所属 | ユヴェントスFC |
---|---|
背番号 | 10 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1993年11月15日(31歳) |
身長 / 体重 | 177cm / 75kg |
国籍 | アルゼンチン |
所属 | ユヴェントスFC |
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背番号 | 10 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1993年11月15日(31歳) |
身長 / 体重 | 177cm / 75kg |
国籍 | アルゼンチン |
パウロ・ブルーノ・エセキエル・ディバラ(Paulo Bruno Exequiel Dybala, 1993年11月15日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身のサッカー選手。アルゼンチン代表。セリエA・ユヴェントスFC所属。ポジションはフォワード。
イタリアとポーランドにルーツを持ち、イタリアの市民権とポーランド国籍を所持している。
そのプレースタイルから同じくアルゼンチンの選手であるリオネル・メッシ、ハビエル・パストーレや元イタリア代表のヴィンチェンツォ・モンテッラと比較されている。
経歴
インスティトゥート
「La Joya(宝石)」の愛称で親しまれているディバラは、17歳の時にプリメーラB・ナシオナルに所属していた地元のクラブであるインスティトゥート・デ・コルドバでプロデビューを果たし、公式戦40試合出場17ゴールの成績を記録した。インスティトゥートでディバラは、マリオ・ケンペスが保持していた最年少ゴールと国内の連続出場記録を更新し(38試合)、シーズンで2度のハットトリックと6試合連続ゴールと4つの記録を残した。
パレルモ
2012年4月29日、USチッタ・ディ・パレルモの会長を務めるマウリツィオ・ザンパリーニは、「我々は新たなセルヒオ・アグエロであるパウロ・ディバラを獲得した」と声明を発表した。しかし、同日にインスティトゥートの事務局長はパレルモと交渉を行った者はディバラの移籍に関する権利を持っていないと述べた。
2012年7月20日、パレルモはディバラと4年間の契約を結んだと公式に発表した。ディバラはラツィオ戦でセリエAデビューを果たし、2012年11月11日に行われ、2-0で勝利したホーム戦で初ゴールを記録した。
2014-15シーズンにアルゼンチン人のフランコ・バスケスと前線でコンビを組みシーズンの前半戦で10ゴールを記録し、名声を高めたディバラは国内外の多くのビッグクラブから注目を浴びるようになった。
ユヴェントス
2015年5月、パレルモ監督のジュゼッペ・イアキーニがディバラのユヴェントス行きを認め、6月にユヴェントス移籍が正式発表。移籍金は3200万ユーロで5年間の契約となる。背番号はジネディーヌ・ジダンやリリアン・テュラム、アンドレア・ピルロといった名選手が背負った21番。
加入当初の2015-16シーズン序盤は、リーグ戦で控えであり高額な移籍金もあって論議を醸したが、徐々にフィットし34試合出場で19ゴール、9アシストというユヴェントスの攻撃の要というべき活躍を見せた。また、2016年2月23日、UEFAチャンピオンズリーグ・決勝トーナメント1回戦でバイエルン・ミュンヘンと対戦して大会初得点を決めた。
2016-17シーズンは、ポール・ポグバの移籍で背番号10番が空き、チームからデイバラに10番を付ける様に打診が有ったが、10番ではなくその前のシーズンと同じように21番を選んだ。チャンピオンズリーグベスト8、FCバルセロナとの試合では、1stレグの試合で2得点を挙げ勝利に貢献、ユヴェントスの準決勝進出に貢献した。
2017-18シーズン開幕前の2017年8月9日に、背番号を10番に変更することを発表された。アレッサンドロ・デル・ピエロやミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョら名手が着用した番号である。8月26日、第2節のジェノア戦でハットトリックを達成、9月17日のサッスオーロ戦ユベントスでの通算100試合出場を達成、この試合でシーズン2度目のハットトリックを達成した。
2018-19シーズン、UEFAチャンピオンズリーグのヤングボーイズ戦でチャンピオンズリーグでは初のハットトリックの活躍を見せ、チームを3-0の勝利に導いた。チャンピオンズリーグでは10月23日のマンチェスター・ユナイテッド戦でも決勝ゴールを決めた。しかし、クリスティアーノ・ロナウドの加入もあり、チャンピオンズリーグでは9試合で5ゴールを決めるも、リーグ戦では僅か5ゴールに終わる。
2019-20シーズン、首位攻防戦となった11月のインテルとのイタリアダービーではゴールを決め、2-1での勝利に貢献した、3月8日のインテル戦でもリードを広げるゴールを奪い、勝利に貢献した。3月には新型コロナウイルスに感染したが、リーグ戦では4試合連続ゴールなどもあり、トータルで11ゴール7アシストを決め、チームのセリエA9連覇に貢献、リーグの年間最優秀選手に選ばれた。
代表歴
パンアメリカン競技大会に出場するU-17アルゼンチン代表(英語版)に招集されたが、最終的に大会には参加しなかった。2012年7月19日にはU-20アルゼンチン代表(英語版)から初めて招集を受けたが、それを断った。
祖父のボレスワフがポーランド出身であり、ディバラ家はイタリアにルーツを持つため、多重国籍であり、ポーランド代表とイタリア代表でプレイする資格も有しているが、ディバラ本人はアルゼンチン人としてのアイデンティティーをもっており、アルゼンチン代表でプレイすることが夢だと話している。
2015年9月22日にヘラルド・マルティーノ監督により初めてA代表に招集されたが出場機会は与えられなかった。しかし、再び招集され、2015年10月13日に行われた2018 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ代表戦にカルロス・テベスと交代で75分から出場し、A代表デビューを果たし、ポーランド代表・イタリア代表に入る資格は失った。2016年9月1日の2018 FIFAワールドカップ・南米予選のウルグアイ戦では初のスタメン出場を果たすも、前半終了間際に2枚目のイエローカードで退場となった。
2018 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第2戦のクロアチア戦に68分から出場したが、アルゼンチンが決勝トーナメントの1回戦で敗退したこともあり、これがこの大会での唯一の出場となった。
コパ・アメリカ2019の3位決定戦で先発し1-0からのリードを広げるアルゼンチンの2点目を決め、アルゼンチンの大会第3位確保に貢献した。
プレースタイル
創造力と高いテクニックを併せ持った機敏な選手であり、限られた狭いスペースでもドリブルで持ち上がりボールを扱うことができ、ポストプレーも得意である。技術が高く、運動量が豊富でディフェンスにも高い献身を示す。また、ディバラは正確で強いシュートとヘディングにより自身がゴールを挙げるだけではなく、味方のゴールチャンスを作り出すこともでき、トップだけではなく、セカンドトップや攻撃的ミッドフィールダー、右ウイングまで様々な攻撃的なポジションを務めることができる。引用元:wikipedia
2021年1月31日