所属 | SSDパルマ・カルチョ |
---|---|
背番号 | 27 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1987年05月27日(37歳) |
身長 / 体重 | 179cm / 68kg |
国籍 | コートジボワール |
所属 | SSDパルマ・カルチョ |
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背番号 | 27 |
ポジション | FW |
生年月日 | 1987年05月27日(37歳) |
身長 / 体重 | 179cm / 68kg |
国籍 | コートジボワール |
ジェルヴィーニョ(Gervinho)こと、ジェルヴェ・ロンベ・ヤオ・クアッシ(Gervais Lombe Yao Kouassi、1987年5月27日 - )は、コートジボワール・アニャマ出身のサッカー選手。セリエA・パルマ所属。コートジボワール代表。ポジションはフォワード。
経歴
アーセナル時代
アルナ・コネなどと同じアニャマ出身である。育成の名門であるASECミモザの下部組織に5年間所属し、ブラジル人監督からポルトガル語のジェルヴィーニョというニックネームを授かった。その後、Ivorian Deuxieme Division Zone FourのToumodi FCに移籍し、トゥーレ兄弟(コロとヤヤ)の弟のイブラヒム・トゥーレとチームメイトになった。Toumodi FCで2シーズン過ごした後、ASECミモザと提携しており、コートジボワール人選手を多数受け入れているベルギー・ジュピラーリーグのKSKベフェレンに移籍した。
2007年7月2日、フランスのル・マンUCと3年契約を結び、2007-08シーズンは同郷のロマリッチらとともにプレーした。2008年5月にはフランスのASモナコ、パリ・サンジェルマンFC、オリンピック・マルセイユ、イングランドのアーセナルFCがジェルヴィーニョの動向を追っていると報道された。この報道によるとアーセナルは長い間ジェルヴィーニョを評価し続け、ベルギーでプレーしていた2006-07シーズンにもオファーが出されたとされた。ル・マンUCでは2シーズンで59試合に出場し9得点を記録した。また、日本代表の松井大輔とも同僚であった。
2009年7月21日、移籍金600万ユーロでLOSCリール・メトロポールと契約した。2010-11シーズンはリーグ5位タイとなる15得点と10アシストを挙げてリールの2冠に貢献し、ベストイレブンに選ばれた。
2011年7月11日、移籍金推定1060万ポンドでアーセナルに移籍。しかし、2シーズンで45試合に出て9得点と結果は芳しくなかった。
2013年8月、リール時代の恩師、リュディ・ガルシア率いるASローマに移籍が決定。移籍初年度の2013-14シーズンは、リーグ戦33試合9得点を記録した。
2016年1月26日、中国サッカー・スーパーリーグの河北華夏幸福へ移籍することが発表された。
2018年8月17日、パルマ・カルチョ1913にフリーで加入した。9月22日のカリアリ戦では、自陣ペナルティエリア付近でクリアボールを拾うとそこからドリブルで82メートルを駆け抜けてゴールを決めた。2018-19シーズンはリーグ戦30試合で11ゴールを挙げてチームの主力として活躍した。2019年10月11日、契約を2022年まで延長した。
代表
U-23コートジボワール代表ではキャプテンを務め、2007年9月の北京オリンピックアフリカ予選のU-23マリ代表戦(3-1)ではペナルティキックを決めて勝利に貢献した。同年11月、アンゴラ代表とカタール代表との親善試合のために初めてコートジボワールA代表に招集され、アンゴラ代表戦でA代表デビューした。
2008年にはガーナで開催されたアフリカネイションズカップ2008に背番号97で出場し、2試合に途中出場した。同年にはU-23コートジボワール代表として北京オリンピック本大会にも出場し、グループリーグ2戦目のU-23セルビア代表戦(3-2)で1得点2アシストの活躍を見せた。
2009年11月14日、2010 FIFAワールドカップ・アフリカ予選のギニア代表戦でA代表初得点を含む2得点を決めた。2010年1月にはアフリカネイションズカップ2010に出場し、グループリーグのガーナ代表戦で得点した。同年6月には2010 FIFAワールドカップに出場するメンバーに選ばれ、ポルトガルとのグループリーグ初戦に82分間出場した。
2014 FIFAワールドカップでは、コートジボワール代表に招集され、グループステージの日本代表戦で逆転ゴールを挙げるなどの活躍をしたが、グループステージ敗退に終わった。
プレースタイル
左右両サイドのウィングでプレーし、時にはセンターフォワードも務める。スピード溢れるドリブルが持ち味で、同じセリエAでプレーする長友佑都は、「普通に走るのとドリブルのスピードが変わらない」とコメントする。止まった状態から加速できるところが魅力で、どんな状況でも仕掛けることができる。イタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」によると、2014年ブラジルW杯にて最大時速32.3kmを記録。2013年、サンシーロでは最大時速35kmというスピードを叩きだしたという。現在、人類最速の男である陸上競技選手ウサイン・ボルトは100mを平均すると時速35.578 km。レース中の最高スピードは時速44kmにも及ぶ。引用元:wikipedia
2021年1月31日