所属 | UCサンプドリア |
---|---|
背番号 | 27 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1983年01月31日(41歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 79kg |
国籍 | イタリア |
所属 | UCサンプドリア |
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背番号 | 27 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1983年01月31日(41歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 79kg |
国籍 | イタリア |
ファビオ・クアリャレッラ(Fabio Quagliarella, 1983年1月31日 - )は、イタリア・カステッランマーレ・ディ・スタービア出身のサッカー選手。UCサンプドリア所属。イタリア代表。ポジションはフォワード。
日本では、翻訳者によってクアリアレッラと表記されることもある。
略歴
1999年、トリノFCにてデビュー。レンタル移籍で当時セリエC2を戦っていたACFフィオレンティーナでのプレー経験もある。2005年にトリノが破産するとその年にウディネーゼ・カルチョへ移籍し、昇格したアスコリに保有権の半分が売却されアスコリにてプレーする。
2006年7月15日、UCサンプドリアへ移籍。ワルテル・ノヴェッリーノ監督の下、フランチェスコ・フラーキを欠いて苦しむチームにおいてブレイクし13ゴールをマークして注目を集める。2007年6月21日にウディネーゼへ完全移籍で復帰。アントニオ・ディ・ナターレらと共に攻撃的なサッカーでゴールを量産。2009年6月1日に移籍金1600万ユーロの5年契約でSSCナポリへ移籍。13得点を挙げる活躍を見せたが、1年で退団した。
2010年8月27日、ユヴェントスFCへレンタル移籍。ユヴェントスはナポリにレンタル料として450万ユーロを支払い、さらにシーズン終了後に1050万ユーロを支払うことで完全移籍させることが出来る契約となった。開幕からレギュラーとして活躍し17試合で9ゴールと好調を維持するが、2011年1月6日のパルマFC戦で右膝前十字靭帯を損傷、残りのシーズンを棒に振り、好調だったチームもしだいに失速して7位に沈んだ。シーズン終了後の6月22日にユヴェントスに完全移籍。その後はアレッサンドロ・マトリやミルコ・ヴチニッチ、カルロス・テベス、フェルナンド・ジョレンテといったFWが加入し定位置を失ったものの、一定の出場機会を得た。
2014年7月18日、古巣のトリノFCへ完全移籍。移籍金は300万ユーロ。
2016年2月2日、退団したエデルの後釜として古巣UCサンプドリアへ買取義務付きのレンタルで復帰。2017年8月21日に行われた2017-18シーズン開幕戦のベネヴェント・カルチョ戦で2得点を挙げ好調のままシーズンをスタート。2018年1月21日のACFフィオレンティーナ戦においてハットトリックを達成し、最終的に当時35歳でキャリアハイとなる19得点を叩き出した。
2018年9月2日、ナポリ戦でバックヒールボレーでゴールを挙げ、このゴールは2019年のプスカシュ賞にノミネートされた。2019年1月26日、セリエAのウディネーゼ戦で2ゴールを決め、セリエA11試合連続得点を達成し、1994-95シーズンにガブリエル・バティストゥータが打ち立てたセリエA連続試合得点記録に並んだ。その後も好調を維持し最終的に26ゴールを決め、36歳ながらセリエAの得点王に輝いた。
2019年12月7日、2021年まで契約を延長した。
代表
イタリア代表では、2007年6月7日に対リトアニア戦で2ゴールを決め快勝したことから、この年の移籍市場では話題を呼んだ。EURO2008のイタリア代表メンバーに招集された。
2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選出され、グループリーグ最終節・スロバキア戦では後半1分から交代で出場し、アディショナルタイムに見事なループシュートでゴールを決めたが、チームは2-3で敗れてグループリーグ敗退となりW杯連覇は成らなかった。
その後2015年を最後に代表には招集されていなかったが、サンプドリアでの活躍により2019年3月のUEFA EURO 2020予選の2試合のメンバーに選出された。23日のフィンランド戦には後半35分から途中出場し、2010年11月以来3048日ぶりの出場を果たすと、続く26日のリヒテンシュタイン戦では先発に名を連ね、PKにより2得点を決めた。この36歳54日でのゴールは、2008年6月にクリスティアン・パヌッチが記録したイタリア代表の最年長得点記録を約11年ぶりに塗り替えるものとなった。引用元:wikipedia
2021年1月31日