所属 | ボルシア・ドルトムント |
---|---|
背番号 | 15 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1988年12月16日(35歳) |
身長 / 体重 | 191cm / 92kg |
国籍 | ドイツ |
所属 | ボルシア・ドルトムント |
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背番号 | 15 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1988年12月16日(35歳) |
身長 / 体重 | 191cm / 92kg |
国籍 | ドイツ |
マッツ・フンメルス(Mats Julian Hummels、1988年12月16日 - )は、西ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州ベルギッシュ・グラートバッハ出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・ボルシア・ドルトムント所属。元ドイツ代表。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。マッツ・フメルスと表記されることもある。
クラブ経歴
バイエルン・ミュンヘンの下部組織出身。1995年にバイエルンの下部組織に入る。2006年12月19日、バイエルンと2010年までのプロ契約を締結。2007年5月19日、シーズン最終戦の1.FSVマインツ05戦でトップチームデビュー。しかしバイエルンでの試合出場は、この試合のみとなっている。
2008年1月3日にレンタルでボルシア・ドルトムントに移籍。当時19歳ながらすぐにレギュラーに定着した。その後、2009年2月1日にドルトムントに完全移籍した。
2010-11シーズンはネヴェン・スボティッチとコンビを組み自己最多の32試合に出場。当時のブンデスリーガ記録にあと1と迫るリーグ最小の22失点を記録した守備陣の中心として活躍し、ドルトムントのブンデスリーガ制覇に貢献した。このシーズンのフンメルスは1試合あたりのファール数が欧州主要リーグのCB中最小で、イエローカードも2枚しか受けていなかった。2012-13シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、バイエルンに敗れた。
2016年4月29日にボルシア・ドルトムントがフンメルスの古巣のバイエルン・ミュンヘンへの移籍希望を発表。その後5月10日にバイエルン側が移籍金3800万ユーロと成果ボーナスでの移籍を発表した。契約は5年間。在籍中は3度のリーグ制覇とポカール優勝を成し遂げたが、チャンピオンズリーグ制覇はならなかった。
2018-19シーズンには国内二冠とともに自身もキッカー誌の選ぶポジション別ランキングの首位を獲得した。
2019年6月19日、ボルシア・ドルトムントに3800万ユーロで復帰することが発表された。2020-21シーズン、10月24日、シャルケとのルールダービーで同ダービーでの初ゴールを決め勝利した。
代表経歴
U-21ドイツ代表の一員としてUEFA U-21欧州選手権2009に出場し、優勝に貢献。
2010年5月13日のマルタとの親善試合に途中出場し、フル代表デビュー。同年11月17日のスウェーデン戦で初のフル出場を果たした。2012年5月26日のスイスとの親善試合で代表初得点を記録。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦のポルトガル戦で得点を記録。準々決勝のフランス戦ではFKからのヘディングで決勝点を挙げ、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。決勝でアルゼンチンを破り優勝、大会ベストイレブンに選出された。
2018 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦と第3戦に出場したが、第3戦の韓国戦では数度の決定機を外してしまい、0-2と敗れグループリーグ敗退となった。
プレースタイル
ゲームの流れを読み、適切なポジショニングとマークでFWに仕事をさせず、また上述したようにファールも少ない。ボールを保持するとドリブルとロングパスで攻撃の起点となり、プレーメーカーのような働きもする。
人物
父のヘルマン・フンメルス(ドイツ語版)は元サッカー指導者で1994年から1995年まで1.FSVマインツ05の監督を務めたことがある。2歳年下の弟のヨナス・フンメルス(英語版)はマッツと同じセンターバックの選手であり、2016年まで所属したSpVggウンターハヒンクではキャプテンを務めていた。
2015年6月15日にパートナーのキャシー・フィッシャーとミュンヘンで挙式した。フンメルスが19歳の時から交際しており、7年越しのゴールインとなった。引用元:wikipedia
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2021年2月1日