チョン ソンリョン

所属
前所属先 水原三星ブルーウィングス/大韓民国
背番号 1
ポジション GK
生年月日 1985年01月04日(39歳)
身長 / 体重 191cm / 91kg
出身地 韓国

チョン ソンリョンの情報

鄭 成龍(チョン・ソンリョン、チョン・ソンニョン、정성룡、1985年1月4日 - )は、大韓民国・済州特別自治道済州市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。元韓国代表。ポジションはゴールキーパー。

来歴

京畿道城南で生まれる。小学5年生のときにサッカーを始め、中学2年生でゴールキーパーに転向する。高校は済州島にある西帰浦高校に進学。

2003年にKリーグ・浦項スティーラースに入団。最初の3年間はチームに韓国代表の金秉址がいたため公式戦出場はなかったが、金秉址が移籍した2006年からは出場機会を得て、申和容とポジションを争うようになった。浦項がリーグ優勝した2007年シーズン、鄭成龍は代表での活動や負傷もあり出場数は多くなかったが、プレーオフでは5試合すべてにフル出場した。2008年に城南一和天馬(現:城南FC)に移籍。兵役でチームを離れた金龍大の後釜として加入し 正GKとして安定したプレーを続けた。移籍3年目の2010年にはAFCチャンピオンズリーグに優勝した。

2011年に水原三星ブルーウィングスへ完全移籍。ここでも正GKの座を守り5年間プレーしACLにも3度出場した。

2016年よりJリーグ・川崎フロンターレに完全移籍。同クラブにとっては初の韓国代表選手となる。加入1年目からレギュラーとして出場し、

2017年、守護神としてポジションを確立すると、シーズン通して安定したパフォーマンスを発揮した。クラブ初のリーグ優勝に貢献。

2018年もレギュラーとして出場し2年連続のリーグ優勝に貢献、自身もJリーグベストイレブンに初選出された。

2019年4月14日のサガン鳥栖戦でリーグ通算100試合出場を達成した。 しかし、夏頃からパフォーマンスの低下により、凡ミスが目立った。その結果、控えだった新井章太にポジションを奪われ、控えに回った。その後、33節横浜F・マリノス戦で、久々のスタメン出場を果たす。

2020年は新井の移籍に伴い、ポジションを再確保すると、昨年と打って変わってハイパフォーマンスを披露。来日後初となる、リーグ戦全試合フル出場を果たし、自身2度目となるJリーグベストイレブンに選出された。

代表

2006年に初招集されたものの、当時は正GKの李雲在だけでなく、金龍大、金永光といった実績のあるメンバーがいたためベンチにすら入れない機会が続いた。

しかし2007年末に李がトラブルを起こし、2年間の代表出場停止処分となったため、2008年1月30日のチリ戦で代表デビューを飾る。その後も2010年FIFAワールドカップのアジア地区予選7試合に出場し3失点に抑えた。同年の北京オリンピック代表にも選ばれ全3試合に出場したが、1勝1敗1分けの3位で決勝トーナメント進出はならなかった。

李の復帰後はベンチに入る機会が多かったことから、本大会でもベンチに入ることが確実視された。しかし、李の不調や鄭成龍が瞬発力と空中戦に強さがあることから、本大会では正GKに抜擢され、全4試合に出場。決勝トーナメント進出を果たした。李は大会後に代表を引退し、その後は鄭成龍が正GKとして定着している。

2012年のロンドンオリンピックにもオーバーエイジ枠として選ばれ、グループリーグでは全試合に出場、1失点に抑え1勝2分けの2位で決勝トーナメントに進出、準々決勝では地元・イギリス相手に1-1の場面で勝ち越しを許すピンチの場面でアーロン・ラムジーのPKをセーブ、その後自身は後半途中に負傷し、李範永と交代、その後PK戦にもつれ込んだが、李が5人目のダニエル・スタリッジのシュートを横っ飛びでセーブし、韓国は初の準決勝に進出した。準決勝のブラジル戦では負傷の関係もあってベンチだったものの、3位決定戦での日本戦では再びスタメンに復帰、無失点に抑え、アジア勢では1968年メキシコシティーオリンピックでの日本と並ぶ、韓国史上初となる銅メダルを獲得した。

この活躍により、オリンピック韓国代表の監督を務め、2014 FIFAワールドカップ出場決定後に崔康熙の後任として、代表監督に就任した洪明甫の信頼を掴み、2013年頃からリーグ戦での不調や安定感を欠く場面が見られたが、2014 FIFAワールドカップ本大会でも正GKの座を勝ち取った。 しかし、初戦のロシア戦では1点リードを守り切れず、勝ち点3を逃すと、第2戦のアルジェリア戦では自身の判断ミスもあり、4失点で敗戦、最終戦のベルギー戦ではKリーグで最高の防御率0点台を記録した金承奎にスタメンの座を譲った。韓国はベルギーにも敗れ、1分け2敗の勝ち点1の最下位に終わり、2大会ぶりの1次リーグ敗退、未勝利での敗退は1998 FIFAワールドカップ以来16年ぶりの出来事であった。

エピソード

2008年7月27日、北京オリンピック代表でのコートジボワールとの親善試合で、自陣からのロングキックがそのまま相手ゴールに入った。

私生活においては、2008年に結婚。妻は2006年度のミス・コリア。南アフリカワールドカップ中の6月18日に長男が産まれた。そのこともあって大会中、チームがゴールを決めると、「ゆりかご」のダンスをした。

2017年には川崎フロンターレの副キャプテンを務めた。

2018年度JリーグAWARDS表彰式の壇上で、「憧れの選手は川口能活」と答え、会場を沸かせた。

引用元:wikipedia

チョン ソンリョンの記事

記事はまだありません。

川崎フロンターレの他の選手

鬼木 達

大島 僚太

旗手 怜央

登里 享平

脇坂 泰斗

イサカ ゼイン

塚川 孝輝

山根 視来

丹野 研太

レアンドロ ダミアン

小塚 和季

ジョアン シミッチ

同世代の同じポジションの選手

フィリップ・ペントケ

フィリップ・チャウナー

松井 謙弥

スコット・カーソン

ミヒャエル・ランガー

ウカシュ・ファビアンスキ

ダニエレ・パデッリ

他の選手(ランダム表示)

ステフェン・ティゲス

アラン・サン・マクシマン

マット・リッチー

家長 昭博

ファウスティノ・アンジョリン

シモーネ・イアコピーニ

ロベルト・フィルミノ

クサファー・シュラーガー

ダミアン・カジョル

林 尚輝

アレッサンドロ・デイオラ

林 瑞輝

2021年2月3日

-川崎フロンターレ
-