフスキのゴールをアシストして優勝に貢献した。8月14日、チャンピオンズリーグ準々決勝のFCバルセロナ戦ではチームの1点目の起点となり、また自らのチームの2点目のゴールを決め、準決勝進出に重要な役割を果たした。決勝のパリ・サンジェルマン戦では後半途中から出場して優勝に貢献、シーズントータルでは35試合8ゴール10アシストの成績を残し、チームのトリプレーテ(3冠獲得)に貢献した。しかし、バイエルンへの完全移籍はならず、更にブンデスリーガでのプレー経験が豊富と言うこともあり、2020年9月にはRBライプツィヒ、バイエル・レバークーゼン、ヘルタ・ベルリンなどが、ペリシッチの獲得に乗り出していると報じられた。
インテル復帰
2020-2021シーズン、夏の移籍市場で様々なチームが獲得に乗り出していると報じられていたが結果的にチームに残留。シーズン前半は慣れない左WBに苦戦するもシーズン後半以降はフィットした。
代表
クロアチア代表として各年代で代表招集を受けており、UEFA U-21欧州選手権2011にも出場した。
2011年1月26日に初めてフル代表に選出され、同年3月26日のEURO2012予選・ジョージア戦で代表デビュー。EURO 2012のメンバーにも選出され、クロアチアの全3試合に出場した。2012年9月11日の2014W杯欧州予選のベルギー戦で代表初得点を挙げた。
2014年FIFAワールドカップブラジル大会では一次リーグ全3試合に出場、第2戦カメルーン戦、第3戦メキシコ戦でゴールを決めたが決勝トーナメント進出はならなかった。
EURO2016予選では9試合で6得点を挙げ攻撃陣を牽引。本大会のグループリーグではチェコ戦とスペイン戦で得点を奪ったが、準々決勝でポルトガルに敗れた。
2018 FIFAワールドカップロシア大会、一次リーグ第3戦アイスランド戦では決勝ゴールを決め、準決勝のイングランド戦では1-0とリードされる中、同点ゴールを決めただけでなく、延長戦後半にはマンジュキッチのゴールをアシストし、MOMに選ばれるなど、クロアチア史上初のワールドカップ決勝進出に貢献。決勝のフランス戦では28分に同点ゴールを決めたが、35分のコーナーキックの際、自らの一連のプレーからVARの判定の結果、ハンドを取られフランスにPKを与えてしまい、自らのゴールを帳消しにしてしまう形となってしまった。最終的に2-4で敗れ、クロアチア史上初のワールドカップ制覇はならなかった。引用元:wikipedia
2021年1月31日