所属 | アスレティック・ビルバオ |
---|---|
背番号 | 10 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1992年12月19日(31歳) |
身長 / 体重 | 170cm / 65kg |
国籍 | スペイン |
所属 | アスレティック・ビルバオ |
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背番号 | 10 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1992年12月19日(31歳) |
身長 / 体重 | 170cm / 65kg |
国籍 | スペイン |
イケル・ムニアイン・ゴニ(Iker Muniain Goñi, 1992年12月19日 - )は、スペイン・ナバラ州パンプローナ出身のサッカー選手。アスレティック・ビルバオ所属。スペイン代表。ポジションはFW。
経歴
バスク自治州最大のクラブであるアスレティック・ビルバオの下部組織出身。2009年7月30日、16歳7ヶ月11日でUEFAヨーロッパリーグ予選BSCヤングボーイズ戦1stレグ(0-1)に出場してトップチームデビューした。59分にガイスカ・トケーロに代わって途中出場し、クラブの公式戦最年少出場記録を作った。
1週間後にアウェーで行われた2ndレグ(2-1)で初得点を記録し、チームの勝ちぬけに貢献した。16歳7ヶ月18日での得点はやはりクラブの公式戦最年少得点記録となった。8月30日、ホームで行われたリーグ開幕戦のRCDエスパニョール戦(1-0)に先発出場してクラブのリーグ最年少出場記録を作った。9月17日、UEFAヨーロッパリーグのFKアウストリア・ウィーン戦1stレグ(3-0)でアンドニ・イラオラとホセバ・エチェベリアが得点した後、駄目押しとなる3点目を決めた。10月4日、レアル・バリャドリード戦(2-2)では16歳と289日でゴールを決め、プリメーラ・ディビシオン(1部)の最年少得点記録を更新した。それまでのリーガ1部の最年少ゴール記録は、2002-03シーズンにシスコ・ナダルが記録した16歳と353日だった。12月1日、クラブと初のプロ契約を結び、契約を2015年6月まで延長した。晩秋には約1ヶ月の間戦線離脱したが、12月6日のバレンシアCF戦(1-2)では51分に途中出場して先制点を決めた。シェレスCD戦、デポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でも得点し、2009-10シーズンはリーグ戦通算26試合に出場して4得点3アシスト、公式戦通算35試合に出場して6得点を決めた。
2010-11シーズンは絶対的なレギュラーであり、ホアキン・カパロス監督のチームで左ウイングとして活躍した。2011年4月17日、故郷パンプローナに本拠地を置くCAオサスナ戦(2-1)ではロスタイムに決勝点を決め、逆転負けの危機からチームを救った。初めはシーズン5枚目のイエローカード(次試合の出場停止)に抗議し、ゴールセレブレーションの際に両手を両耳に当てる仕草をしたが、試合後にイエローカードは撤回され、次戦に出場できることになった。レアル・ソシエダとのバスク・ダービーとなったその試合でもゴールネットを揺らし、2-1で勝利した。
2015年4月4日に行われたセビージャFC戦の試合中に負傷し、全治約6ヶ月の左ひざ前十字じん帯断裂と診断された。そのためそのシーズンに行われたコパ・デル・レイの決勝にも出場出来ず、チームもFCバルセロナに敗れた。
2015年12月20日に行われたレバンテUD戦で公式戦に復帰。2016年に2月28日のバレンシアCF戦で復帰後初のゴールを決め、敵地メスタージャでの8年ぶりとなる勝利に貢献した。
16-17シーズンから背番号を19から10に変更。これに伴い、当時10番を背負っていたオスカル・デ・マルコスは18番に変更となった。
怪我からの復帰以降、2017年9月28日までに86試合に出場と順調にキャリアを積み重ねていたものの、FCゾリャ・ルハーンシク戦で右足の前十字靭帯を損傷。再び6ヶ月の離脱を強いられた。
2018年11月20日、2024年までの契約を延長した。また驚くべき事にこの契約には契約解除金が設定されておらず、契約期間内での移籍がほぼ不可能な状態となった。これはムニアイン自らが選んだ選択肢であり、デビュー以降毎年のように噂されていたビッククラブへの移籍を封印し、クラブへの忠誠心を改めて見せつける形となった。
マルケル・スサエタの退団に伴い、19-20シーズンからクラブのキャプテンに就任。
代表
2011年2月8日、U-21デンマーク戦で18歳にしてU-21スペイン代表デビューした。ルイス・ミジャ監督によって同年のUEFA U-21欧州選手権のメンバーにも選ばれ、全試合に出場してスペインの3度目の優勝とロンドンオリンピック出場権獲得に貢献した。
2012年2月24日、ビセンテ・デル・ボスケ監督によってスペインA代表に初招集された。2月29日にマラガで行われたベネズエラ戦(0-5)の74分にセスク・ファブレガスと代わって出場してA代表デビューした。
2019年、クラブでの活躍を認められ7年ぶりの召集。3月26日に行われたUEFA EURO 2020予選のマルタ戦に途中出場し勝利に貢献した。引用元:wikipedia
2021年1月31日