所属 | アトレチコ・マドリッド |
---|---|
背番号 | 6 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1992年01月08日(32歳) |
身長 / 体重 | 176cm / 77kg |
国籍 | スペイン |
所属 | アトレチコ・マドリッド |
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背番号 | 6 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1992年01月08日(32歳) |
身長 / 体重 | 176cm / 77kg |
国籍 | スペイン |
コケ(Koke)こと、ホルヘ・レスレクシオン・メロディオ(Jorge Resurrección Merodio, 1992年1月8日 - )は、スペイン・マドリード出身のサッカー選手。アトレティコ・マドリード所属。スペイン代表。ポジションはミッドフィールダー。
クラブ経歴
スペイン・マドリードで生まれる。8歳でアトレティコ・マドリードのユースに所属する。アトレティコ・マドリードBでは、加入後すぐに主力の座を獲得し、3年間在籍する。
2009年9月19日、バルセロナ戦でパウロ・アスンソンに代わって後半途中出場して17歳でデビューした 。シーズン中に3試合に出場した。
翌シーズンからは新監督のキケ・サンチェス・フローレスの影響でファーストチームへの参加が増え、ヘタフェ戦では90分間プレーした。2011年2月26日に行われたセビージャ戦でディエゴ・フォルランのクロスをヘディングでネットに入れ、アトレティコのリーグ戦初ゴールを決めた。2011年8月25日、ヨーロッパリーグのヴィトーリア戦でヨーロッパの大会をデビューした。公式戦17試合に出場し、2得点を決めトップチームでの最初のシーズンを終えた。
2011-12シーズンもアトレティコの中盤の重要なメンバーとして、グレゴリオ・マンサーノとディエゴ・シメオネの下で活躍した。公式戦48試合のうち38試合に出場し、3得点を記録した。
2012-13シーズンにはチームを去ったジエゴの代わりとして主力として活躍。チームはバルセロナ、レアル・マドリードに次ぐ3位に着け、チャンピオンズ・リーグ出場権を得るために重要な役割を果たした。また、シーズン中の2013年3月10日、第27節のレアル・ソシエダ戦、キャリア通算100試合目の出場を果たした。コパ・デル・レイの決勝戦では、サンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードとのダービー戦で、112分のプレーをし、レアル・マドリードを相手に14年ぶりの勝利を果たし、10回目の優勝を果たした。
2013-14シーズン、夏にはFCバルセロナが獲得を試みたが、このオファーを拒否、9月3日、アトレティコと6年契約を結んだ。その年10月には、4試合での活躍が評価され、10月の月間最優秀選手に選ばれた。その後も活躍を続け、シーズン終了時には自己最高の7ゴール17アシストを記録した。2014年4月9日、UEFAチャンピオンズリーグ、準々決勝のバルセロナ戦でチャンピオンズ・リーグ初ゴールを決めた。これが唯一の得点となり、アトレティコを1974年以来の準決勝進出に導いた。リーグ最終節のバルセロナ戦では90分間プレーをし、18年ぶり10度目の優勝に貢献した。シーズンが終わると、LFPからリーグのベストイレブンに選ばれた。2014年6月25日、アトレティコと新たに5年契約を結んだ。
2015-16シーズンは、11月半ばまでは得点もアシストも無かったが、結局12アシストを記録し、シーズンのアシスト記録更新した。2016年10月23日、セビージャ戦で2枚のイエローカードを受け、キャリア初の退場処分を受けた。 2017年5月24日にはアトレティコと2024年までの7年契約を新たに結んだ。 26歳になってわずか2カ月後の2018年4月1日、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦で361回目の出場を記録し、アトレティコの出場試合数のトップ10入りを果たした。
2018-19シーズンの第20節、ウエスカ戦では先発出場し、1得点1アシストを記録、この試合に出場した結果、史上最速でのクラブ公式戦通算400試合出場を果たした。
2019-20シーズンより、ディエゴ・ゴディンの後を継ぎ、アトレティコのキャプテンを務めることが決まった。2020年11月26日のUEFAチャンピオンズリーグ、ロコモティフ・モスクワ戦に出場し、クラブ史上初めてヨーロッパの大会100試合の出場を果たした。
代表経歴
スペイン代表として2011 FIFA U-20ワールドカップ、2012年ロンドンオリンピック、UEFA U-21欧州選手権2013に出場した。2013年8月14日、エクアドル代表との親善試合にて最後の12分間プレーをし、A代表デビューを果たした。その年の9月6日には、2014 FIFAワールドカップ予選フィンランド大会で90分間プレーした。
2014年FIFAワールドカップのメンバーに選出され、チリ代表戦に途中交代で出場すると、オーストラリア代表戦では先発でプレーした、がグループリーグ敗退となった。
2018年FIFAワールドカップにも出場し、決勝トーナメント1回戦ロシア代表戦で先発出場したが、PK戦でペナルティーキックを失敗。スペインは決勝トーナメント1回戦で敗退した。
2020年10月11日、オランダ代表戦に2年以上(2018年10月11日)ぶりに代表のピッチに立ち、キャプテンマークを巻いて90分間プレーした。
プレースタイル
正確なパスと足もとの技術を有するが、球ばなれが良く、左右の中盤でプレーする、運動量豊富で中盤のダイナモ的存在。フリーキックの精度も高く、多くのチャンスを作り、数多くのアシストを記録している。ユーティリティー性が高く、両サイド、セントラル、ピボーテ、トップ下で安定したプレーを見せる。代表では、右サイドバックとしてのプレー経験もある。
人物
レアル・マドリードからのレンタルでラージョ・バジェカーノに在籍しているフラン・ガルシアは従兄弟である。引用元:wikipedia
2021年1月31日