所属 | 横浜F・マリノス |
---|---|
前所属先 | SEパルメイラス/ブラジル |
背番号 | 13 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1995年03月17日(29歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 76kg |
出身地 | ブラジル |
所属 | 横浜F・マリノス |
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前所属先 | SEパルメイラス/ブラジル |
背番号 | 13 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1995年03月17日(29歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 76kg |
出身地 | ブラジル |
チアゴ・マルティンスことチアゴ・マルティンス・ブエーノ(葡: Thiago Martins Bueno、1995年3月17日 - )は、ブラジルミナスジェライス州出身のプロサッカー選手。横浜F・マリノス所属。ポジションはディフェンダー。
来歴
パルメイラス-パイサンドゥ-パルメイラス-バイーア(2013年-2017年)
2013年10月1日、将来のSEパルメイラスを背負う選手として大きな期待を背負いモジミリンECのU-20から加入 した。2013年11月30日、ブラジル全国選手権2部のシャペコエンセ戦でプロデビューを果たすもチームは0-1で敗戦した。これを受け、チームの判断でU-20所属となった。
2014年のコパ・サンパウロ(ポルトガル語版)ではキャプテンとしてU-20のチームを率いたが、膝の怪我でチームを離れることを余儀なくされた。
2015年にパイサンドゥSCへの期限付き移籍を経て2016年にSEパルメイラスに復帰すると公式戦31試合に出場し、ブラジル全国選手権1部の優勝メンバーの一人となった。
2017年シーズンはレギュラーとしてシーズンインする も2017年3月に練習試合で左膝の前十字靭帯を負傷し、手術とリハビリで6ヶ月の離脱を強いられた。2017年9月に回復すると、同年末までの期限付き移籍でECバイーアに加入した。
パルメイラス復帰(2018年)
2018年1月、SEパルメイラスに復帰した。守備の大黒柱であったエドゥ・ドラセナが怪我でシーズン開始に間に合わない中、ホージェル・マシャド監督の信頼を勝ち取り、サンパウロ州選手権では全18試合中17試合に出場し、決勝でコリンチャンス相手にPKで敗れたもののチームの準優勝に貢献した。またコパ・リベルタドーレスでもグループリーグ6試合の内4試合に出場し、首位通過に貢献した。
しかし4月後半に復帰したエドゥ・ドラセナにポジションを奪われると出場機会を減らし、ブラジル全国選手権1部では8月6日の17節終了時点で7試合の出場に留まっていた。7月26日にホージェル・マシャドは解任された が、後任のルイス・フェリペ・スコラーリ監督からは「試合で起用する予定がない」旨を伝えられていた。
横浜F・マリノス(2018年-)
2018年8月14日、1年半の期限付き移籍 での横浜F・マリノス加入が発表された。移籍発表時のコメントでは「ビルドアップや1対1のデュエルの部分が自分の特長」と自身のプレースタイルを紹介すると共に、「F・マリノスに加入することが出来てとても幸せです。チームの目標達成のために全力を尽くしたいと思います。」と述べた。
2018年8月20日、J1第23節の鹿島アントラーズ戦で初出場を果たし、後半35分までプレーするも試合には敗れた。試合後のコメントでは「F・マリノスに来て初めての試合なので、もっとコミュニケーションに苦労するかなと思いましたけど、周りがよく声をかけてくれました。この場を借りて、仲間に感謝の気持ちを伝えたいです。日本でプレーしながら日本のサッカーを学ぶことで、自分自身、選手として成長したいと思います」 と述べた。
2019年シーズン、畠中槙之輔と共にセンターバックのコンビとしてスターティングメンバーに定着、J1優勝に貢献して、個人としてはベストイレブンに選出された。これらの活躍が評価され、マリノスに完全移籍することとなった。
2020年シーズン、第32節のサンフレッチェ広島戦では相手FKをクリアしようとしてオウンゴールになったが、試合終了間際にPKを蹴って、J1初ゴール(移籍後初ゴール)を決めた。引用元:wikipedia
2021年2月3日