ジエゴ・コスタ

所属
背番号 19
ポジション FW
生年月日 1988年10月07日(35歳)
身長 / 体重 186cm / 87kg
国籍 スペイン

ジエゴ・コスタの情報

ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ(Diego da Silva Costa、1988年10月7日 - )は、ブラジル・セルジッペ州ラガルト出身のサッカー選手。スペイン代表。ポジションはフォワード。

ヂエゴ・コスタ、ディエゴ・コスタなどと表記されることもある。名選手ディエゴ・マラドーナにちなんでの名前だとは本人の弁。

クラブ経歴

プロ入り前
16歳までストリートサッカーをしていたが、2004年、サンパウロにあるバルセロナEC(ポルトガル語版)の下部組織に入団した。バルセロナECではプロデビューすることなく、2006年2月1日、ポルトガル・スーペル・リーガのブラガに移籍し、数か月間をリザーブチームで過ごした後に自身初のプロ契約を交わした。2006年夏、半年間の契約でリーガ・デ・オンラ(2部)のペナフィエルにレンタル移籍した。

アトレティコ・マドリード
2007年1月、リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードに完全移籍した。アトレティコは150万ユーロを支払って保有権の50%を獲得している。2006-07シーズンの後半戦は古巣のブラガにレンタル移籍し、UEFAカップのパルマ戦 (1-0) でブラガでの初得点を挙げた。2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のセルタに、2008-09シーズンはセグンダ・ディビシオンのアルバセテ・バロンピエにレンタル移籍し、それぞれのクラブでレギュラーとしてプレーした。

レアル・バリャドリード
2009年7月8日、セルヒオ・アセンホプラス金銭とのトレードという形でバリャドリードに完全移籍した。ただし、2009-10シーズン終了後にアトレティコに復帰できる買戻しオプションがつけられた。序盤戦は調子がよく、出場した12試合で6得点を挙げたが、中盤戦から終盤戦にかけての期間は1点しか奪えず、チームはセグンダ・ディビシオン降格という結果に終わった。

アトレティコ・マドリード復帰
2010年6月、買戻しオプションを行使されて、移籍金100万ユーロでアトレティコ・マドリードに復帰した。2010年8月30日、スポルティング・ヒホン戦 (4-0) でラ・リーガデビューし、当初はセルヒオ・アグエロとディエゴ・フォルランの控えだったが、9月26日のレアル・サラゴサ戦 (1-0) ではアグエロの負傷欠場のために先発出場の機会を得ると、ホームの観客の前で決勝点となる移籍後初得点を挙げ、その試合からリーグ戦3試合連続得点を記録した。キケ・サンチェス・フローレス監督は調子の上がらないフォルランを控えに降格させ、ジエゴ・コスタの出場機会が増加した。2011年4月3日、CAオサスナ戦 (3-2) ではチームの全得点となるハットトリックを達成した。2011年7月下旬、プレシーズン中に膝に重傷を負い、2011-12シーズンの大半を欠場することになった。

2012年1月、ラージョ・バジェカーノに6月までの期限付き移籍した。移籍後最初の3試合で4得点を記録し、2月20日、レバンテ戦では2得点を記録した。最終的に16試合に出場し、10得点を記録した。

2012–13シーズン、アトレティコに復帰し、コパ・デル・レイではヘタフェ戦 (3-0) で2得点を記録し、レアル・ベティス戦でも得点を記録し、準決勝進出に貢献した。準決勝第1戦のセビージャ(2-1) 戦では2本のPKで得点を記録、第2戦では自身の得点に加え、ラダメル・ファルカオの得点をアシストした。決勝戦のレアル・マドリード戦では同点ゴールを記録し、チームの優勝に貢献した。コパ・デル・レイで8得点を記録し、クリスティアーノ・ロナウドを抑えて得点王を獲得した。

2013–14シーズン、リーグ戦初戦のセビージャ戦で2得点を記録し、レアル・マドリードとのマドリードダービーでは唯一の得点を記録し勝利に貢献した。2013年10月22日、チャンピオンズリーグのアウストリア・ウィーン戦でチャンピオンズリーグデビューし、2得点を記録した。2月19日、ACミラン戦1stレグでガビのコーナーキックから得点。2ndレグでも2得点し、17年ぶりに準々決勝に導いた。

2014年4月30日、チャンピオンズリーグ準決勝2ndレグチェルシー (3-1) 戦ではPKから得点し、1974年以来の決勝進出を果たした。リーグ戦では27得点を記録し、 クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシに次ぐ得点ランク3位に入った。また1996年以来、18年ぶりにリーグ優勝を達成した。

チェルシーFC
2014年7月1日、イングランドのチェルシーに移籍することで合意に達した。違約金は4000万ユーロ(約56億円)とされている。15日、5年契約での移籍が完了した。7月27日のプレシーズンマッチで初出場を果たし、同じく新加入のセスク・ファブレガスのアシストから初得点を記録。8月18日に行われたプレミアリーグ第1節バーンリー戦で公式戦初得点を記録すると、その後のリーグ戦2試合でも得点を挙げ、8月のリーグ月間最優秀選手に選出された。9月13日に行われたリーグ第4節のスウォンジー・シティ戦においてハットトリックを達成した。

2017年9月、アントニオ・コンテ監督との確執が表面化し、昨季チームの得点王ながらダヴィド・ルイスとともに戦力外通告を受ける。今夏に新しく入ってきたアルバロ・モラタがチームに定着すると、ベンチ入りすらも許されなかった。

彼は『僕はチームを離れる。コンテが僕をこれ以上必要としていないと言ったんだ』って送ってきた。僕が『どういう意味?』って返すと、『コンテは僕にテキストメッセージでチームにこれ以上必要なく、チームに戻って来なくてもいいって送ってきた』とジエゴは教えてくれた。ジエゴ・コスタのような選手を失ってしまっては、全てが困難になってしまう
— ウィリアン、2018年8月

アトレティコ・マドリード再復帰
9月21日にアトレティコ・マドリードとチェルシーFCがクラブ間合意したことが発表され、9月26日にアトレティコ加入が正式に決定した。アトレティコは夏の移籍市場における補強が禁止されているために加入は2018年1月になる。

1月3日の国王杯、リェイダ・エスポルティウ戦で復帰し復帰後初ゴールを決めた。6日のリーガ、ヘタフェ戦では復帰後リーグ初ゴールを決めるが、直後のゴールセレブレーションが理由で2枚目のイエローで退場となった。ヨーロッパリーグ準決勝アーセナル戦2ndレグでは決勝ゴールを決め、決勝進出を助けた。

2018年スーパーカップでは2ゴールを決め、ライバルレアル・マドリードを下しての勝利を助けた。2019年7月27日、プレシーズンにニュージャージー州で行われたICC 2019でのレアル・マドリードとのダービーでは、4得点を決め、7-3での大勝に大きく貢献するも、63分にダニエル・カルバハルと乱闘になり、レッドカードで退場した。

個人的な理由で自らクラブに契約解除を求め、 2020年12月29日にクラブと契約解除で合意した。

アトレティコには2006年に17歳で加入以降、公式戦215試合出場し、83ゴール、36アシストを記録した。また、ラ・リーガ(2013-14)、コパ・デル・レイ(2013)、ヨーロッパ・リーグ(2018)、2度のヨーロッパスーパーカップ(2010、2018)の5つのタイトルを獲得した。

代表経歴

ブラジル代表
2013年3月にブラジル代表に招集され、同月に行われたイタリア代表とロシア代表との親善試合に出場した。

スペイン代表
2013年10月、 当時のスペイン代表監督ビセンテ・デル・ボスケと話し合いの場が設けられ、翌11月、スペイン代表に初招集されることが発表、最終的には負傷のために召集は見送られた。

ブラジル代表を捨て、スペイン代表を選んだことに対して、当時のブラジル代表監督のルイス・フェリペ・スコラーリは「裏切り」と批判した。本人は「スコラーリがロシアとの親善試合後にまた呼ぶと言っていたが、フォワードが何人か負傷していた状況でも呼ばれなかった。静かに待ってみたが、FIFAコンフェデレーションズカップにも呼ばれなかった」とし、「そんな中、スペイン代表から声が掛かり、それを受諾した。そしたらスコラーリが突然僕を求めていると話し始めた」と語った。元ブラジル代表のペレは「選ぶ権利は彼にある。スペインでチャンスを得て、そこにとどまることを選んだ。過去にブラジルで正当な評価を受けなかったと思っていたなら、正しい判断だったのでは」と擁護している。

2014年3月5日、ビセンセ・カルデロンで行われた、イタリア代表との親善試合で再招集され、初出場を果たした。アトレティコ・マドリードの本拠地であったビセンテ・カルデロンで行われたことについて、「神様は僕がカルデロンでスペイン代表デビューする素晴らしさを知っているのかもしれない」と語った。

2014年10月12日のUEFA EURO 2016予選、ルクセンブルク代表戦で代表初得点を挙げた。

2018 ワールドカップのスペイン代表のメンバーに召集された。初戦のポルトガル代表戦では2得点の活躍でチームの引き分けに貢献、第2戦イラン代表戦では決勝ゴールを決め、決勝トーナメント進出を助けた。

引用元:wikipedia

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