イスコ

所属
背番号 22
ポジション MF
生年月日 1992年04月21日(32歳)
身長 / 体重 176cm / 69kg
国籍 スペイン

イスコの情報

イスコ(Isco)ことフランシスコ・ロマン・アラルコン・スアレス(Francisco Román Alarcón Suárez, 1992年4月21日 - )は、スペイン・アンダルシア州マラガ県出身、レアル・マドリード所属のスペイン代表サッカー選手。ポジションはFW、MF。

クラブ経歴

バレンシア
バレンシアCFの下部組織出身。2009-10シーズンはリザーブチームであるバレンシアCF・メスタージャでプレーし、セグンダ・ディビシオンB(3部相当)で25試合に出場して1得点を挙げたが、チームはシーズン終了後にテルセーラ・ディビシオン(4部相当)に降格した。2010年11月11日、コパ・デル・レイのUDログロニェス戦(4-1)でトップチームデビューし、この試合で2得点を記録した。11月14日のヘタフェCF戦(2-0)では、後半28分にアリツ・アドゥリスとの交代で途中出場し、プリメーラ・ディビシオン(1部)デビューを果たした。2010-11シーズンのリザーブチームでは15得点を挙げてセグンダ・ディビシオン復帰に貢献した。

マラガ
2011年7月11日、マラガCFと5年契約を結んで移籍した。移籍金は600万ユーロ。11月21日のラシン・サンタンデール戦(3-1)で移籍後初得点を挙げ、翌週のビジャレアルCF戦(2-1)でも得点した。2011-12シーズンは32試合に出場して5得点し、4位に入ったマラガはクラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。2012年9月18日、FCゼニト・サンクトペテルブルク戦でUEFAチャンピオンズリーグ初出場を果たすと、この試合で2得点を挙げてチームを3-0の勝利に導き、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。

マラガの上位進出に貢献したイスコには多くのクラブが獲得に動いた。レアル・マドリードへの移籍が秒読みとなった際、オーナーであるシェイク・アブドゥラ・ビン・ナッサル・アル・タニは、「イスコのために、背番号22は他のどの選手も着けることはできない」と敬意を表した。

レアル・マドリード
2013-14シーズン
マンチェスター・シティやチェルシーが獲得に動いたが、2013年6月27日、レアル・マドリードに5年契約で移籍決定。移籍金は3000万ユーロ(約38億円)前後と見られている。リーグ開幕戦となるレアル・ベティス戦ではスターティングメンバーに名を連ね、1ゴール1アシストの活躍でチームを勝利に導いた。その後も第3節のアスレティック・ビルバオ戦で2得点を記録するなど、リーグ開幕5試合で4得点を挙げて得点力を示した。しかし、フォーメーションが4-5-1から4-3-3に代わって攻撃的MFのポジションが無くなったことや、インサイドハーフにコンバートされたアンヘル・ディ・マリアの活躍などによりベンチに座ることが多くなった。当初は初めてプレーするポジションに苦しんだが徐々に適用を見せ、カルロ・アンチェロッティは新たなポジションでプレーするイスコをかつての教え子であるクラレンス・セードルフになぞらえて賞賛した。

2014-15シーズン
翌シーズンはUEFAスーパーカップとFIFAクラブワールドカップのタイトルを獲得。レアル・マドリード・カスティージャで監督を務めるジネディーヌ・ジダンは「技術的には私と同じレベルにあるように見える」と評し、スペイン紙マルカもまた「(ジダンは)サンティアゴ・ベルナベウで見ることができた最後の天才だったが、イスコの加入によって状況は変わった」と賞賛した。

2015-16シーズン
2015-16シーズンより、背番号が23からマラガ時代にも背負っていた22に変更となった。同シーズンに監督に就任したラファエル・ベニテス監督との確執が騒がれ、冬の移籍市場での移籍が報道されたが、解任されたベニテスの後任となったジネディーヌ・ジダン監督のもと、信頼を取り戻しジダン監督の初陣ではスターティングメンバーに名を連ねている。

2016-17シーズン
2016-17シーズンの前半戦はレギュラー格でなかったため、冬の移籍で移籍報道が再熱したが残留を果たした。2017年5月10日、欧州CL準決勝・2ndレグではアトレティコ・マドリードに貴重なアウェーゴールを決めて決勝進出に貢献した。このシーズンはリーガの5年ぶり制覇とチャンピオンズリーグ2連覇に貢献した。

2017-18シーズン
2017-18シーズンは序盤からスタメンとして活躍している。2017年9月23日、第6節のデポルティーボ・アラベス戦でレアル・マドリードでの公式戦において200試合に出場した。

2018-19シーズン
シーズン開幕時こそ、新監督だったフレン・ロペテギの下で重宝されていたものの、ロペテギは2018年10月28日のFCバルセロナ戦に1-5で敗れた2日後に解任。Bチーム監督から途中就任したサンティアゴ・ソラーリは、自身の目指すプレースタイルとイスコのプレースタイルなどが合わないことを理由に、イスコをローテーションから外すことを決断。イスコはSNSでソラーリを批判するなど、不遇のシーズンとなっていたが、ソラーリも2019年3月12日に解任。ジダンが監督に復帰し、イスコ自身も先発に復帰した同月16日のセルタ・デ・ビーゴ戦で、先制ゴールを決めた。

代表経歴

2009年には2009 FIFA U-17ワールドカップに出場し、3得点を挙げてスペインを3位に導いた。2010年にはSBSカップ 国際ユースサッカーに出場した。2011年には、マラガでチームメイトのレシオとともにFIFA U-20ワールドカップに出場した。コロンビアで開催されたこの大会で1得点を挙げたが、スペインは準々決勝で敗退した。2012年2月28日、U-23スペイン代表に招集されてU-23エジプト代表との親善試合に臨んだが、この試合で出場機会はなかった。UEFA U-21欧州選手権2013では、3得点を挙げてブロンズブーツとなると共に、大会優秀選手に選ばれた。

2012年5月15日、セルビア戦と韓国戦に臨むスペインA代表に初選出された。2013年2月6日、カタールのドーハで行われたウルグアイ戦にて代表デビューを飾った。2014年11月15日、UEFA EURO 2016予選のベラルーシ戦で代表初得点を挙げた。

ロシアW杯予選のイタリア戦では、シュート決定率100%(2得点)にパス成功率95%の数値を記録。マルコ・ヴェッラッティは「メッシでもあのレベルに達していない」とコメントした。

2018年3月27日のアルゼンチンとの親善試合でキャリア通じて初めてのハットトリックを達成した。

人物

愛称はマヒア(魔法)。この愛称は、レアル・マドリード加入直後にイケル・カシージャスやセルヒオ・ラモスらによって付けられた。本人もこの愛称を気に入っており、上腕部に入れ墨を彫っている。

強さと技術を併せ持ち、俊敏さやポゼッションはセルヒオ・アグエロに、プレーのヴィジョンやボールコントロール、パスの技術などはジネディーヌ・ジダンに例えられる。スペイン代表においてはアンドレス・イニエスタの後継者と見做され、イニエスタはイスコを「スペイン代表の未来」と語っている。また、攻撃面だけでなく守備も含めてチームに貢献する。

私生活

「メッシ」という名前のラブラドール・レトリバーを飼育している。

2014年8月17日に第一子となる長男が誕生した。

引用元:wikipedia

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2021年1月31日

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