所属 | バイエルン・ミュンヘン |
---|---|
背番号 | 27 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1992年06月24日(32歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 76kg |
国籍 | オーストリア |
所属 | バイエルン・ミュンヘン |
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背番号 | 27 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1992年06月24日(32歳) |
身長 / 体重 | 180cm / 76kg |
国籍 | オーストリア |
ダヴィド・オラトゥクンボ・アラバ(David Olatukunbo Alaba, 1992年6月24日 - )は、オーストリア・ウィーン出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘン所属。オーストリア代表。
経歴
オーストリアのSVアスペルンのユースチームでキャリアをスタートさせ、2002年にFKアウストリア・ウィーンに移籍した。2008年、ドイツのバイエルン・ミュンヘンのユースチームに移籍した。
2010年1月にチームメートのディエゴ・コンテント、メーメット・エキッチと共にトップチームに昇格した。1月13日にプロ契約を結んだ。2月10日、DFBポカールのSpVggグロイター・フュルト戦でベンチ入りし、59分にクリスティアン・レルとの交代でトップチームデビューを飾った。
2011年1月3日、TSG1899ホッフェンハイムにレンタル移籍した。2010-2011シーズン終了後、バイエルンに復帰した。2011年12月、ナセル・バラジテ(オランダ国籍、FKアウストリア・ウィーン)やマーティン・ハルニック(VfBシュトゥットガルト)らを抑えてオーストリア年間最優秀選手に選ばれた。2011-12年はチャンピオンズリーグ決勝の進出に貢献したが、累積警告で決勝には出場出来なかった。
2013-14年シーズンからはジョゼップ・グアルディオラが監督になり、サイドバックだけでなくインサイドハーフとしても起用されるようになった。1試合の中で、守備時はSBのポジションを取りながら、攻撃時には中盤の底にポジションを移動して攻撃の起点となる「偽サイドバック」としての役割は、後に他のチームにもトレンドとして取り入れられ、メディアによって「アラバロール」と名付けられた。
2014-15年シーズンは4バックだけではなく3バックも導入され、3バックの左でも起用されるようになった。2015年1月、3年連続でUEFAのベストイレブンに選出された。
2016年8月、契約を2021年まで延長した。2019-20シーズン、DFBポカール決勝のレバークーゼン戦で先制ゴールを決め優勝に貢献、リーグ優勝、チャンピオンズリーグ優勝と3冠を獲得した。
2021年2月16日、バイエルンとの再契約交渉が不調に終わったことを受け、2020-21シーズン終了後に退団することを表明した。
代表
オーストリア代表として、2009年10月、フランス代表戦で代表デビューを果たした。オーストリア代表での最年少デビューとなった。2012年10月16日のW杯予選、カザフスタン戦で代表初得点を挙げた。
人物
父親はナイジェリア出身のDJで、母親はフィリピン人の看護師。母親の故郷であるフィリピン代表からも声がかかったが、代表デビューは生まれ故郷のオーストリアを選択している。
アーセナルFCのサポーターであることを公言している。引用元:wikipedia
2021年2月1日