大久保 択生

所属
前所属先 サガン鳥栖
背番号 1
ポジション GK
生年月日 1989年09月18日(35歳)
身長 / 体重 190cm / 92kg
出身地 東京

大久保 択生の情報

大久保 択生(おおくぼ たくお、1989年9月18日 - )は、東京都江東区出身のプロサッカー選手。ポジジョンはゴールキーパー(GK)。Jリーグ・清水エスパルス所属。

来歴

プロ入り前
5歳の時に兄の影響でサッカーを始め、小学4年生の時にGKへ転向。

1997年度の高校サッカー選手権で準優勝した帝京高校に憧れ、同中学校・高校へ進学。高校3年次には自身の好セーブで総体ベスト8入り。それまで代表歴は無く無名だったが同年夏にはU-18日本代表に初選出された。同年冬の選手権では2回戦で広島皆実に0-2で敗れた。

横浜FC
複数クラブからオファーを受けた中、三浦知良とGKコーチを務めていた田北雄気を慕って2008年に横浜FCへ加入。同年は小山健二の前に出場機会を得られなかったが、2009年には小山・岩丸史也との正GK争いを制し33試合に出場した。2010年には樋口靖洋に代わり岸野靖之(前鳥栖監督)が監督に就任。引退した小山に代わって背番号を「1」に変更して臨んだものの、岸野は鳥栖時代の教え子シュナイダー潤之介を起用。第6節千葉戦での大敗を機に、第7節からは大久保が先発したが、第13節まで7試合連続失点(この間1勝6敗)を喫し正GKには定着できなかった。同年U-20日本代表にも選出されており、2012年のオリンピック出場を見据えてこの年限りでの退団を決意。

ジェフ千葉
2011年、ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍。同年中盤から岡本昌弘に次ぐ第2GKとしてベンチ入りを続け、天皇杯2回戦・デッツォーラ島根戦で移籍後初出場し無失点勝利に貢献。2012年は櫛野亮に第2GKの座を譲るも、2013年はリーグ戦全試合にベンチ入りし臨戦。

V・ファーレン長崎
2014年、V・ファーレン長崎へ完全移籍。長崎を退団した横浜FC在籍時の先輩である岩丸の背番号「1」を受け継ぎ、前年退団した金山隼樹に代わって開幕から出場を続けた。同年中盤は中村隼とのポジション争いで一時劣勢、終盤には途中加入した植草裕樹の控えとなった。2015年、植草から正GKを奪取。2016年には自身初となるリーグ戦全試合出場を達成。

FC東京
2017年、地元クラブのFC東京へ完全移籍。8月13日、第22節のヴィッセル神戸戦でJ1初出場を果たし、ハーフナー・マイクのヘディングシュートを防ぐなど好セーブを連発した。しかし、林彰洋から正GKを奪取するには至らなかった。

サガン鳥栖
2019年、サガン鳥栖に完全移籍。加入序盤は移籍した権田修一の穴を埋める活躍を見せたが、シーズン途中に高丘陽平にポジションを奪われた。

清水エスパルス
2019年8月、清水エスパルスに完全移籍。 清水加入後は西部洋平とポジションを争いながら、11試合に出場した。

2020シーズンは怪我もあって出遅れ、開幕戦はメンバー外。復帰後も梅田透吾の台頭もあって、しばらく控えが続いた。しかしルヴァンカップ第3節の鹿島アントラーズ戦で今季初出場を果たすと、その後は梅田とポジションを争いながら15試合に出場した。

2021シーズンより、背番号を39から1に変更。

引用元:wikipedia

大久保 択生の記事

記事はまだありません。

清水エスパルスの他の選手

石毛 秀樹

ウィリアム マテウス

福森 直也

栗原 イブラヒム ジュニア

成岡 輝瑠

ヘナト アウグスト

チアゴ サンタナ

ディサロ 燦シルヴァーノ

宮本 航汰

ヴァウド

権田 修一

中村 慶太

同世代の同じポジションの選手

ノルベルト・ネト

ヤスパー・シレッセン

セルジオ・アセンホ

デビッド・バトン

トマーシュ・ヴァツリーク

ジョルディ・マシップ

ディエゴ・ロドリゲス

高木 駿

アレックス・マッカーシー

上福元 直人

権田 修一

マルティン・ドゥブラフカ

他の選手(ランダム表示)

ドゥシャン

ローランド・マンドラゴラ

ダニー・ローズ

バングーナガンデ 佳史扶

ルーカス・ホラー

ウェンデル

選手画像

ネウエン・ペレス

ユリアン・シーバー

ボスコ・スタロ

ソン・フンミン

ルーカス・イェンセン

イバン・マルティネス

2021年2月3日

-清水エスパルス
-