所属 | 浦和レッズ |
---|---|
前所属先 | - |
背番号 | - |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1974年04月03日(50歳) |
身長 / 体重 | |
出身地 | スペイン |
所属 | 浦和レッズ |
---|---|
前所属先 | - |
背番号 | - |
ポジション | 監督 |
生年月日 | 1974年04月03日(50歳) |
身長 / 体重 | |
出身地 | スペイン |
リカルド・ロドリゲス・スアレス(スペイン語: Ricardo Rodríguez Suárez, 1974年4月3日 - )は、スペイン・オビエド県オビエド出身のサッカー指導者。
来歴
レアル・オビエドのユースでプレーしていた17歳のときに試合中に左膝十字靱帯を断裂。選手としてのキャリアを断念して指導者を志す。24歳で指導者となり、レアル・オビエドのリザーブチームアシスタントコーチを皮切りに指導者としてのキャリアを重ね、2003年からはメキシコにあるレアル・マドリードのアカデミーのダイレクターも務めた。また、スポーツ科学を学ぶために1994年から1998年までア・コルーニャ大学、2000年から2002年までオビエド大学で学んだ。2003年から2006年までスペインサッカー連盟が発行するUEFAプロライセンス(英語版)を取得した。
2007年2月5日、ロドリゲスは解任されたジョアン・カリージョ(スペイン語版)に代わって、テルセーラ・ディビシオンに所属するジローナFCのトップチームの監督に就任し、2006-07シーズン終了まで指揮を執った。プレーオフではRFDアルカラ(スペイン語版)を下して昇格を果たした。
2007年6月25日、マラガCFのBチーム(アトレティコ・マラゲーニョ(スペイン語版))の監督となったが、程なくしてフアン・ムニスが監督を務めるトップチームのアシスタントコーチに任命され、2007-08シーズンに翌シーズンのラ・リーガ昇格を決めた。2008年7月、同クラブのスポーツディレクターに任命された。2010年3月4日、同クラブを退いた。
2011年8月、サウジアラビアサッカー連盟と3年契約を交わした。まずテクニカルアドバイザーとして着任し、その後は2012年8月に代表チームのスタッフに加わり、フランク・ライカールトの下で働いた。2013年1月にライカールトの後任にフアン・ラモン・ロペス・カロが就くと、ロドリゲスはU-17代表チームの監督に就任した。
2013年7月4日、セグンダ・ディビシオンに所属するジローナに監督として復帰した。下位に低迷し、12月19日に辞任した。
2014年1月19日、ロドリゲスはタイ・プレミアリーグのラーチャブリーFCの監督に就任した。タイでの1年目は、ラーチャブリーにとってクラブ史上最高順位となる4位でシーズンを終えた。シーズン終了後の11月に同クラブを離れ、直後に同リーグのバンコク・グラスFCと契約した。2015シーズンの国内リーグで30試合を終えた後、ロドリゲスは解任された。2016年3月、スパンブリーの監督に任命された。。就任から3ヶ月後の6月28日、同職を辞任した。
2017年に徳島ヴォルティスの監督に就任した。2020年シーズンはJ2優勝ならびにJ1昇格を達成した。
2020年12月22日、2021年シーズンより浦和レッズの監督に就任することが発表された。引用元:wikipedia
2021年2月3日