シニシャ・ミハイロヴィッチ

所属
背番号
ポジション 監督
生年月日 1969年02月20日(55歳)
身長 / 体重
国籍 セルビア

シニシャ・ミハイロヴィッチの情報

シニシャ・ミハイロヴィッチ(セルビア語: Синиша Михајловић/Siniša Mihajlović、1969年2月20日 - )は、ユーゴスラビア(現クロアチア)・ヴコヴァル出身の元ユーゴスラビア代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。愛称は「グランシニストラ(偉大なる左足)」。

現在はセリエA・ボローニャFCの監督を務めている。2019年7月13日に記者会見で自身の白血病を公表した。

経歴

ユーゴスラビアのクラブチーム・ヴォイヴォディナでデビュー。1990-91シーズン途中にレッドスター・ベオグラードへ当時の国内移籍金最高額で移籍、主力選手として活躍を見せ、1991年5月16日の対フェロー諸島戦でユーゴスラビア代表デビューを果たした。UEFAチャンピオンズカップ 1990-91準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦セカンドレグでは得意のフリーキックで先制ゴールを挙げ、後半ロスタイムにはクロスでクラウス・アウゲンターラーのオウンゴールを誘発し土壇場で決勝進出を決め、決勝のオリンピック・マルセイユ戦でもPK戦でキックを成功させ優勝に貢献した。また同年12月に開催されたトヨタカップでもダルコ・パンチェフのゴールをアシストし優勝に貢献した。

1992-93シーズンにはセリエA・ローマへ移籍、3月28日、ブレシア戦で直接FKでセリエA初ゴールを奪った。1994-95シーズンから移籍したサンプドリアではレッドスター時代のチームメート、ヴラディミル・ユーゴヴィッチと再びチームメートとなった。スヴェン・ゴラン・エリクソンの指揮の下で、はじめてリベロでのプレーをするようになり、スーペルコッパ・イタリアーナのACミラン戦で直接FKから移籍後ゴールを挙げ、リーグ開幕節のパドバ戦で移籍後リーグ戦初ゴールを挙げた。1998-99シーズンからはエリクソンの後を追う形でラツィオへ移籍した。

1998年のフランスW杯では内戦による混乱から久々に国際舞台に復帰したユーゴスラビア代表としてプレー、グループリーグ初戦のイラン戦でフリーキックを決め、第3戦のアメリカ戦ではコムリエノビッチの決勝ゴールをアシストし、ベスト16入りに貢献した。1998-99シーズン、12月18日、第13節のサンプドリア戦ではフリーキックのみでのハットトリックを達成、同シーズンは決勝でマヨルカを2-1と破りUEFAカップを優勝、翌シーズンはセリエA制覇、コッパ・イタリアの2冠に貢献する活躍をみせた。

2000年にはEURO 2000に出場した。2005-06シーズン、引退直前インテル時代の4月8日第33節のアスコリ戦では、の直接フリーキックによるゴールを挙げている(セリエA史上最多(28得点目))。現在はこの記録をアンドレア・ピルロと分け合う形で記録を保持している。

指導歴

現役引退後はインテルでロベルト・マンチーニのアシスタントコーチとして2年間を過ごした。2008年11月にボローニャの監督に就任したが、成績不振により2009年4月に解任された。2009年12月からはカターニアの監督に就任した。

2010年5月末にカターニアの監督を辞任、続く6月3日にはフィオレンティーナがチェーザレ・プランデッリの後任として就任すると発表。

2011年11月、成績不振により解任された。 2012年5月、セルビア代表監督に就任。しかし、2014年ワールドカップ予選突破に失敗し、2013年11月辞任。 その後、サンプドリアの監督に途中就任すると、チームを残留に導く。そして2014-15シーズンはサンプドリアをUEFAヨーロッパリーグ出場権を勝ち取るほどの躍進へと導いた。2014-15シーズン終了後、サンプドリア監督を辞任。

2015年6月16日、2年契約にてミランの監督に就任することが発表された。2016年4月12日、ミランの監督を解任された。

2016年5月25日、トリノの監督に就任し、2016-17シーズンは9位、コッパ・イタリアは16強で終えた。2018年1月4日成績不振で解任された。

2018年6月18日、サポーターによる襲撃及び選手の退団といった混乱が続くスポルティングCPの監督として招聘されたが、9日後に解任となることが発表された。

2019年1月29日、ボローニャFCの監督に就任した。

人物

レッドスター時代には女性ファンからの人気を集め、アパレルメーカーのモデルを務めていた。

引用元:wikipedia

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