所属 | 浦和レッズ |
---|---|
前所属先 | ヴィッセル神戸 |
背番号 | 4 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1994年06月18日(30歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 72kg |
出身地 | 兵庫 |
所属 | 浦和レッズ |
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前所属先 | ヴィッセル神戸 |
背番号 | 4 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1994年06月18日(30歳) |
身長 / 体重 | 186cm / 72kg |
出身地 | 兵庫 |
岩波 拓也(いわなみ たくや、1994年6月18日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。J1リーグ・浦和レッズ所属。ポジションはディフェンダー。既婚。
来歴
プロ入り前
須磨ナイスサッカークラブ、神戸フットボールクラブを経て、2007年にヴィッセル神戸ジュニアユースに入団。3年次の2009年には第24回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会で優勝を飾り、自身も大会MVPに選出された。2010年に神戸U-18へ昇格、2年次の2011年9月9日にはトップチームに2種登録。同年末、プリンスリーグ関西1部で優勝を飾り、参入戦を勝ち抜いてプレミアリーグウエストへ昇格した 。また、第35回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会ではディフェンダーながら得点ランキング2位の4得点を記録。準々決勝、準決勝と立て続けに直接フリーキックを決める活躍を見せ、準優勝に貢献した。
2012年5月、オランダ1部・PSVアイントホーフェンの練習に参加し、移籍は確実とも報道されたが、6月29日、ヴィッセル神戸とプロ契約を締結したことが発表された。
ヴィッセル神戸
2012年10月20日、J1第29節清水エスパルス戦で公式戦初出場。12月1日、J1最終節サンフレッチェ広島戦に後半8分から出場したが、0-1の敗北を喫し、クラブはJ2へ降格した。2013年、監督の安達亮により開幕からスターティングメンバーに抜擢され、J2第15節愛媛FC戦でリーグ戦初得点を記録した。同年10月末、右足関節内顆骨折により全治2ヶ月の診断を受け、シーズン終盤は欠場を余儀なくされたが、リーグ戦37試合に出場し、1年でのJ1復帰に貢献した。
2014年は新加入の増川隆洋とコンビを組みレギュラーに復帰。しかしシーズン中盤は河本裕之にレギュラーを奪われリーグ戦出場は24試合にとどまった。2015年は河本の移籍に伴い背番号を「5」へ変更。J1では自己最多のリーグ戦30試合に出場。2016年は伊野波雅彦とコンビを組むことが多かったが、U-23代表として参加した大会で負傷しリーグ戦21試合の出場に留まった。
浦和レッズ
2018年より浦和レッズに完全移籍で加入。4月11日、第7節の古巣ヴィッセル神戸戦では、同点となる恩返し弾を決めて勝利に貢献した。
代表
2009年、U-15日本代表に選出され、AFC U-16選手権2010・予選グループリーグを戦った。2010年、U-16日本代表に選出され、AFC U-16選手権2010でベスト4まで勝ち進み、2011 FIFA U-17ワールドカップの出場権を獲得した。2011年、U-17ワールドカップで主将を務め、自国開催だった1993年大会以来となる18年ぶりのベスト8進出を果たした。
2012年11月、U-19日本代表としてAFC U-19選手権に出場。グループリーグ第2戦クウェート戦で決勝点を挙げ、予選敗退の危機を救ったが、徹底したロングボール戦術と得点力不足に苦しんだチームは準々決勝イラク戦に敗れ、3大会連続でFIFA U-20ワールドカップの出場権を逃した。
2015年、5月12日・13日に行われるサッカー日本代表の合宿メンバーに選ばれた。2016年、怪我で離脱していたが予想よりも早く回復し、7月1日にリオデジャネイロのメンバーに選出された。しかし、オーバーエイジの塩谷司の影響もあり出場は無かった。
プレースタイル
186cmの長身を生かし、空中戦、対人守備で強さを発揮するセンターバック。足元のテクニック、ビルドアップに優れており、精度の高いフィードやプレースキックを蹴ることが出来る。引用元:wikipedia
2021年2月3日