ガレス・ベール

所属
背番号 9
ポジション FW
生年月日 1989年07月16日(35歳)
身長 / 体重 185cm / 81kg
国籍 ウェールズ

ガレス・ベールの情報

ガレス・フランク・ベイル(Gareth Frank Bale, 1989年7月16日 - )は、イギリス・ウェールズ・カーディフ出身のサッカー選手。トッテナム・ホットスパーFC所属。ウェールズ代表。ポジションはフォワード。

デビュー当初は左サイドバックであったが、オフェンス力を買われて前線にコンバートされ左右ウィングを中心に起用されている。カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウドとの3トップはBBCと呼ばれた。

ウェールズ代表の最多得点記録の保持者。UEFA EURO 2016ではウェールズを初の決勝トーナメント進出に導いた。

生い立ち

1989年、ウェールズ・カーディフにて生まれる。2人兄弟の末っ子で、叔父クリス・パイクもフラムFCやカーディフ・シティFCで活躍したサッカー選手であった。非常に早い時期からスポーツの才能を開花させ、9歳の時にはすでにサウサンプトンのスカウトに声をかけられていた。ウィッチチャーチ高校では、教師の勧めによりホッケー、ラグビー、長距離走など様々なスポーツに親しんだ。ちなみに14歳の時には100mを11.4秒で走っていたという。幼少時代はアーセナルのファンであった。

クラブ経歴

サウサンプトン
2005年7月にサウサンプトンFCと契約。2006年4月17日のミルウォールFC戦に先発出場し、16歳275日でプロデビュー。セオ・ウォルコットに次ぐクラブ史上2番目に若いデビューとなった。2006年8月には対ダービー・カウンティ戦にてフリーキックでプロ入り後初となるゴールをあげた。デビュー年からの目覚ましい活躍で、同年の2006年にBBCウェールズのヤング・スポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。またプロとして最初のシーズンながら、フットボールリーグ・ヤングプレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

トッテナム・ホットスパー
翌年の2007年には様々なクラブ間での争奪戦が行われた末、 トッテナム・ホットスパーFCに移籍金700万ポンド、4年契約で移籍(その当時の背番号は16)。デビュー年から活躍し、フラムFC戦でファーストゴールをあげ、アーセナルFC戦ではフリーキックでゴールを奪った。しかし、2007年の12月に対バーミンガム・シティ戦でファブリス・ムアンバにタックルを受け、右足の靭帯に大怪我を負う。そのため、長期の戦線離脱を余儀なくされた。その結果、シーズン後半のすべての試合を欠場したが、2008年クラブは「能力に疑いの余地はない」と彼とさらに4年契約を結んだ。

トッテナム加入以降、リーグ戦24試合、約2年に渡ってベイルが出場した試合ではトッテナムが勝利することができないという事態が続いたが、監督のレドナップは2009年9月26日のバーンリーFC戦で4-0とトッテナムのリードで迎えた85分からベイルを途中出場させ、このジンクスを終わらせた。

2009年には膝の手術を受けることを発表。2009-2010年シーズンの前半を欠場した。その間、ブノワ・アスー=エコトにポジションを奪われ、怪我から復帰してもなかなか出場できない期間が続いた。 しかし、監督であるハリー・レドナップはカップ戦などで少しずつベイルにチャンスを与えるようになる。2010年4月、アーセナルFC戦で復活の狼煙となるゴールをあげた。さらに、その次の試合であったチェルシーFC戦では1-1の場面で2-1となる決勝点をあげ、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。この2戦の活躍により、プレミアリーグの4月の月間最優秀選手に選出された。後半のベイルの活躍もあり、このシーズンでクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得たトッテナムは、「クラブの新しい歴史を作って欲しい」とすぐに4年契約を提示。移籍の噂も流れたが、ベイルは契約延長にサインをした。

2010年10月20日、UEFAチャンピオンズリーグのインテル戦(サンシーロ)にて、ハットトリックを達成。さらに続く11月2日のホームでのインテル戦では2アシストを記録して勝利に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。インテルのディレクターとして帯同し、この試合を観戦していたルイス・フィーゴは、ベイルの動きについて「本当にただただアメージングだった」と賞賛のコメントをした。2011年4月17日、サミル・ナスリ、カルロス・テベスらを抑えてPFA年間最優秀選手賞を受賞した。

2011-12シーズン、チームはリーグ4位に入りながらもUEFAチャンピオンズリーグの出場権を得られず、ベイルの移籍も取り沙汰されたが、オフには2016年までの契約延長に合意した。背番号も3から、ラファエル・ファン・デル・ファールトより受け継いた11番になった。

2012-13シーズン、主にトップ下でプレーするようになったベイルは、リーグ戦で自己最多となる21ゴール(得点ランク3位)を挙げPFA年間最優秀選手賞、PFA年間最優秀若手選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞した。最終節のサンダーランドAFC戦で決勝点となるミドルシュートを決めるも、チームはチャンピオンズリーグ出場権を逃した。

レアル・マドリード
2013年9月1日、レアル・マドリードへの移籍が発表された。移籍金は当時の史上最高額となる8600万ポンドと言われている。ベイルは左ウィングやトップ下でのプレーを得意としていたが、左ウィングにポジションをとるクリスティアーノ・ロナウドの存在により主に右ウィングでプレーすることとなった。

2013年9月14日のデビュー戦のビジャレアルCF戦で、公式戦における移籍後初得点を挙げた。11月30日のバリャドリード戦ではハットトリックを達成した。2014年4月16日のコパ・デル・レイ決勝のFCバルセロナ戦では決勝点を決め、チームに国王杯をもたらした。続く5月24日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝では、1-1で迎えた延長後半5分にディ・マリアのシュートの零れ球を頭で押し込む逆転弾を決めた。

2014年10月、ウェールズ代表戦にて肉離れを起こし戦線離脱。その間にイスコや新加入のハメス・ロドリゲスが活躍したことにより、ベイルのスターティングメンバー落ちを望む声も上がった が、リーガ第11節のラーヨ・バジェカーノ戦でスターティングメンバーとして復帰すると、前半9分に先制点を記録した。2014年のFIFAクラブワールドカップでは、2得点を挙げてチームメイトのセルヒオ・ラモスらと共に得点王になった。2015年に入ってからはしばらくゴールに見放され、自己中心的なプレーや守備への献身性の少なさなどもあって批判を受けた。


2015-16シーズンはリーガエスパニョーラでは23試合に出場し19得点を記録。チャンピオンズリーグでは得点はなかったが、決勝戦ではセルヒオ・ラモスのゴールをアシストした。その後、クラブの活躍や代表での活躍が評価され、アントワーヌ・グリーズマンやクリスティアーノ・ロナウドとともにUEFA欧州最優秀選手賞の最終候補に選ばれた。

2016-17シーズンは、2016年10月30日にレアル・マドリードとの契約を2022年まで延長したことが発表された。その後、11月22日のUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグ、スポルティングCP戦で右足首を負傷、手術を行ったことで年末に開催されたFIFAクラブワールドカップ2016も欠場を余儀なくされた。2017年2月18日、第23節のRCDエスパニョール戦で怪我から約3か月ぶりに復帰を果たして得点も決めたが、その後もコンディションが万全になることはなく、4月23日に行われた第33節、FCバルセロナとのクラシコで怪我の再発により前半39分で交代、このシーズンのリーグ戦は19試合出場に留まった。シーズン絶望と思われたが、故郷カーディフで開催された2016-17シーズン最終戦のUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦のユヴェントスFC戦には間に合い、後半77分から出場、チームは勝利して地元開催大会で優勝した史上6人目の選手となった。

2017年11月28日、CFフエンラブラダ戦でレアル・マドリード通算160試合目の出場となり、デビッド・ベッカムを超えて英国出身選手としてクラブ最多試合出場記録を更新した。このシーズンは前半戦は負傷の影響で十分な出場機会が得られなかったものの、シーズン後半を中心に多くの得点・アシストを記録し、高いパフォーマンスを見せた。2018年5月26日、リヴァプールFCとのチャンピオンズリーグ決勝ではベンチスタートとなったが、1-1で迎えた後半61分にイスコとの交代でピッチに立つと、64分にマルセロのクロスにバイシクルシュートで合わせて追加点を奪った。83分には距離のある位置から無回転シュートで2点目を決めた。決勝ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された。

2018-2019シーズンはオフにロナウドが移籍したことでBBCは解体されたが、自身はリーグの開幕から3試合連続でゴールを記録して幸先の良いスタートを切った。12月のFIFAクラブワールドカップは、レアル・マドリード初戦の鹿島アントラーズ戦でハットトリックを記録するなど活躍し、大会最優秀選手に選ばれた。2019年2月9日のアトレティコ・マドリード戦でレアルでの通算100得点を達成した。しかしその得点後のパフォーマンスで侮辱的な意味を持つジェスチャーをし、物議を醸した。3月にジネディーヌ・ジダンが監督に復帰すると出場機会は激減し、招集外にもなった。この指揮官とは以前就任していたときから緊張状態にあった。

オフにはジダン監督から「(退団が)明日になるようならその方がいい。」と言われるなど来季の構想外であることが明言された。退団は確実とみられ、中国1部江蘇蘇寧への加入が決定的との報道もあった。しかし移籍交渉はまとまらず、残留して2019-20シーズン開幕を迎えた。開幕戦に先発出場すると、先制点をアシストするなど高いパフォーマンスを発揮し、第3節のビジャレアルCF戦では2ゴールを決める活躍を見せたが退場処分を受けた。また、10月の代表戦で負傷し、クラブでは10月5日を最後に約1カ月間ピッチから遠ざかることとなった。11月のEURO2020予選に参戦し、19日のハンガリー戦試合後のチャントで『(優先順位は)ウェールズ、ゴルフ、(レアル)マドリー』と書かれた、ウェールズサポーターの国旗を掲げたことからマドリディスタより批判を受けた。その後はベンチ外になることが多く、出場しても低調なパフォーマンスに終始し、公式戦でわずか計3得点に終わった。

トッテナム・ホットスパー復帰
2020年9月19日、トッテナム・ホットスパーFCに2021年6月30日までの期限付き移籍で復帰することが発表された。11月1日、ホームでのブライトン戦で後半70分に途中出場すると、73分に同じくレアルマドリードから移籍してきたレギロンからのクロスをヘッドで合わせ、実に7年166日ぶりとなるトッテナムでの復帰後初得点を記録した。

代表経歴

2006年5月25日、ウェールズ代表としてトリニダード・トバゴ戦でデビューし、16歳315日のウェールズ代最年少記録を作った(2013年にハリー・ウィルソンが更新)。10月7日には、EURO2008予選スロバキア戦にて、フリーキックでウェールズ代表史上最年少ゴールを記録した。また、ベイルは祖母がイングランド人であることからイングランド代表としてプレーすることも選べたが、「ウェールズ代表としてプレーすることをとても誇りに思っている。僕のハートにはイングランド代表に対して奮い立つ気持ちはない」と声明を出している。

UEFA EURO 2016予選では7得点を上げ、ウェールズ代表史上初のUEFA EURO本大会出場に貢献した。2016年6月に行われたUEFA EURO 2016ではGL第1戦スロバキア戦で直接フリーキックを決め、ウェールズ史上初のUEFA EURO本大会得点者となり、UEFA EURO本大会初勝利に貢献した。続くGL第2戦イングランド戦でも直接フリーキックを決め、さらにGL第3戦のロシア戦でもゴールを決め、ウェールズ史上初となるUEFA EURO本大会グループステージ突破とベスト4入りに貢献した。

2018年3月22日の中国戦ではハットトリックを達成。この3ゴールで代表通算29得点とし、イアン・ラッシュを抜きウェールズ代表の最多得点記録を更新した。

プレースタイル

2015年のFIFAの調査によると、ベイルのドリブル時の速度は36.9 km/hで世界最速である。

フリーキックのキッカーとしてはボールを擦り上げるように蹴りトップスピンを与え、壁を超えてから急激に落下するドライブシュートを得意としている。スペインの新聞紙「エル・ムンド」はこの試合でのベイルを「スティーブ・オベットの様に走ることができ、ブライアン・ハバナのような体格を持ち、ブラジル人のような曲がるボールを蹴ることが出来る選手である」と絶賛した。また、同じくウェールズ出身のサッカー選手ライアン・ギグスにプレースタイルが似ているため、ギグスの後継者ともいわれていた。

ピッチ外では穏やかな性格の持ち主として知られ、トッテナムの元監督であるハリー・レドナップは「性格が凄くいい子なんだ。あんなに感じが良くて手がかからない子はそういないよ。」と発言している

私生活

高校生時代からの恋人であったエマ・リース=ジョーンズとともに暮らしており、娘2人、息子1人の父親である。一切、アルコールを口にしない主義である。

趣味のゴルフはアマチュアとしては高い腕前を持つとされ、クレイグ・ベラミーらとチャリティーのゴルフトーナメントに出場した経験もある。ウェールズの自宅には全英オープンやマスターズ・トーナメントのレプリカコースを3ホール再現した。一方、度重なる負傷の原因として休養をせずゴルフをしているとスペイン紙「マルカ」などに報じられたり、スペインに適応できず数日間の休みでもウェールズの自宅で過ごすことなどをティボ・クルトゥワらにゴルフィスタ(ゴルフプレイヤー)と揶揄されるなどしばしばゴルフ熱が議題に挙がることがある。

2018年10月、税金未払いが発覚し、税務局から4300万円の支払いを命じられた。

引用元:wikipedia

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