吉田麻也

所属
背番号 22
ポジション DF
生年月日 1988年08月24日(36歳)
身長 / 体重 189cm / 78kg
国籍 日本

吉田麻也の情報

吉田 麻也(よしだ まや、1988年8月24日 - )は、長崎県長崎市出身のプロサッカー選手。ポジションはDF(CB)。セリエA・UCサンプドリア所属。日本代表キャプテンを務める。

プロ入り前

「麻のように揉まれれば揉まれるほど強い男になってほしい」という両親の想いで「麻也」と名付けられる。小学校2年生のとき、地元長崎市の南陵FCでサッカーを始める。小学校6年生の時に兄が見つけた名古屋グランパスのユースセレクションを、家族で名古屋を訪れるついでに受験。家族はもとより本人も合格すると思っていなかったが合格したため、愛知県みよし市に移住(受験者の中で合格をしたのは70人中、吉田を入れて4人であった)。

その後、愛知県豊田市にある愛知県立豊田高等学校に進学。校内では成績優秀、スポーツ万能で有名だった。高校卒業後、早稲田大学人間科学部通信課程に進学し卒業している。 在学中にユース(U-18)の日本代表に選ばれた。また、この時代はキャプテンを務め、選手としてもボランチとして攻守にわたって支える、チームの要といえる存在であった。2006年の全日本ユースではチームを牽引して準優勝に導き、2007年に長谷川徹、福島新太、新川織部とともにトップチームに昇格した

クラブ経歴
名古屋グランパス
2007年シーズン開幕前、古賀正紘・秋田豊・角田誠等が退団し、層が薄くなったセンターバックにコンバートされ、第9節大分トリニータ戦で初出場を果たした。19試合に出場。

2008年シーズン、就任したストイコビッチ監督の信頼を受けて序盤はバヤリツァとともにセンターバックのレギュラーとしてチームを支えた。7月14日には北京五輪代表に選出。グランパスではシドニー五輪にオーバーエイジ枠で出場した楢崎正剛を除けば初のU-23日本代表への選出であった。出場は敗退決定後のグループリーグ第3戦オランダ戦だけであったが、マッチアップしたFWロイ・マカーイと互角に渡り合った。五輪招集により一時的にレギュラーから外れたものの、22試合に出場。第22節鹿島アントラーズ戦では初得点も挙げた。シーズン終盤には、決定力不足を補うために高さを生かしてFWとして起用されることもあった。

2009年シーズンは引退した大森征之から背番号4を受け継ぐ。25試合に出場し、名古屋DFの軸として活躍した。シーズン終了後の12月28日にオファーを受けたオランダのVVVフェンローへ完全移籍した。

VVVフェンロー
VVVフェンローに移籍して間もない1月10日のマーストリヒトとの練習試合で左足首を骨折し、09-10シーズンは出場がなかった。

新シーズンより背番号を28から3に変更。2010年10月30日の対フローニンゲン戦の後半途中から出場し、これがオランダでのデビュー戦となった。試合は3-5で敗れたが、初アシストを記録した。しかし、シーズンを通してレギュラーに定着きれず20試合の出場に終わった。

2011年9月11日に行われたリーグ第5節PSVアイントホーフェン戦ではジャンピングボレーで一時勝ち越しとなるゴールを決めた。このゴールはオランダ放送協会(NOS)で放映されているサッカー情報番組「NOS Studio Sport(オランダ語)」において視聴者投票による「シーズンベストゴール」第1位となった。2012年3月3日、リーグ第24節NACブレダ戦ではチームメイトのカレン・ロバートとのアベックゴールにより2-1で勝利を収めた。この年は初めてシーズン通してレギュラーとしてプレー。50年ぶりの4連勝も記録し、チーム2位の5得点を挙げて残留に貢献した。

サウサンプトン
2012年8月30日、イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンへ完全移籍。9月15日のアーセナル戦で途中出場し、プレミアリーグ初出場を果たした。 その後もシーズン通してレギュラーの座を確保した。2013年1月30日、プレミアリーグ第24節マンチェスター・ユナイテッド戦では相手の香川真司と共に先発出場し、プレミアリーグ史上初の日本人対決を実現させた。

2014年2月22日、プレミアリーグ第27節のウェストハム戦にフル出場してリーグ戦で初ゴールをきめた。しかし、2013-14シーズンはこのシーズンから移籍してきたデヤン・ロヴレンに出番を奪われる形で、開幕からリーグ戦の出場機会には恵まれず、同年3月には練習中に左ひざ靭帯を損傷し戦線離脱となり、シーズン中に復帰はできなかった。

2015年1月2日にサウサンプトンと2018年シーズン終了までの契約延長に合意。2014-15シーズンはトビー・アルデルヴァイレルトにセンターバックのポジションを奪われる形で、本職ではないサイドバックでの起用も増えた。ロナルド・クーマン監督からは「違うポジションでもできる選手がいるのは幸運なこと」と称賛された。

2015-16シーズンは、2015年9月にフィルジル・ファン・ダイクが新加入した影響でセンターバックとして出場する機会が減った。サイドバックとして出場する機会もあったが、右サイドバックとして出場したプレミアリーグ第6節マンチェスター・ユナイテッド戦と第14節マンチェスター・シティ戦で失点に直結する致命的なミスを犯してしまい、出場機会はさらに減っていった。9戦ぶりに先発出場した第25節ウェストハム戦では決勝点を挙げ、無失点にも貢献するも、その後も出場機会には恵まれなかった。

2016-17シーズンは、年が明けた1月1日のWBA戦からスタメンに定着。7日のFAカップ3回戦ノリッジ・シティ戦では父親になってから初得点をあげた。11日EFLカップ準決勝のリヴァプール戦では無失点に抑えて地元紙で高評価を得た。また、18日に行われたFAカップでのノリッジ・シティとの再戦ではキャプテンとしてフル出場 。21日、チームキャプテンであり吉田とCBの定位置を争っていたジョゼ・フォンテが移籍してからはレギュラーとして定着する事となり、22日、岡崎慎司との日本人対決となったプレミアリーグ第22節レスター・シティ戦では、ファン・ダイクの負傷交代後にアームバンドを巻いた。

2月26日、EFLカップ決勝戦ではマンチェスター・ユナイテッドと対戦し、先発出場で接戦の末2-3で敗れたものの、大会ベストイレブンに選ばれた。4月5日、第31節のクリスタル・パレスFC戦では逆転弾となる今季初のリーグ戦初得点を決め、試合後にはクロード・ピュエル監督から「マヤはサウサンプトンの将来でもある」と絶賛された。4月29日、第35節のハル・シティAFC戦では日本人選手として初のプレミアリーグ100試合出場を達成した。

シーズン終了後、DFラインを共に組んだジャック・スティーヴンスから「マヤは僕にとって素晴らしい存在だった」と称賛され、地元紙『デイリー・エコー』の主催するサウサンプトン年間最優秀選手投票では2位となり、「吉田は今季セインツで成長を遂げた。ジョゼ・フォンテの移籍とファン・ダイクの長期離脱の後、センターバックの頼みの綱となった」と評価された。

2017-18シーズン、プレミアリーグ第2節ウェストハム戦にて試合終了間際にPKを獲得し、これが決勝点となってチームを勝利へ導いた。自身の誕生日でもある8月24日に2020年まで契約延長したことを発表した。開幕戦からレギュラーとして活躍し、開幕月となった8月のクラブ月間MVPを獲得した。9月30日、第7節のストーク・シティ戦で今季初得点をきめた。これらの活躍が評価され、イギリスの月刊サッカー雑誌、フォーフォーツーが選ぶ開幕10試合時点のプレミアリーグのトップ10選手一覧に8位で名を連ねた。12月13日のレスター・シティ戦ではシーズン2得点目を決めた。なお、対戦相手の岡崎慎司も2得点しており、この試合はプレミアリーグの歴史で初めて複数のアジア人選手が得点した試合となった。年明け後は左膝の負傷により戦列を離れる機会が多くなり、チームの調子も低迷。終盤には戦列に復帰し、チームのプレミアリーグ残留に貢献した。

2018-19シーズン、2018年8月28日、カラバオ・カップ2回戦のブライトン戦で今シーズン公式戦初出場。2018年10月7日、プレミアリーグ第8節のチェルシーFC戦で今シーズンリーグ戦初先発を果たすが、不用意な判断ミスでアルバロ・モラタにゴールを許してしまい、チームも0-3で敗れた。

2019-20シーズン、2019年10月25日、プレミアリーグ第10節レスター・シティ戦においてフル出場し、0-9の大敗を喫す。プレミアリーグで9点差がついた試合は24年ぶりの事であり、CBを務めていた吉田にも「三角コーンのようにプレーしていた」などと批判が浴びせられた。

この試合以降出場機会が激減し、リーグ戦は途中出場1試合、先発出場はカップ戦の1試合のみにとどまった。

サンプドリア
冬の移籍期間最終日である2020年1月31日にセリエA・UCサンプドリアへ半年間のレンタル移籍で加入。3月8日、ホームのセリエA第26節エラス・ヴェローナ戦でセリエAデビューを果たした。6月30日にレンタル元のサウサンプトンとの契約満了を発表し、サンプドリアとは、シーズン終了までの短期契約を結んだ。7月12日、セリエA第32節ウディネーゼ戦でセリエAでの自身初アシストを記録した(ガッビアディーニへのアシスト)。

2020-21シーズン、2021年1月24日、セリエA第19節のパルマ戦でセリエA初ゴール(移籍後初ゴールでもある。)を決め、チームも勝利した。

代表経歴

2009年12月21日、若手中心のメンバーで臨む方針だったアジアカップ最終予選・イエメン戦に向けたフル代表に初招集され、この試合でフル代表デビュー。

2010年12月24日、AFCアジアカップ2011に臨む日本代表メンバーに選出。

2011年1月9日、グループリーグ第1節・ヨルダン戦の後半アディショナルタイムに代表初得点を記録。2011年9月2日に行われた3次予選第1戦北朝鮮戦(埼玉)の後半アディショナルタイムに決勝点を決め、チームの勝利に貢献した。

2012年7月2日、ロンドンオリンピックに出場するU-23日本代表にオーバーエイジ枠として選出され、本大会では守備の要・主将としてチームを牽引。準々決勝のエジプト戦ではセットプレーからゴールを決める活躍を見せたが、準決勝のメキシコ戦と3位決定戦の韓国戦に敗れチームは4位に終わりメダル獲得には一歩届かなかった。

2014年5月12日、W杯ブラジル大会の日本代表メンバーに選出された。本大会では全試合スタメンで起用され、試合終盤にはパワープレイ要員として前線に上がったが、いずれも結果には結びつかずチームもグループリーグで敗退した。


2018 FIFAワールドカップ、ベルギー戦
2017年3月23日、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のアラブ首長国連邦戦では怪我で離脱した長谷部誠に変わってキャプテンマークを巻いた。その後も長谷部不在時にはキャプテンを務めるなど存在感を示し、日本代表で唯一W杯予選の全試合に900分間フル出場する事で、2018 FIFAワールドカップ出場へ貢献した。フルタイム出場はフィールドプレーヤーでは2010 FIFAワールドカップ・アジア予選の田中マルクス闘莉王以来の記録である。

2018年6月、ワールドカップロシア大会メンバーに選出され、2大会連続出場を果たす。グループリーグでは3試合にフル出場し、ディフェンスリーダーとしてGL突破に貢献。決勝トーナメント1回戦ベルギー戦でもフル出場を果たすも、チームは後半ロスタイムに失点し、2-3で敗れた。試合には敗れたがイギリス『Sky Sports』で、ベルギー戦のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。ロシアW杯後は代表を引退した長谷部に代わり代表のキャプテンを務めている。

2019年1月、AFCアジアカップ2019でキャプテンとして優勝を目指すが、決勝戦のカタールに敗れて準優勝となった。決勝戦では、1点ビハインドの83分にペナルティエリア内での相手のヘディングが吉田の手に当たったとして、VAR判定によりPKとなった。この失点によりカタールの優勝をほぼ決定付ける事となったが、吉田のハンドは意図的ではないと見る事もでき、海外メディアの『FOXスポーツ・アジア』は、不運だったと同情の声を寄せている。

2019年11月14日、2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のキルギス戦で日本代表では8人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。

エピソード・評価

元プロ野球選手の下柳剛は叔父にあたる(吉田の母の弟)。

チーム1のいじられキャラである。

本格的にサッカーをするきっかけを作り、名古屋でも生活面でサポートを続けた7歳年上の兄には頭が上がらないという。

中学校入学以後、体のケアのためにとファストフードや炭酸飲料などを避けている。

幼少時代に交通事故に遭い、10メートルほど車に跳ね飛ばされたことがあるが、かすり傷程度で事なきを得た。

実家は長崎県で離島から通えない高校生を対象とした下宿を経営している。

内田篤人とあまりにも仲が良すぎるため、弄られている。

日本テレビ「月刊サッカーアース」内にレギュラーコーナー「吉田麻也の欧州か!?」を持っていた。これは番組MC・タカアンドトシのギャグ「欧米か!」に由来。ロンドン五輪準々決勝のエジプト戦ではゴール後パフォーマンスとしてタカのギャグ「俺だ!俺だ!俺だ!」を披露している。なお、2012年10月期の番組再編に伴いサッカーアースのMCが手越祐也(当時:NEWS)に交代したため、レギュラーコーナー名は「吉田麻也の欧!NEWS」に変わっている。

フィギュアスケート選手の小塚崇彦、競泳選手の立石諒と親交がある。
2012年9月26日、自身のブログでグランパス時代から交際のあった一般女性との結婚を報告した。2016年12月16日、11月末に第一子となる女児が誕生した事を発表した。

デイリー・ミラーが集計した2016-17シーズンのプレミアリーグ最速ランキングでアーセナルFCに所属していたセオ・ウォルコットに並んで8位に入った。この結果について、同紙の読者の85%が「ショックだ」と回答し、デイリー・ミラーも「マヤ本人も信じないだろう」と記した。

2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた。

引用元:wikipedia

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