アンジェ ポステコグルー

所属
前所属先 -
背番号 -
ポジション 監督
生年月日 1965年08月27日(56歳)
身長 / 体重
出身地 オーストラリア

アンジェ ポステコグルーの情報

アンジェ・ポステコグルー(Ange Postecoglou、1965年8月27日 - )は、ギリシャ出身のサッカー選手、指導者。元オーストラリア代表選手、監督。オーストラリアサッカー史上最も成功した監督の一人と称されている。現在は横浜F・マリノス監督。

経歴

ギリシャのアテネで生まれ、5歳の時にビクトリア州メルボルンに移住した。

クラブキャリア
1984年から1993年にかけて、オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ(NSL)のサウス・メルボルンで193試合に出場し、その間に1984年、1990-91年のタイトルを獲得している。また、コーチ業に就くまでに主将としてチームを牽引した。

代表キャリア
1986年から1988年にかけてはユース代表を中心として国際試合で活躍した。また、1985年にはユースレベルではオーストラリアを代表する選手となっていた。

監督キャリア
サウス・メルボルン
ポステコグルーは1996年から2000年までサウス・メルボルンを指揮した。チームは1997-1998シーズン、1998-1999シーズンと連覇を飾り、1999年のOFCチャンピオンズリーグに優勝し、2000年のFIFAクラブワールドカップにも参戦した。1999-2000のNSLシーズンが終わると、サウス・メルボルンの監督の座を辞し、オーストラリアユース代表監督になった。彼はサウス・メルボルンでただひとりの4回のタイトルホルダー(選手として2回、監督として2回)である。

ヤングサッカールーズ
国内での監督業の成功に続いて、ポステコグルーは2000年のオリンピックに向けてのユース年代(ヤングサッカールーズ)の強化にあたった。彼の在職期間中、彼は選手の力量を測り、育成していった。TV番組「ワールドショー」ではスタジオ解説者のクレイグ・フォスターとオンエア場で熱く議論した。彼は2007年に、同年のFIFA U-20ワールドカップの出場権を取り逃し、監督の座を降りた。ユースの監督を降りたあとは、FOXスポーツのサッカー解説者と、ビクトリア州サッカー連盟のエリートコンサルタントをしていた。

パナハイキ
2008年3月、彼は母国ギリシャ3部リーグのクラブ、パナハイキ・パトラス(英語版)の監督を引き受けた。その後、同年12月に監督を辞任している。

ブリスベン・ロアー
2009年10月16日、ポステコグルーは前任者のフランク・ファリーナの跡を継ぐ、新しいブリスベン・ロアーの監督としてサインした。彼はまず、チーム再建のために、リアム・レディ(英語版)、クレイグ・ムーア、チャーリー・ミラー、トミー・オアー、マイケル・ズロらをレギュラーから外し、オランダのユトレヒトからアダム・サロタを獲得し、ストライカーのセルジオ・ファン・ダイクをアデレード・ユナイテッドFCに売却した。引き継いでから、シーズン後に彼が出した答えは、勝利とエンターテインメントのフットボールとして批評された。ロアーのボール支配率の高さは、バルセロナに例えて、「ロアセロナ」という名を得た。

第13節でのアデレード戦で4-0という結果を残すと、メディアはAリーグ史上最高のゲームだったと高く賞賛した。ポステコグルーはロアーを2010-2011シーズンのリーグ戦とカップ戦を制し、グランドファイナル(優勝決定プレーオフ)でも、ラング・パークに集った52,168人の観衆の前で、ペナルティキック戦(PK戦)での決着ではあったものの4-2でセントラルコースト・マリナーズを下した。このシーズンのロアーはたった1試合しか負けることはなく、36試合負けなしで、以前からのオーストラリア記録を打ち破った。2011年3月18日、2013-2014シーズンまでの2年間の契約延長をした。

2011-2012シーズンにロアーがAリーグ史上初のグランドファイナル連覇を果たし、ポステコグルーは4つのタイトルを獲得した、オーストラリア国内で最も成功した監督となった。

2014年4月24日、ポステコグルーはロアーの監督を辞任すると発表した。2年半の在職中、Aリーグの優勝争いを演じることができた上、AFCチャンピオンズリーグ予選にも連続して出場することができた。

メルボルン・ヴィクトリー
2012年4月26日、Aリーグのメルボルン・ヴィクトリーと3年契約で監督の契約をした。ポステコグルーはチームの再建をするにあたって、マシュー・ケンプ、グラント・ブレイブナー、ロドリゴ・バルガス、トム・ポンデリャク、カルロス・エルナンデス、ハリー・キューウェル、ジーン・カルロス・ソロルサノ など主力クラスの放出を行い、ギルヘルム・フリンカー、アダマ・トラオレ、マルコス・フロレス、マーク・ミリガンなどを、かき集めた。

ポステコグルーの最初のヴィクトリーでの試合は、第1節でダービーマッチであるメルボルン・ハートと対峙して、1-2で敗れた。初勝利は第4節の2-1でのアデレード・ユナイテッド戦まで待たねばならなかった。翌年、ヴィクトリーは、ドックランズ・スタジアムで初のグランドファイナル予備戦に挑み、2-1でパース・グローリーに勝利した。続くセントラルコースト・マリナーズには1-0で敗れた。

オーストラリア代表
ポステコグルーは、2013年10月23日に、前任のドイツ人監督、ホルガー・オジェックのブラジル、フランス戦での連戦の0-6での、惨敗の責任を取らされる形で解任された後を受けて、5年契約でオーストラリア代表監督を引き受けた。彼には代表チームの世代交代が課せられ、2006年ワールドカップ出場の黄金世代に頼りすぎて以来、成績も停滞していた。彼の最初の試合はホームでのコスタリカ戦で、ティム・ケーヒルのゴールで1-0で勝利した。

2014年のワールドカップでは、オーストラリアは前回ワールドカップ王者のスペイン、準優勝のオランダと、チリと同じグループBに入った。初戦は冴えないスタートとなり、ティム・ケーヒルの1得点にとどまり、南米のチリに1-3で敗戦した。2戦目のオランダ戦は善戦はしたものの2-3で敗れ、スペインと共に早くもグループリーグ敗退が決定した。オーストラリアのファンはこのタフなグループでの健闘を称えた。最終戦の前回優勝のスペインとの試合は、0-3で敗れはしたが、この難しいグループでの試合の中で新しい世代の選手の芽が出始めていた。

ワールドカップは低調な結果に終わったが、引き続き、ポステコグルーは代表監督として指揮にあたった。グループリーグではクウェートに4-1と快勝、オマーンに1-0と競り勝ったが、韓国には0-1で敗れた。2位でグループリーグを突破したオーストラリアは、トーナメントで中国に2-0、準決勝でUAEに2-0と勝ち抜き、決勝で再び韓国と対戦、延長戦の末、2-1で勝利し、初めてのアジアカップを手にした。

2018年のワールドカップに向けて、大陸間プレーオフを勝ち抜いた。しかし、その2週間後の11月22日に、ポステコグルーは代表監督を辞任した。

横浜F・マリノス
2017年12月19日に、2018年シーズンより横浜F・マリノスの監督に就任することが公式サイトから発表された。

2018年シーズンは、J1リーグでは12勝5分17敗となり、16位でJ1参入プレーオフに出場したジュビロ磐田とは同じ勝ち点であったが得失点差で12位となりJ1に残留。それまで守備のチームと言われたマリノスに、ハイライン、ハイプレスによる超攻撃的サッカーを持ち込んだものの、過密日程や守備の主軸であった中澤佑二の負傷離脱、戦術と選手層のギャップが不振の要因であった。しかし、シーズン後半は夏に補強したチアゴ・マルチンスを中心に守備が安定し、また、仲川輝人らのブレイクにより基礎を築くことはできた。天皇杯は4回戦で敗退。ルヴァンカップでは準優勝となった。

2019年シーズンは、エジガル・ジュニオ、マルコス・ジュニオール、三好康児らを獲得、昨シーズン途中に加入した畠中槙之輔のブレイクによって序盤から好調を維持。畠中は活躍が評価され、J1での出場が8試合であったのにもかかわらず日本代表に初招集された。夏にエースとなっていたエジガル・ジュニオを怪我で失うものの、緊急補強で加入したエリキやマテウスらの途中加入選手を活用して、J1では22勝4分8敗、シーズン後半の11戦を10勝1引き分けという破竹の勢いでクラブにタイトルをもたらした。同年のJリーグアウォーズにおいてJ1優勝監督賞を受賞した。

引用元:wikipedia

アンジェ ポステコグルーの記事

記事はまだありません。

横浜F・マリノスの他の選手

樺山 諒乃介

梶川 裕嗣

マルコス ジュニオール

天野 純

オナイウ 阿道

中林 洋次

伊藤 槙人

小池 龍太

オビ パウエル オビンナ

前田 大然

平井 駿助

松原 健

同世代の同じポジションの選手

ステファノ・ピオリ

ハンス・ディーター・フリック

アルバロ・セルベラ

長谷川 健太

クリスティアン・シュトライヒ

マルセリーノ

他の選手(ランダム表示)

マルコ・リヒター

クリスティアン・ウォルトン

イーサン・アンパドゥ

樺山 諒乃介

マッティア・バニ

石津 大介

マヌエル・ガラン・ウベロ

クリスチャン・クアメ

シェイク・ドゥクレ

マルコ・ジョン

タイオ・アウォニイ

エディミルソン・フェルナンデス

2021年2月3日

-横浜F・マリノス
-