所属 | ガンバ大阪 |
---|---|
前所属先 | セレッソ大阪 |
背番号 | 10 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年11月26日(36歳) |
身長 / 体重 | 172cm / 68kg |
出身地 | 大阪 |
所属 | ガンバ大阪 |
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前所属先 | セレッソ大阪 |
背番号 | 10 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1988年11月26日(36歳) |
身長 / 体重 | 172cm / 68kg |
出身地 | 大阪 |
倉田 秋(くらた しゅう、1988年11月26日 - )は、大阪府高槻市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ/ボランチ)。元日本代表。
来歴
プロ入り前
中学時代からガンバ大阪の下部組織に所属。2006年、高校3年次の日本クラブユース選手権大会では、決勝でゴールを決めるなど大きく貢献(チーム1-0で優勝)し、大会MVPに輝いた。
ガンバ大阪
2007年にトップチームに昇格(同期昇格は下平匠、星原健太)。シーズン前の海外キャンプでは才能の片鱗を見せ、当時の西野朗監督はガンバの攻撃を操るユースの先輩と比較して「二川2世」と評した。7月7日に行われたヤマザキナビスコカップ、浦和レッドダイヤモンズ戦でスタメンで公式戦初出場を果たすと、ボランチの位置で90分間積極的にプレー。バー直撃の推定35m強烈ミドルやファールでしか止めることの出来ないほど推進力のあるドリブルを披露した。ユース時代はキャプテンを務め、チームが「攻撃的スタイル」にシフトチェンジする際に、ポジションをセンターハーフからサイドハーフに変え、前に出ていく回数を増やすという戦術が頻繁に用いられた。しかし、遠藤・二川らの経験豊富な中盤に割って入るには至らず、出場機会には恵まれなかった。
レンタル移籍
2010年、J2のジェフユナイテッド市原・千葉への期限付き移籍が発表された。J2開幕戦のロアッソ熊本戦で、Jリーグ初得点を決め順調な滑り出しを見せると、以後レギュラーに定着した。
2011年、セレッソ大阪への期限付き移籍での加入が発表された。J1開幕戦、古巣ガンバとの大阪ダービーで、J1初得点を決めると低迷するチームの中得点を重ね、最終的にチームトップタイの10得点を挙げる活躍を見せた。
ガンバ大阪復帰
2012年、セレッソ大阪との移籍期間満了につき3年ぶりにガンバ大阪に復帰した。開幕当初は怪我で出遅れるも、復帰後はレギュラーに定着しガンバでも安定したプレーを見せたが、チームは極度の不振に陥りJ2降格となってしまった。
2013年、J1クラブからオファーを貰うもガンバに残留した。開幕からレアンドロと2トップを組み攻撃陣を牽引し、前半戦だけで7得点を記録するなど監督の長谷川健太からは「前半戦のMVP」と称される活躍を見せた。しかし、J2第21節徳島戦で左膝外側側副靭帯損傷および左脛骨近位骨挫傷の重傷を負い長期離脱を余儀なくされ、2か月半後のJ2第36節栃木戦で復帰。以降、サイドハーフで出場し、ガンバのJ2優勝とJ1復帰に貢献した。
2014年、開幕当初はFWの人材不足により前線で起用されることが多かったが、シーズン半ば以降は中盤の2列目からの積極的なハードワークで攻守両面にわたり奮闘。天皇杯2回戦ツエーゲン金沢戦ではプロ入り初のハットトリックを達成。シーズン終盤は控えに回ったが、優勝への天王山となった第32節浦和戦では、試合終了間際にダメ押しゴールを決めるなど随所で存在感を発揮し、ガンバのリーグ優勝さらには国内三冠に大きく貢献した。
2015年7月23日、東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに初選出された。8月5日の韓国戦で代表初出場を果たし、山口蛍の代表初ゴールをアシストする活躍を見せた。前半戦はベンチスタートになることもあったが、長谷川監督の守備を安定させる意向で後半戦から4-2-3-1のシステムが採用されるとトップ下のレギュラーに定着し攻守両面のキーマンとして活躍。天皇杯準々決勝鳥栖戦と準決勝広島戦では宇佐美貴史が決めた計4得点全ての起点となり、決勝の浦和戦ではパトリックの先制ゴールをアシストし天皇杯連覇に貢献するなど決定的な成果も多くもたらした。
2016年5月21日、第13節のサンフレッチェ広島戦ではボランチとして先発して勝利に貢献した。その後は井手口陽介がボランチに定着したため本来のサイドハーフのポジションに戻った。
2017年より長年二川孝広がつけていた背番号「10」番に変更された。3月16日、日本代表のメンバー発表が行われ、東アジアカップ以来の代表復帰を果たした。4月16日、第7節のセレッソ大阪との大阪ダービーではアドリアーノ以来2人目、日本人では初の大阪ダービーにおいて両クラブで得点を果たした。10月6日、キリンチャレンジカップのニュージーランド戦で代表初得点を決めた。
2019年10月19日、第29節の川崎フロンターレ戦では、65分に小野瀬康介からのクロスに飛び込みヘディングで同点ゴールを決めた。しかし、そのシュート時に川崎の選手と頭が激突し、そのまま倒れ込んだまま動けなくなり途中交代となった。その後、救急車で病院に搬送され、脳震とうと左頬骨骨折と診断された。
2020年2月23日、開幕戦の横浜F・マリノス戦でJ1通算50得点を決め、チームの2011年以来9年ぶりの開幕戦勝利に貢献した。引用元:wikipedia
2021年2月3日