所属 | レアル・ベティス |
---|---|
背番号 | 18 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1986年09月28日(38歳) |
身長 / 体重 | 169cm / 60kg |
国籍 | メキシコ |
所属 | レアル・ベティス |
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背番号 | 18 |
ポジション | MF |
生年月日 | 1986年09月28日(38歳) |
身長 / 体重 | 169cm / 60kg |
国籍 | メキシコ |
ホセ・アンドレス・グアルダード・エルナンデス(José Andrés Guardado Hernández, 1986年9月28日 - )は、メキシコ・グアダラハラ出身のサッカー選手。レアル・ベティスに所属する。メキシコ代表である。ポジションは主にミッドフィールダー。左ウイング、左サイドバックとしてもプレーする。
経歴
CFアトラス
7歳の時にCFアトラスの下部組織に加わり、2005年8月のCFパチューカ戦(3-2)でプリメーラ・ディビシオンデビューした。CFアトラスでは2シーズンプレーし、2006年夏にはスペインのレアル・マドリード やイタリア・セリエAの数クラブからの関心が伝えられた。
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
2007年7月、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャが移籍金700万ユーロで保有権の75%を獲得するオファーを出し、グアルダードの移籍を素早く取りまとめた。この金額はメキシコ人選手に支払われた移籍金としては史上最高額となった。
2007年7月24日、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャと正式に契約して背番号18を受け取った。8月26日のUDアルメリア戦(0-3)でリーガ・エスパニョーラデビューし、2007-08シーズンは26試合に出場して5得点を挙げた。クラブは9位でシーズンを終え、UEFAインタートトカップ出場権を得た。UEFAインタートトカップ優勝により出場した2008-09シーズンのUEFAカップでは、グループリーグのフェイエノールト戦(3-0)で得点した。
ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督はグアルダードがデポルティーボの鍵となる選手だと発言し、彼の才能と優れた人間性に敬服した。ロティーナ監督はグアルダードをレギュラーに固定し、数々のアシストやチャンスの創出で期待に応えたが、負傷でチームを離脱することも多かった。2010-11シーズンはわずか20試合の出場に終わり、クラブは20年ぶりのセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。 降格に伴い移籍かと思われたが残留。2011-12シーズンの昇格に貢献した。
バレンシアCF
2011-12シーズン終了後、フリーでバレンシアCFに移籍した。契約は4年間。
バイエル・レヴァークーゼン
2014年1月30日、ドイツのバイエル・レヴァークーゼンにレンタル移籍した。契約には完全移籍のオプションも付いている。
PSVアイントホーフェン
2014年8月26日、PSVアイントホーフェンにレンタル移籍した。
2015年3月27日、PSVに完全移籍した。
レアル・ベティス
2017年7月7日、レアル・ベティスに移籍した。移籍金は200万ユーロ、契約期間は3年間。
代表
2005年12月14日、ハンガリー代表との親善試合に途中出場してメキシコ代表デビューした。CFアトラスでデビューを飾ってからわずか4ヶ月後のことだった。CFアトラスでの活躍が絶頂の2006年にはドイツで開催された2006 FIFAワールドカップに出場した。グループリーグでは出場機会がなく、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン代表戦が初出場となったが、負傷して66分にベンチに退き、試合にも1-2で敗れた。契約が満了したリカルド・ラボルペ監督は大会終了後に退任し、ウーゴ・サンチェス監督が就任したが、サンチェス監督も続けてグアルダードを招集した。
監督交代後の初出場はアメリカ戦となり、途中出場時はメキシコが優勢だったが、結局0-2で敗れた。2007年2月28日、ベネズエラ戦で代表初得点を挙げた。同年の2007 CONCACAFゴールドカップには代表の主力として臨み、メキシコの全試合に出場した。決勝のアメリカ戦(1-2)では右サイドからのグランダーのパスに反応して先制点を挙げた。
この試合の後半には空中のボールを競り合ったジョナサン・スペクターと正面から激突して頭部を負傷した。試合の残り時間もプレーしたが、大陸王者を争うライバルに1-2で再び敗れた。CONCACAFゴールドカップ終了直後には南米王者を決めるコパ・アメリカ2007に参加(メキシコは招待国として出場)し、アメリカ戦での負傷の影響でグループリーグ2試合を欠場したが、第3戦のチリで先発復帰して決勝トーナメント進出に貢献。準々決勝のパラグアイ戦でもドリブル突破でチャンスメイクし、6-0という大勝につなげて準決勝進出を果たした。
しかし準決勝のアルゼンチン戦ではドリブル突破がフアン・セバスティアン・ベロンなどに阻まれ、自身の持ち味を出せずに0-3で完敗した。3位決定戦のウルグアイ戦では、途中出場ながらチームの3点目となる豪快なミドルシュートを決め、3位に貢献した。
2010 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選では、2008年6月21日に行われた2次予選のベリーズ戦セカンドレグ(7-0)、同年9月6日に行われた3次予選のジャマイカ戦(3-0)、2009年9月5日に行われた最終予選のコスタリカ戦(3-0)で得点している。
2010年に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会にも出場し、グループリーグ初戦の南アフリカ戦(1-1)では途中出場してラファエル・マルケスの同点ゴールをアシストした。2戦目のフランス戦には出場せず、3戦目のウルグアイ戦では3センターハーフの一角として先発出場したもののハーフタイムにベンチに退いた。
決勝トーナメント1回戦のアルゼンチンでは左サイドハーフとして先発出場したが、ミドルシュートや直接フリーキックはいずれも枠外に飛び、チームは1-3で敗れてベスト16に終わった。2011年6月12日、2011 CONCACAFゴールドカップのコスタリカ戦で2得点した。決勝のアメリカ戦(4-2)でも得点し、北中米カリブ海王者の称号獲得に貢献した。
2015 CONCACAFゴールドカップでは準々決勝のコスタリカ戦での延長後半アディショナルタイムの決勝ゴール、準決勝パナマ戦の後半アディショナルタイムの同点ゴール、決勝点やジャマイカとの決勝での先制点など6得点を挙げてメキシコの2大会ぶりの優勝に貢献し、自身も大会MVPに選出された。引用元:wikipedia
2021年1月31日