クリスティアーノ・ロナウド

所属
背番号 7
ポジション FW
生年月日 1985年02月05日(39歳)
身長 / 体重 187cm / 83kg
国籍 ポルトガル

クリスティアーノ・ロナウドの情報

クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ OIH(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro、1985年2月5日 - )は、ポルトガル・フンシャル出身のサッカー選手。セリエA・ユヴェントスFC所属。ポルトガル代表。ポジションはフォワード。

愛称はCR7、ロニー。日本のメディアからはクリロナとも呼ばれる。テレビやスポーツ紙の多くは「ロナウド」と表記されているが、読売新聞や朝日新聞など一般紙では「ロナルド」表記が用いられている。

サッカー関係者からしばしば世界最高の選手と評されるプレイヤー。サッカー史上最多得点記録保持者。所属した4チーム全てにおいてリーグ戦または国内スーパーカップでの優勝を経験しており、3連覇を含めてUEFAチャンピオンズリーグを5度制覇している。イングランドプレミアリーグで3度、スペインプリメーラ・ディビシオンで2度、2019年にはイタリアセリエAでも優勝し、欧州三大リーグで優勝した史上初の選手となった。UEFAチャンピオンズリーグで7度得点王を獲得し、バロンドールを5度受賞するなど数々の栄誉を手にした。また、レアル・マドリードの通算最多得点記録、プレミアリーグのシーズン最多得点記録、UEFAチャンピオンズリーグの通算最多得点記録・同シーズン最多得点記録などで、数々の記録を打ち立てている。

ポルトガル代表では主将を務めており、同国代表の歴代最多出場記録、欧州国家における代表最多得点記録の保持者であると共にUEFA欧州選手権の通算最多出場、最多得点記録保持者でもある。UEFA EURO 2016では主将としてポルトガルを主要な国際大会初優勝に導いた。

趣味・嗜好

サッカーの次に好きなスポーツは卓球。スポルティングのアカデミー時代は施設2階の卓球チームで腕を磨いており、リオ五輪の卓球ポルトガル代表ジョアン・モンテイロは、「クリスティアーノは素晴らしい才能を持っていて、彼もプロ選手になれたはずだ」と語った。マンチェスター・ユナイテッド時代、リオ・ファーディナンドに負けると卓球台を購入して2週間練習し、ファーディナンドに勝利したというエピソードがある。

大の車好きとしても有名であり、2016年の時点で『レンジローバースポーツSVR』、『ロールスロイス・ゴースト』、『マセラティ・グランカブリオ』、『メルセデス・ベンツS65AMGクーペ』、『ポルシェ911ターボS』、『フェラーリ599GTO』、『マクラーレン・MP4-12Cスパイダー』、『ランボルギーニ・アヴェンタドールLP700-4』、『ブガッティ・ヴェイロン・スーパースポーツ』、『ラ・フェラーリ』、『フェラーリ・599GTBフィオラノ』といった多数の高級外車を自宅に揃えてることが判明している。2014年、スペイン最大の保険比較サイト『Acierto.com』によれば、所有する車の保険代金だけで年間10万ユーロを支出している計算になるという(2014年時点)。2020年には、世界に10台しかない『ブガッティ・チェントディエチ』を購入したとされ話題になった。

多数の高級外車以外にも約42億円のプライベートジェットも所有している。所有しているガルフストリーム G650の定員は18人であり、自身のシルエットとCR7の文字が機体に書かれている。また、ロナウドは頻繁にヨットでバカンスを楽しんでおり、レアル・マドリード時代はイビサ島やフォルメンテラ島などを訪れていた。2019年には、550万ポンド(約7億5,000万円)のヨットを購入した。

女性関係


マドリードでのロナウド(2010年4月)
ロナウドはサッカー以外に関しても話題になることが頻繁にあり、特に女性関係でのゴシップは多い。2007年10月には、アンデルソンやナニら数人を自宅に招き、5人の娼婦らと行ったパーティの様子を撮影した写真や動画が流出したことで、騒動を起こした。

2010 FIFAワールドカップ敗退後の7月3日に、自身のtwitterとFacebookにて息子が誕生し父親となったことを発表したが、母親については彼女のプライベートを尊重して公表していない。同じく、彼のエージェントも母親については答えていない(2010年からロナウドと交際していたロシア人モデルのイリーナ・シェイクは母親ではない)。なお、この女性には口止め料として1200万ユーロが支払われたことが報じられ、また息子の面倒をみるのはロナウドの方であるとも発表している。しかし、2009年オフにサンディエゴで代理母契約を結んだとも報道されており、口止め料ではなく、守秘義務と面会権の放棄のために1200万ユーロが支払われたとも報じられている。

息子は2010年6月17日に生まれ、クリスティアーノ・ロナウド・ジュニアと名付けられた。ロナウドが2度めの受賞を果たした2013年のFIFAバロンドール授賞式には、恋人のイリーナだけでなく母や姉達など家族と共にロナウドに同伴していた。翌年もロナウドはFIFAバロンドールを受賞したが、その授賞式にイリーナの姿はなく、数日後に破局を認めた。

長男ジュニアの他、2017年6月に生まれたマテオ、エバと双子の子供に関してそれぞれ母親は公表されていないが、2017年にマドリードで行われたドルチェ&ガッバーナのパーティで出会った恋人ジョージナ・ロドリゲスの妊娠については自身の子供であると認めた。

その他

2014年、ロナウドはTIME誌より世界で最も影響力のある100人に選ばれた。

2014年10月、英紙『ミラー』はロナウドのフェイスブックの「ファンの数」が1億人を突破したと報じた。2017年11月、『Apple Tree Communications』はロナウドが世界のありとあらゆる有名人の中で最もSNSのフォロワー数が多いセレブだと発表した。ロナウドの現在のフォロワー数は2億9,700万人を超えており、2位にはジャスティン・ビーバー、3位にはテイラー・スウィフトがランクインしている。Instagramのフォロワー数は2020年2月現在で2億人を超えており、世界で最も多くのフォロワーをもつ人物である(世界一フォロワー数が多いインスタグラム社の公式アカウントが誇る約3億3千万人に次ぐ、フォロワー数2位)。 。

2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ロナウドの年収は8000万ドル(約82億円)であり、サッカー選手としては1位、世界のアスリートの中ではボクシングのフロイド・メイウェザー・ジュニアに次ぐ2位であった。その後も毎年トップ3に入っており、2016年11月、FOXニュースなどはロナウドがスポーツブランドメーカーナイキ社と総額で1160億円を超えるスポンサー契約(生涯契約)を結んだことを発表。2016年、2017年には2年連続で最も推定年収の高額なスポーツ選手となった。2020年にサッカー選手として初めて生涯収入10億ドル超えを達成した。現役選手の間に生涯収入10億ドル超えを達成したアスリートはタイガー・ウッズとメイウェザーに続く史上3人目。

2017年5月、アメリカのESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、ロナウドは首位に選出された。

2015年8月、アメリカのポータルサイト『Look to the Stars』はロナウドが『世界で最も善き行いをしたアスリート』の第1位に選ばれたと発表した。ロナウドは何年も前から色々な国々や人々を支援しており、脳の手術を必要とする10歳のファンに8万3000ドル(約1000万円)を寄付したり、母国ポルトガルの癌センターに16万5000ドル(約2000万円)の資金提供をしたり、飢餓や肥満、生物多様性などの問題について自身の名声を使って世界中に訴えかけてきたことなどが主な選出理由とのことである。

献血ができなくなるからという理由で、体には入れ墨を一切入れておらず、かつて受けた「動機が不純。単に自らの名誉と影響力を拡大したいだけ。言ってしまえば、ショーにすぎない」という批判に対しては、「もし、他人を助けることがショーだと言うなら、僕は永遠にこのショーを止めるつもりはない」と語っている。

引用元:wikipedia

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