所属 | グラナダCF |
---|---|
背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1985年05月27日(39歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 74kg |
国籍 | スペイン |
所属 | グラナダCF |
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背番号 | 9 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1985年05月27日(39歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 74kg |
国籍 | スペイン |
ロベルト・ソルダード・リージョ(Roberto Soldado Rillo, 1985年5月27日 - )は、スペイン王国バレンシア州バレンシア県バレンシア出身のサッカー選手。プリメーラ・ディビシオン・グラナダCF所属。ポジションはフォワード。
経歴
レアル・マドリードCF
バレンシアに生まれ、地元のCFドン・ボスコという小さなクラブに所属していたが、15歳の時にレアル・マドリードの下部組織に入団した。2004-05シーズンはセグンダ・ディビシオンB(3部)で得点王となり、レアル・マドリード・カスティージャのセグンダ・ディビシオン(2部)復帰に大きく貢献した。翌2005-06シーズンはカスティージャに在籍しながらチーム状況に応じてトップチームでもプレーした。2005年10月23日のバレンシアCF戦 (1-2) で18分間出場して一部リーグ戦デビューを果たす。また、その5日前の9月28日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ・オリンピアコスFC戦 (2-1) では途中出場したわずか6分後の86分に決勝点を決めている。CAオサスナ戦では同点弾を決め、アウェーでのラシン・サンタンデール戦(3-2)、コパ・デル・レイのアスレティック・ビルバオ戦 (4-0) でもゴールを決めた。また、カスティージャでは19得点 (2PK) を挙げ、20得点のレクレアティーボ・ウェルバのイケチュク・ウチェに次ぐ得点ランキング2位となった。
2006年7月24日、ラモン・カルデロン会長とファビオ・カペッロ監督の新体制下で正式にトップチームに昇格した。しかし、同年夏のプレシーズンにルート・ファン・ニステルローイなどが加わり、フォワードのポジションにソルダードの居場所はなくなったため、CAオサスナにレンタル移籍した。様々なクラブが獲得に興味を示していたが、オサスナがUEFAチャンピオンズリーグ予選の出場権を獲得していたことが決め手となった。予選で敗退したためにUEFAチャンピオンズリーグ本選出場はならなかったものの、2006-07シーズンはリーグ戦での11得点を含む公式戦通算14得点を挙げ、チーム内得点王になった。2007年7月11日にレアル・マドリードに復帰し、2012年6月30日までの新契約を結んだ。7月21日にはアス紙のインタビューで背番号9を与えられたことを明らかにした。しかし、厚い選手層に出場機会を阻まれ、フォワード陣に負傷者が出た時期に自身も負傷する不運に見舞われたため、2007-08シーズンのリーグ戦では5試合の出場にとどまり、先発出場したのはデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦のわずか1試合に終わった。
ヘタフェCF
2008年7月29日、移籍金400万ユーロでヘタフェCFに移籍し、4年契約を結ぶ。また、その1週間前にはエステバン・グラネロがソルダード同様にレアル・マドリードからヘタフェに移籍していた。10月19日のマラガCF戦(1-2)で初得点を挙げ、2ヵ月後のCAオサスナ戦 (2-5) では2得点を決めた。その間に行われたバレンシアCF戦 (0-3) ではDFカルロス・マルチェナへの頭突きで退場処分を受けている。2009年1月25日のスポルティング・デ・ヒホン戦 (5-1) ではハットトリックを達成した。3月22日のレクレアティーボ・ウェルバ戦 (2-1) では2得点を挙げ、残留の直接のライバル相手の貴重な勝利に貢献した。4月に行われたレアル・マドリード戦では先制点を挙げたが、2-3で敗れている。2008-09シーズンはチーム最多の13得点を記録し、17位でのプリメーラ・ディビシオン残留に貢献した。
2009-10シーズンも好調を維持し、4-1で勝利したラシン・サンタンデール戦(アウェー)ではハットトリックを達成した。その後は長く得点を奪えなかったが、ホームで5-1と大勝したヘレスCD戦では再びハットトリックを決めた。2009年12月19日のセビージャFC戦 (2-1) で2得点して得点数を二桁に乗せると、マヌ・デル・モラルとダニ・グイサが保持していたそれまでのクラブの1シーズン最多得点を塗り替えた。負傷のために1ヶ月の間戦線離脱したが、復帰して迎えたスポルティング・デ・ヒホン戦 (1-1) ではバイシクルシュートを決めた。2009-10シーズンはリーグ戦で自己最多の16得点を記録し、クラブはUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。
バレンシアCF
2010年6月9日、FCバルセロナに移籍したダビド・ビジャの代わりを探していた故郷のクラブ・バレンシアCFに加入した。移籍金は1000万ユーロ。9月14日のUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグのブルサスポル戦 (4-0) でデビューし、その試合で初得点も挙げた。11月にエスタディオ・デ・メスタージャで対戦した際には2得点し、6-1の大勝に一役買った。リーグ戦の序盤から中盤にかけてはゴール数が伸び悩んでいたが、終盤の8試合で12得点と大爆発し、最終的にはチームトップの18得点を叩き出した。
翌2011-12シーズンもゴールを量産。11月23日のチャンピオンズリーグ・KRCヘンク戦では前半の26分間にハットトリックを達成した。
トッテナム・ホットスパーFC
2013年8月1日、トッテナム・ホットスパーはソルダードの移籍に関してバレンシアCFと合意したことを発表。
ビジャレアルCF
2015年8月14日、ビジャレアルCFに移籍。3年契約で移籍金は1000万ユーロ。
フェネルバフチェSK
2017年8月11日、フェネルバフチェSKに移籍した。
グラナダCF
2019年7月15日、グラナダCFにフリー移籍し、1年契約を結んだ。
代表
世代別代表
U-15世代で世代別スペイン代表に初招集されてから、U-21スペイン代表までの各世代別代表で通算26得点を決めている。2004年にはU-19スペイン代表としてUEFA U-19欧州選手権に出場して優勝し、それにより2005年のFIFAワールドユース選手権の出場権を得たが、所属するレアル・マドリードBでセグンダ・ディビシオンA昇格争いを繰り広げていたことにより出場しなかった。
A代表
2007年6月のUEFA EURO 2008予選のためにスペインA代表に初招集され、ラトビア戦とリヒテンシュタイン戦の両方に出場した。UEFA EURO 2008本大会に出場するメンバーからは外れている。
その後長く代表での出番から遠ざかっていたが、2012年2月29日のベネズエラとの親善試合でおよそ5年ぶりに出場すると、代表初得点を記録。さらにもう1点を決めて迎えたPKのチャンスでは失敗してしまったものの、その後3点目を挙げ、ハットトリックを達成した。引用元:wikipedia
2021年1月31日