所属 | バイエルン・ミュンヘン |
---|---|
背番号 | 17 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1988年09月03日(36歳) |
身長 / 体重 | 192cm / 90kg |
国籍 | ドイツ |
所属 | バイエルン・ミュンヘン |
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背番号 | 17 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1988年09月03日(36歳) |
身長 / 体重 | 192cm / 90kg |
国籍 | ドイツ |
ジェローム・ボアテング(Jérôme Agyenim Boateng, 1988年9月3日 - )は、西ベルリン出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。元ドイツ代表。ポジションはディフェンダー。元ガーナ代表のケヴィン=プリンス・ボアテングは異母兄弟である。
経歴
ヘルタ・ベルリンの下部組織出身。ヘルタで約5年間過ごし、2007年8月22日、ハンブルガーSVへ移籍。
2010年6月5日、マンチェスター・シティFCに移籍金1000万ユーロの5年契約で移籍した。即戦力として期待されたが、パブロ・サバレタ、アレクサンダル・コラロフ等とのレギュラー争いで後れを取ってしまい、16試合の出場に留まった。
2011年7月14日、バイエルン・ミュンヘンへ移籍し1年でドイツ復帰を果たした。当初は本人の意に添わない右サイドバックとしての起用も見られたが、2012-13シーズンからはダンテと共にセンターバックのコンビを組んで強固な守備を形成し、3冠達成(UEFAチャンピオンズリーグ、ブンデスリーガ、DFBポカール)に貢献した。2015年12月18日、契約を2021年まで延長したことを発表した。
2016-17シーズンは新加入のマッツ・フンメルスとともにセンターバックのコンビを組むが、怪我の影響もあって21試合の出場に終わる。その後は定位置を掴んだものの、2018-19シーズンから監督に就任したニコ・コヴァチの元ではフンメルスとニクラス・ズーレが主に起用されたため出番を失った。冬には今の立ち位置に不満があることを表し、会長からは移籍を促された。シーズン終了後にはパリ・サンジェルマンFCなどが獲得に興味を示していたが結局残留した。
2019-20シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝のパリ・サンジェルマン戦では準決勝に続いて負傷欠場となったが、チームは優勝を果たした。
2021年4月、2020-21シーズン終了後にバイエルン・ミュンヘンを退団する可能性が報じられた。
代表
UEFA U-21欧州選手権2009ではメスト・エジル、マルコ・マリンらと共にドイツU-21代表の一員として優勝を果たした。
ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督もボアテングの活躍に注目し、2009年10月10日のロシア戦でA代表デビュー。このデビュー戦で退場処分を受けてしまうが、レーヴ監督からの評価は落ちることはなく、11月18日のコートジボワール戦でもスタメンとして起用され、一躍サイドバックのレギュラー候補に名乗りを挙げた。南アフリカW杯では主に左サイドバックとして5試合に先発出場を果たした。準決勝でスペインに0-1で敗れたものの、3位決定戦ではウルグアイを3-2で下しドイツは2大会連続で3位に入った。
2016年6月26日のUEFA EURO 2016決勝トーナメント1回戦・スロバキア戦で代表初得点となる先制ゴールを挙げた。
2018年9月、同胞のメスト・エジルが人種差別を受けて代表を引退することに対して、自身も同じ差別を受けている境遇に疑問を呈し彼を擁護した。
2019年3月、チームの若返り化を図るレーヴは、ボアテング、フンメルス、そしてトーマス・ミュラーの3人を今後代表に招集しない意向を明らかにした。この件に関してエジルは否定的な見解を示している。
人物
ガーナ人とドイツ人のハーフであり、兄弟もそれぞれサッカー選手である。ただし、父親は同じ(ガーナ人)だが、兄とジェロームは母親(それぞれドイツ人)が違う。
長兄はアマチュア選手としてプレーしているジョージ・ボアテング。これはオランダのサッカー選手、ジョージ・ボアテングと同姓同名だが、全くの別人。
次兄はジェローム同様ヘルタの下部組織出身のケヴィン=プリンス・ボアテング。2010 FIFAワールドカップを前に、ガーナサッカー協会から代表入りを求められ、それまでドイツ国内でU-21代表はあったがA代表に選ばれたことのなかったケヴィンはガーナ代表としての資格を有していたため、そのまま国籍をガーナに変更し、ガーナ代表となった。その後大会直前に、ドイツ代表の有力候補であったミヒャエル・バラックと所属クラブの対戦中に交錯し、バラックが負傷しワールドカップへの参加が事実上不可能となったため、ドイツ国内から厳しい批判を浴びることとなった。さらに奇しくもガーナとドイツはグループリーグで同組となり、両国の対戦時にジェロームとケヴィンはそれぞれメンバーに選ばれ、ワールドカップでは珍しい「兄弟での対戦」が実現した。当日、ケヴィンはドイツサポーターからは大ブーイングを浴びた。
母方の祖父は1954 FIFAワールドカップ優勝メンバーであるヘルムート・ラーンの従兄弟。引用元:wikipedia
2021年2月1日