所属 | ユヴェントスFC |
---|---|
背番号 | 3 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1984年08月14日(40歳) |
身長 / 体重 | 187cm / 85kg |
国籍 | イタリア |
所属 | ユヴェントスFC |
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背番号 | 3 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1984年08月14日(40歳) |
身長 / 体重 | 187cm / 85kg |
国籍 | イタリア |
ジョルジョ・キエッリーニ(Giorgio Chiellini, 1984年8月14日 - )は、イタリア・ピサ出身のサッカー選手。セリエA・ユヴェントスFC所属。イタリア代表。ポジションはディフェンダー。
クラブ経歴
12歳の時に、地元のクラブチームのASリヴォルノ・カルチョの下部組織に入団すると、サイドバックとして頭角を現す。チームのセリエA昇格に貢献した後、ユヴェントスFCに引き抜かれる。しかし、ACFフィオレンティーナへレンタル移籍。左サイドバックのレギュラーとして起用され、37試合に出場する。
2005-06シーズンよりユヴェントスに復帰し、シーズン開幕直後に右サイドバックのレギュラーだったジョナサン・ゼビナが首脳陣と問題を起こしたため、ザンブロッタが右サイドに回る形で、キエッリーニが左サイドのレギュラーに定着する。ザンブロッタがFCバルセロナに移籍した2006-07シーズンには本来の左サイドバックだけでなく、怪我人が多発したセンターバックのポジションでも起用され、及第点のプレーを見せる。2007-08シーズン開幕前にはセンターバックとしての能力が開花したが、怪我で度々欠場をしたり、コンテ監督時代にも度々サイドバックでプレーする事もあった。また2011-12シーズンは、リーグ戦無敗優勝に貢献した。
2012-13シーズンのキエーヴォ戦にてセリエA250試合出場を達成。2013年度のUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーではイタリア人として唯一候補に選ばれたが、選出はされなかった。
2014年1月5日のローマ戦にてセリエA300試合出場を達成。2014-15シーズンにはコッパ・イタリア決勝ではSSラツィオを相手に先制点を記録し優勝に貢献。UEFAチャンピオンズリーグでもクラブの決勝進出に貢献したが、決勝は怪我の為欠場し、チームはバルセロナに敗れた。
2016年5月14日のサンプドリア戦でユヴェントスでの400試合出場を果たし、その試合ではゴールを決めた。2016年10月サンプドリア戦では2ゴールを決め勝利に貢献。2016-17シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝・バルセロナ戦では、バルセロナの攻撃陣を1stレグ、2ndレグともに無得点に抑えるだけではなく、1stレグではユヴェントスの3点目となるヘディングでのゴールを決め、チャンピオンズリーグベスト4入りに貢献した。
2018-19シーズンより、退団したジャンルイジ・ブッフォンの後を継いで、キャプテンに就任することが決定した。チャンピオンズリーグのベスト16、アトレティコ・マドリード戦で通算500試合出場が達成された。
2019-20シーズン、2019年8月30日のトレーニング中に大けがを負い、シーズン全休の見通しとなった。しかし、24節のブレッシア戦で後半78分から出場し復帰を果たし、25節のSPALでは先発出場した。怪我の影響で優勝が決定したサンプドリア戦まで、リーグ戦4試合のみの出場ながら、チームで唯一セリエA9連覇を果たした選手となった。
代表経歴
2004年11月17日にメッシーナで行われたフィンランド戦で代表デビュー。2007年11月21日のEURO2008予選・フェロー諸島戦で代表初ゴールを記録。
EURO2008初戦のオランダ戦で0-3の惨敗したのを受けて、第2戦のルーマニア戦以降センターバックとして先発フル出場、3試合を1失点に抑え、負傷したファビオ・カンナヴァーロ(カンナヴァーロは大会前の練習中のキエッリーニとの接触プレーで負傷した)の穴を補う活躍を見せた。特に準々決勝のスペイン戦では、好調だったダビド・ビジャとフェルナンド・トーレスの2トップを完全にシャットアウトしたが、チームはPK戦の末敗退した。
2010 FIFAワールドカップではグループリーグ最終戦のスロバキア戦では自身のマークミスでローベルト・ヴィッテクに2点目を許す失態を犯し、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった。
EURO2012ではグループリーグ全3試合にスタメン出場したが、怪我の影響で準々決勝のイングランド戦を欠場。しかし準決勝のドイツ戦では復帰し、決勝進出に貢献したが、決勝のスペイン戦では前半途中で負傷交代を強いられ、チームは守備の要を失ったこともあり、0-4と敗れ、準優勝に終わった。
2014 FIFAワールドカップのグループリーグ第3戦・ウルグアイ戦においてウルグアイ代表のルイス・スアレスに噛み付かれたと審判に訴えたが、審判がスアレスに退場処分を下さなかったことを批判した。
EURO2016、ラウンド16のスペイン戦では先制点を決め勝利に貢献した。2018年11月17日のUEFAネーションズリーグ、ポルトガル戦で代表100試合出場を達成した。
人物
イタリアの名門大学トリノ大学を2010年に卒業している。
ゴールパフォーマンスとして、ゴリラのドラミングの真似を披露することで知られ、自身をイメージしたゴリラのキャラクターが存在する。
子供の頃はバスケットボール選手になることが夢だったが、身長が低くて諦めた。憧れのバスケット選手にコービー・ブライアントの名前を挙げている。
2010~2017年において最も優れたセンターバックの一人とされている。
2020年5月に出版した自伝で、マリオ・バロテッリ、フェリペ・メロ、アルトゥーロ・ビダルらを名指しで批判するなど、毒舌な一面も見せる。ただし、ビダルに関しては「彼がチャンピオンであることに疑いはない。弱さは人間の一部で、重要なのはチームにどのような結果をもたらすかだ。」と自伝の中でフォローはしている。引用元:wikipedia
2021年1月31日