所属 | ユヴェントスFC |
---|---|
背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1992年10月23日(32歳) |
身長 / 体重 | 189cm / 85kg |
国籍 | スペイン |
所属 | ユヴェントスFC |
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背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1992年10月23日(32歳) |
身長 / 体重 | 189cm / 85kg |
国籍 | スペイン |
アルバロ・ボルハ・モラタ・マルティン(Álvaro Borja Morata Martín、 1992年10月23日 - )は、スペイン・マドリード出身のサッカー選手。セリエA・ユヴェントスFC所属。スペイン代表。ポジションはフォワード。
クラブ経歴
レアル・マドリード
2008年にヘタフェのユースからレアル・マドリードへ移り、フベニールCでプレーを始める。2010年6月には、フベニールAで34得点を挙げて2つのユースタイトルを獲得し、レアル・マドリード・カスティージャへ昇格した。その後、トップチームの監督を務めるジョゼ・モウリーニョは、モラタを含め5人の下部組織の選手をプレシーズンのアメリカ遠征に帯同させた。カスティージャでのデビュー戦となった8月15日のアルコルコンとの親善試合では、その試合唯一の得点を決めて勝利に貢献した。12月12日のレアル・サラゴサ戦でトップチームに招集されたモラタは、後半終了間際にアンヘル・ディ・マリアとの交代で出場し、トップチームデビューを果たした。その10日後、レバンテとのコパ・デル・レイでも後半77分から途中出場した。2011年2月13日のデポルティーボ・ラ・コルーニャBとの試合で初のハットトリックを記録した。2011-2012シーズンは17ゴールを記録し、Bチームの2部昇格に貢献した。前シーズンの活躍が認められ、2012-2013シーズンよりトップチームに昇格する事が決定した。しかし、トップチームでは安定した出場機会を得ることが出来なかった。
ユヴェントス
2014年7月、ユヴェントスへの移籍が決定。移籍金は2000万ユーロ、契約は5年間。なお、最初の3年間は3000万ユーロの買い戻しオプションがついている。背番号は9番。9月13日のウディネーゼ・カルチョ戦にて、試合終了間際に同郷のフェルナンド・ジョレンテとの交代でセリエAデビュー。2週間後のアタランタ戦でユヴェントスでの初得点を記録した。ユヴェントスに移籍し出場機会が増えたことにより、同年スペイン代表としても試合に出場した。チャンピオンズリーグでは準決勝で古巣であるレアル・マドリードと対戦。1stレグで先制点を決め、2ndでも同点ゴールを決めてチームを決勝に導いた。バルセロナとの決勝戦でも先発し、同点ゴールをあげるがチームは敗れた。 2015-16シーズンは34試合に出場して、7ゴールを記録、ユヴェントスのリーグ連覇に貢献した。3月20日のトリノ戦では途中交代で出場、2ゴールを決めた。 2016年5月22日に行われたコッパ・イタリア決勝ミラン戦では延長後半10分に値千金の決勝ゴールをあげ、ユヴェントスの国内三冠に貢献した。
レアル・マドリード復帰
2016年6月21日、レアル・マドリードがユヴェントスから3000万ユーロの買い戻しオプションを行使しモラタの復帰が発表された。買い戻し後に他クラブへ放出し差益を手にするとも報道されていたが、最終的にチームに残留しシーズン開幕を迎えた。背番号は「21」番に決まった。2016年8月27日のセルタ戦で復帰後初ゴールを決めた。2017年2月26日、ビジャレアル戦では後半途中から投入され、マルセロのクロスにあわせて逆転勝利に貢献した。4月5日、第30節のレガネスでは3得点を決めて、シーズン二桁得点を達成した。ベンゼマの控えという立場ながら、最終的にリーグ戦では15ゴール、シーズントータル20ゴールを記録、チャンピオンズリーグ決勝でも後半から途中出場し、優勝も手にした。
チェルシー
チェルシーでのモラタ(2017年)
2017年7月19日、チェルシーに移籍することでクラブ間が合意。7月21日、5年契約を結び、正式にチェルシーに加入することが決まった。
プレシーズンではゴールを挙げられなかったが、プレミア開幕戦のバーンリー戦ではチェルシー移籍後初ゴールを記録した。9月24日ストーク・シティ戦では、ハットトリックを達成してみせた。2018年8月3日、2018-19シーズンより背番号を9番から29番に変更することを発表。29番は彼の双子の子供の誕生日である7月29日にちなんだものである。
アトレティコ・マドリード
2019年1月28日、アトレティコ・マドリードに2019-20シーズン終了までのローン契約で加入した。背番号は22番。2月25日の第25節・ビジャレアル戦にてフィリペ・ルイスのクロスに左足で合わせ、移籍後初ゴールを記録した。2019年7月6日、2020年7月1日からアトレティコに完全移籍することが発表された。2019-20シーズンから背番号が22番から9番に変更された。2020年7月1日、チェルシーからアトレティコに移籍金4500万ユーロで完全移籍した。
ユヴェントス復帰
2020年9月22日、ユヴェントスFCに1000万ユーロの移籍金で期限付き移籍した。契約には買取りオプション、期限付き移籍を延長するオプションが付属している。背番号は前回のユヴェントス在籍時にも着用していた9番。10月17日の、リーグ第4節、クロトーネ戦で復帰後初ゴールを決めた。
代表経歴
スペイン代表として2009 U-17ワールドカップに招集され、4試合に出場して2ゴールを奪った。2010年には、U-19国際トーナメントにも招集された。2011年に開催されたU-19欧州選手権では、大会史上最多となる6得点を挙げて大会得点王となった。2013年のU-21欧州選手権では途中出場が多かったものの4得点を挙げて大会得点王に輝いた。
2014年11月15日に行われたEURO 2016予選のベラルーシ戦で代表初出場を果たした。2015年3月27日のEURO 2016予選、ウクライナ戦で決勝点となる代表初ゴールを挙げた。
EURO 2016本大会ではグループリーグ第2戦のトルコ戦で2得点、第3戦のクロアチア戦で1得点と、合計3得点を挙げた。
2017年9月、2018 ワールドカップ予選のイタリア戦でもゴールを決めた。
しかしその後はクラブでの不調などもあり、2018年3月の親善試合のメンバーから外された。さらに、ワールドカップの最終選考でも落選し、ロシア行きを逃すこととなった。
発言
ヘタフェCF について以下のようにかたっている。
「最後に着るシャツはヘタフェだったら良いな。会長とそこの人たちとは、とても良い関係を築いている。彼らのおかげで今の自分があると思う。」
レアル・マドリードについて以下のように語っている。
「チェルシーと対戦する時以外は、必ずレアル・マドリードを応援していくよ」
「たとえ何と言われようとも、常にレアルとともにある。僕はレアル・マドリードの選手だし、僕たちは死ぬまで続くよ」
「骨を埋めるためにベルナベウに戻ってきた。可能な限り、ここに留まりたいよ」
「(レアルに復帰し)振り出しに戻ったことに本当に失望したよ…。イタリアに行く前の僕は子供のように扱われていたんだ。マドリーには決して再入団すべきではなかった」
ユヴェントスFCについて以下のように語っている。
「僕は今、レアルや他のチームのことを考えられないほど、ユーヴェで幸せや居心地の良さを味わっている」
「ユベントスでの2シーズンは本当に最高だった。ついたときには”若僧”だった僕が離れるときには本物の選手になっていた」
「(必要でなければ)イタリアそしてユベントスを離れる事は決してなかった」
チェルシーFCについて以下のように語っている。
「僕はクラブやロンドンでハッピーだ。チェルシーが10年契約を申し込んできたら受けるよ」
「クラブやファンからは全く愛も感謝も感じられなかった」
「チェルシーでは自分を信じられなかった。僕がチャンスを逃した時、チームメイトたちから“悪者扱い”されているような視線を感じたんだ」
アトレティコ・マドリードについて以下のようにを語っている。
「僕はここにいたい。ここから動くなんて考えはない。残りのプロ生活をここで過ごしたいんだ」
「自分が望まれる存在で、人々が満足している限りは、ここにいたい。ここで幸せを見つけたんだ。僕は自分がいたいと思える場所にいる」
「今はアトレティコ移籍が人生で最高の選択だと感じているよ。アトレティコに残りたい」
「悲しむべきことに、僕は違うユニフォームを、アトレティコとは異なるユニフォームを着てプレーしなければならなかった」
「僕がすべきことは何かわかっている。ここに長くいたい。これほどありがたいことはないよ。みんな僕の仕事をわかってくれるし、僕を愛してくれるんだ」
「誰だって子供の頃から好きなクラブがある。僕の場合はそれがアトレティコで、これからもアトレティコのファンであり続ける。僕がアトレティコに感謝していることは明確にしておきたい」
私生活
モデルとして活躍している姉がいる。
ユヴェントス所属時代に知り合ったイタリア人女性と2017年に結婚。2018年7月29日に双子の子供が誕生した。引用元:wikipedia
2021年1月31日