所属 | バイエルン・ミュンヘン |
---|---|
背番号 | 13 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1989年03月23日(35歳) |
身長 / 体重 | 191cm / 91kg |
国籍 | カメルーン |
所属 | バイエルン・ミュンヘン |
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背番号 | 13 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1989年03月23日(35歳) |
身長 / 体重 | 191cm / 91kg |
国籍 | カメルーン |
ジャン=エリック・マキシム・シュポ=モティング(Jean-Eric Maxim Choupo-Moting, 1989年3月23日 - )は、ドイツ・ハンブルク出身のサッカー選手。カメルーン代表。FCバイエルン・ミュンヘン所属。ポジションはフォワード。
チュポ=モティングと表記されることもある。
経歴
ユース
ハンブルクで生まれたシュポ=モティングは、ハンブルク・オッテンセンを拠点とするFCテウトニア・オッテンセン05の下部組織からキャリアを始めた。2000年にアルトナ93へ移動し、ハンブルガー・ポカールで優勝。2003年にFCザンクト・パウリに加入した。
ハンブルガー
2004年から地元のハンブルガーSVの下部組織に移籍。2006-07シーズン冬の中断期間にリザーブチームに登録されると、2007年5月5日にプロ契約を2010年まで結び、2008-09シーズンのトップチームに登録された。2007年8月1日にユヴェントスFCとの親善試合(1-0)で初得点を挙げ、それから4日後のDFBポカール・ホルシュタイン・キール戦(5-0)でプロデビューを果たした。8月11日のハノーファー96戦で69分から出場し、ブンデスリーガデビュー。2008年2月1日に契約を2011年6月30日まで延長した。
ニュルンベルク
2009年8月下旬に1.FCニュルンベルクへ1年間貸し出され、9月19日のバイエルン・ミュンヘン戦(1-2)で移籍後初得点を挙げた。前半戦は10試合でフル出場が僅か2試合、第24節までは1得点のみだったものの、第25節のバイエル・レバークーゼン戦で当時無敗を誇っていた相手に2得点を決める活躍を見せたことで以降はレギュラーを掴み取り、このシーズンで昇降格プレーオフを含め27試合6得点を記録。また、2部降格危機にある中でFCアウクスブルクとのプレーオフ第2戦で得点を挙げ、残留に貢献した。
ハンブルガー復帰
ドイツ・ブンデスリーガ2010-2011に復帰し、前半戦はリーグ戦で10試合(2得点), ポカールで2試合に出場。後半戦に1.FCケルンへ貸し出されることで合意に達したものの、FAX機の故障が原因で書類の提出期限に間に合わず受理されなかった。ケルン側は、FAXの技術的な問題を理由にドイツサッカーリーグ機構 (DFL)に許可を求めたが、最終的に移籍することは出来なかった。この契約が破断したことでハンブルガーに戻るも、トップチームに居場所はなく、4部のリザーブチームでプレーすることになり、2011年6月30日に契約満了に伴い退団した。
マインツ
2011年5月18日に自由移籍で1.FSVマインツ05へ3年契約で加入し、1年目にチーム最多の10得点を挙げた。
ストーク
2017年8月7日、ストーク・シティFCと3年契約を結ぶ。
パリ・サンジェルマン
2018年8月31日、マインツ時代の監督トーマス・トゥヘル率いるパリ・サンジェルマンFCと2年契約を結ぶ。 リーグ・アンデビュー戦となった9月23日のスタッド・レンヌ戦ではPSGでの初得点を記録。
バイエルン・ミュンヘン
2020年10月5日、FCバイエルン・ミュンヘンと2021年6月30日までの契約を結んだ。
代表
シュポ=モティングは、ユース時代はドイツ代表としてU-19及びU-21でプレーし、2007年9月12日にドイツサッカー連盟 (DFB)が選定する最優秀選手賞・フリッツ・ヴァルター・メダルの銀メダルを受賞した。
A代表は、父の母国であるカメルーン代表でプレーすることを決意し、ポール・ル・グエン監督の下で2010 FIFAワールドカップに向けた候補30人に選出された。6月5日のセルビア戦(3-4)で初得点を記録。その後、本大会23人のメンバーに選出され、日本戦とオランダ戦で出場(共に先発)したが、共に得点を挙げることは出来ずに最下位で敗退した。引用元:wikipedia
2021年2月1日