所属 | ベガルタ仙台 |
---|---|
前所属先 | 横浜FC |
背番号 | 19 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1991年10月09日(33歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 84kg |
出身地 | 東京 |
所属 | ベガルタ仙台 |
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前所属先 | 横浜FC |
背番号 | 19 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1991年10月09日(33歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 84kg |
出身地 | 東京 |
皆川 佑介(みながわ ゆうすけ、1991年10月9日 - )は、東京都立川市生まれ、埼玉県所沢市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。Jリーグ・ベガルタ仙台所属。元日本代表。
来歴
プロ入り前
兄の影響で立川市の幼稚園時代からサッカーを始める。
1999年小学2年から埼玉県所沢市へ転居する。所沢サッカークラブジュニア、所沢ジュニアユース出身。金子昌広は所沢JYの1年先輩であり、親戚でもある。当時はサイドバックでプレーしていた。
2007年、群馬県のサッカー強豪校・前橋育英高等学校へ越境入学。2年先輩に青木拓矢・廣瀬智靖、1年先輩に六平光成・佐藤穣、同期に中美慶哉、1年後輩に小島秀仁、2年後輩に横山翔平。入学当初は様々なポジションを経験し、2008年高校2年の頃から本格的にFWを始める。同年の選手権ベスト4、2009年高校3年時インターハイ優勝を飾る。
2010年、高校の先輩である六平の後を追う形で中央大学へ進学、古豪・中央大学学友会サッカー部に所属する。同期に高瀬優孝、澤田崇、シュミット・ダニエル。林容平の控えとして試合出場を重ね、2012年大学3年時にレギュラーを掴み安柄俊とともに活躍するも、同年9月左膝前十字靭帯断裂および半月板損傷する。国立スポーツ科学センターでリハビリを続け、復帰後2013年ユニバーシアード日本代表に選出され 3位入賞。大学卒業の際には複数クラブから獲得オファーがあった。
サンフレッチェ広島
2014年、サンフレッチェ広島とプロ契約。同期入団は、茶島雄介、ビョン・ジュンボン、高橋壮也、大谷尚輝、川辺駿、宮原和也。茶島とは共に2013年ユニバ日本代表。同年6月練習試合で結果を残したことから評価を上げ、同年7月からJリーグで試合出場を重ねていた。そこに新しく日本代表監督に就任したハビエル・アギーレによりA代表に大抜擢され、同年9月5日その初戦であるキリンチャレンジカップ・ウルグアイ戦で日本代表デビューを果たした。なおAFCアジアカップ2015予備登録メンバーの選出されたものの、A代表に呼ばれたのは2017年現在この時だけである。
2015年、開幕後暫くはベンチスタートが続いていたが徐々にベンチ外になることが増える。夏以降、調子を取り戻し天皇杯では2回戦広島経済大戦から3試合連続ゴールを決める。またFIFAクラブワールドカップ2015ではオークランド・シティFCとの開幕戦に先発してオープニングゴール得点をあげた。
2016年、リーグ開幕からベンチ入りを続けるも新加入したP・ウタカの前に出場機会が得られなかったが、ACL2016を中心に出場機会を増やす。特にGL第6節FCソウルでは見事なダイビングヘッドを決めて勝利に貢献した。その後、チームに負傷者が続出した事に因る3-6-1から3-5-2へのシステム変更によって出場機会が増加。J1・2nd第3節(H)横浜FM戦では自身リーグ戦2年ぶりとなる貴重な同点弾を決めた。
2017年シーズンは18試合に出場したもののレギュラーの座を確保しきれず、途中出場が多くなっていた。
2018年、ロアッソ熊本へ期限付き移籍。熊本は9勝7分け26敗と低迷しJ3降格が決まったが、自身は前線からの献身的な守備と堅実なポストプレーで監督の渋谷洋樹から信頼を獲得した。主に3‐1‐4‐2の2トップや3‐2‐4‐1の1トップとしてプレーした。開幕戦での得点を皮切りにキャリアハイとなる41試合11ゴール6アシストを記録しチーム内得点王となった。
横浜FC
2019年7月14日、横浜FCへの完全移籍が発表された。引用元:wikipedia
2021年2月3日