菊池 流帆

所属
前所属先 レノファ山口FC
背番号 17
ポジション DF
生年月日 1996年12月09日(28歳)
身長 / 体重 188cm / 80kg
出身地 岩手

菊池 流帆の情報

菊池 流帆(きくち りゅうほ、1996年12月9日 - )は、岩手県釜石市出身のサッカー選手。Jリーグ・ヴィッセル神戸所属。ポジションはディフェンダー。

来歴

7歳からサッカーを始めたが、中学2年の時に東日本大震災に遭遇。自身や学校に直接の被害はなかったものの、小学校時代の地区選抜チームのコーチを亡くし、練習グラウンドに仮設住宅が建ち並ぶ状況にサッカーを断念しかけるが、横浜FCが釜石市で開いたサッカー教室で三浦知良と一緒にプレーしたことや、同じく被災地を訪問したラモス瑠偉・名波浩・福西崇史らの姿に元気づけられ、再びサッカー選手への道を歩み始める。

その年に見た第88回全国高等学校サッカー選手権大会決勝で山梨学院大附属高校と対戦した青森山田高校の存在を知り、特待生を決めるセレクションを受けに行くも不合格。その悔しさをバネに、一般入学で青森山田高校に進む。当時はサイドハーフだったが、周りのレベルの高さを実感し、ヘディングができたことから自らセンターバックへのコンバートを志願。そこから努力を積み重ねてエアバトル(空中戦での競り合い)に磨きをかけ、一番下のDチームから上り詰めて3年次にはついに公式戦に出場できるまでになり、夏の高校総体(インターハイ)では4強進出の立役者となり優秀選手に選出される。最初で最後の出場となった第93回全国高等学校サッカー選手権大会は初戦PK戦敗退で不完全燃焼に終わるも、大会優秀選手に選ばれるとともに、日本高校サッカー選抜のメンバーに選ばれ、翌年2月のFUJI XEROX SUPER CUP2015の前座試合として行われた「NEXT GENERATION MATCH」では後半から出場、直後に行われたヨーロッパ遠征にも参加した。

高校卒業後は大阪体育大学に進学。2年生の時は怪我に泣かされたものの、コンスタントに大学選抜に選出され、3年生のときにはユニバーシアード台北大会の日本代表に選出され、優勝メンバーの一員となった。

2019年よりレノファ山口FCに加入。本人曰く、新卒時のオファーがあったのが山口からだけだったという。釜石出身として初のJリーガーとなった。3月24日、第5節・栃木SC戦でプロ入り初先発、4月14日の第9節・鹿児島ユナイテッドFC戦で挙げたプロ初ゴールが決勝点となり、2019年シーズンのホーム初勝利に貢献し、主力に定着した。

2020年にヴィッセル神戸に加入。入団当初は出場機会が少なかったものの、徐々に出場機会を増やした。11月から再開されたAFCチャンピオンズリーグでは、ベルギー代表のトーマス・フェルマーレンと共に神戸のディフェンスラインを支え、チームのベスト4に貢献した。

人物

エアバトルや1対1の局面で大声で雄叫びを挙げるのが特徴。高校時代はむしろ、周りからコーチングを要求されても声を出せないタイプだったと言うが、大学に入ってから段々と声が大きくなっていったという。

「いつも日記を書くのが好き」といい、大学卒業間際にブログ (note) を開始。最初の投稿には、鈴木翔登、米田隼也、中野誠也といったプロサッカー選手からも反応があったという。

引用元:wikipedia

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