所属 | レアル・マドリッド |
---|---|
背番号 | 11 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1996年01月21日(28歳) |
身長 / 体重 | 182cm / 76kg |
国籍 | スペイン |
所属 | レアル・マドリッド |
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背番号 | 11 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1996年01月21日(28歳) |
身長 / 体重 | 182cm / 76kg |
国籍 | スペイン |
マルコ・アセンシオ・ウィレムセン(Marco Asensio Willemsen、1996年1月21日 - )は、スペイン・バレアレス諸島パルマ・デ・マヨルカ出身のサッカー選手。レアル・マドリード所属。スペイン代表。ポジションはミッドフィールダー。
幼少期
マルコ・アセンシオは、スペイン・バイアレス諸島州マヨルカ島パルマでバスク人の父とオランダ人の母(2011年に他界)との間に生まれた。ファーストネームであるマルコは、マルコ・ファン・バステンのファンであった母親によってつけられた。
マヨルカ島最大の都市であるパルマ・デ・マヨルカから15km離れたノバマジョルカでプレーしていたところスカウトの目に止まり、地元のRCDマヨルカに入団。
クラブ経歴
RCDマヨルカ
2006年、RCDマヨルカの下部組織からキャリアが始まった。当時アセンシオの年齢で入るカテゴリーがなかったため、2歳年上の子供達に混じってプレーした。
幼少時から将来が嘱望されており、その頃からレアル・マドリードやFCバルセロナも注目していたと言われている。17歳となった2013年10月のセグンダ・ディビシオン、レクレアティボ・ウエルバ戦でトップチームデビュー。
レアル・マドリード
2014年12月、マヨルカ島出身のテニスプレイヤーであるラファエル・ナダルの進言もあり、スペインの強豪レアル・マドリードへ移籍。移籍金は約350万ユーロと報じられている。
2014-15シーズンはレンタル移籍という形でそのままRCDマヨルカに残留した。2015年8月4日に行われたアウディカップ2015のトッテナム戦にて、67分にスペイン代表MFイスコとの交代でピッチに立ち、マドリードデビューを果たした。2015年8月20日、1年間のRCDエスパニョールへのレンタル移籍が発表された。
RCDエスパニョール
2015年9月19日に行われた第4節のレアル・ソシエダ戦でスタメンに抜擢されトップリーグのデビューを飾ると、22日に行われた第5節のバレンシアCF戦でも先発出場。そのうえ、いずれの試合でもゴールを演出し、チームの連勝に貢献した。
レアル・マドリード
2015-16シーズンでRCDエスパニョールとのレンタル移籍満了でレアル・マドリードへ復帰、プレーシーズンマッチにて存在感を示す。その活躍が認められて、UEFAスーパーカップのセビージャFC戦にスタメンとして出場、前半21分にミドルシュートのスーパーゴールを決め、レアル・マドリードでの初ゴールを記録した。8月16日に入団セレモニーが行われ、その中で前年までヘセ・ロドリゲスが背負っていた20番を着用することが正式に発表された。
2016-17シーズンでは2016年10月18日、欧州CL第3節のとレギア・ワルシャワ戦でCLデビューを飾り、初得点をあげる活躍を見せた。2017年4月18日、欧州CL・準々決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では2ndレグで得点をして勝利に貢献した。2017年6月3日、欧州CL決勝のユヴェントスFC戦では途中出場からチームの4点目となるゴールを決め、史上初のCL連覇に貢献した。
2017年8月16日、スーペルコパ・デ・エスパーニャの第2戦で先発すると、FCバルセロナに得点を決めて優勝に貢献した。2018年2月18日、レアル・ベティスとの試合でレアル・マドリードの通算6000得点目を記録した。
2018年9月29日に行われたリーガ・エスパニョーラ第7節のアトレティコ・マドリード戦で先発メンバーに名を連ね、フル出場。2016年8月9日のUEFAスーパーカップ、セビージャ戦でデビューしてから約2年2カ月で通算100試合出場を達成した。
2019年7月23日、アーセナルFCとのプレシーズンマッチでピエール=エメリク・オーバメヤンとの接触の際に左膝を負傷し、号泣しての負傷退場となった。プレシーズン開始前に行われたフィジカルテストではチーム1位となる結果を出し、この試合ではゴールを決めるなど好調だった矢先の出来事で、負傷退場の際にはチームメイトのアルバロ・オドリオソラが涙するなど、大きな衝撃が走った。試合終了直後から重傷説が囁かれていたが、検査の結果、左膝前十字靭帯断裂および外側半月板の損傷の重症と発表された。8月7日に手術を受けたが、2019-20シーズンは絶望的と報じられた。一部では、同様の怪我により輝きを失った元レアル・マドリードのFWヘセ・ロドリゲスを引き合いに、選手生命が危ぶまれる程の大怪我との見解もあった。同年9月からリハビリを開始、2020年1月からはボールを使った練習を開始したと報じられ、回復次第ではシーズン終盤の復帰に光明が差した。当初ジダン監督やクラブはシーズン中の無理な起用は控える方針であったものの、新型コロナウイルス感染症の流行により3月上旬にはリーガ・エスパニョーラの一時中断。その期間も回復に充てられたため、5月中のチーム練習再開が報じられた。
2020年6月18日、バレンシア戦の後半29分から途中出場し復帰を果たした。その直後、フェルラン・メンディのクロスに復帰後ファーストタッチとなるボレーシュートでゴールを決めた。この試合ではカリム・ベンゼマのゴールもアシストするなど復帰戦で途中出場ながら1ゴール1アシストの結果を残し、34回目のリーグ優勝を目指すチームの勝利に大きく貢献した。
代表経歴
2015年にギリシャで行われたU-19欧州選手権では、U-19スペイン代表の10番としてプレーし、準決勝のフランス戦では、試合終盤に立て続けて2ゴールを記録しスペインを決勝に導いた。決勝では、グループステージで敗れているロシアと対戦して2-0と勝利し、スペインのここ14年で7回目となる優勝に貢献した。
また母親がオランダ人ということでオランダ国籍も保有していることから、オランダ代表も招集を検討しているとも報じられていたが、本人はスペイン代表入りを希望しており、UEFA EURO 2016の予備メンバーに選出され、親善試合のボスニア・ヘルツェゴビナ戦に出場した。この時点ではまだオランダ代表入りも可能であったが、2016年9月5日に行われた2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選の対リヒテンシュタイン戦で途中出場を果たし、スペイン代表の公式戦に出場したため、オランダ代表入りは消滅した。
2017年6月、U-21欧州選手権のメンバーに選出。6月21日、初戦のU-21マケドニア戦ではハットトリックを決めて勝利に貢献した。その後もU-21セルビア戦を除いてスターティングメンバーに選ばれた。大会での得点はマケドニア戦のみに終わったが、同郷のサウール・ニゲスに次ぐ得点ランキング2位タイ(ブルーマと同得点数)となった。
2018 FIFAワールドカップの参加メンバーに選ばれた。グループリーグ初戦のポルトガル戦ではプレー機会がなかったが、残り2試合はともに途中出場した。決勝トーナメント、ロシア戦はスターティングメンバーに選ばれたが、PK戦の末敗れた。
9月11日のUEFAネーションズリーグ、クロアチア戦で代表初ゴールを記録した。引用元:wikipedia
2021年1月31日