ホアキン

所属
背番号 17
ポジション FW
生年月日 1981年07月21日(42歳)
身長 / 体重 179cm / 75kg
国籍 スペイン

ホアキンの情報

ホアキン・サンチェス・ロドリゲス(Joaquín Sánchez Rodríguez, 1981年7月21日 - )は、スペイン・アンダルシア州出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラ、レアル・ベティス所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元スペイン代表。

経歴

レアル・ベティス
カディス県のエル・プエルト・デ・サンタ・マリア出身。レアル・ベティスの下部組織で5年間プレーし、1999-2000シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ベティスBでレギュラーポジションを獲得した。ベティスBがセグンダ・ディビシオンB(3部)に降格したために、2000-01シーズンはトップチームに登録され、2000年8月26日にトップチームデビューした。2000-01シーズンはトップチームでの初年度ながら38試合に出場して3得点を挙げるインパクトを見せ、1シーズンでのプリメーラ・ディビシオン(1部)復帰に貢献した。

2001-02シーズンからの5シーズンで公式戦200試合以上に出場し、50以上のアシストを記録した。2004-05シーズンはすべてのリーグ戦に出場し、リーグ戦では5得点、コパ・デル・レイでは3得点した。2005年6月11日に行われたCAオサスナとのコパ・デル・レイ決勝の舞台は後にプレーすることになるエスタディオ・ビセンテ・カルデロンであり、2-1で勝利した。2005-06シーズンはUEFAチャンピオンズリーグに出場し、グループリーグ6試合すべてに出場したが、リヴァプールFCとチェルシーFCのイングランド勢に次ぐグループ3位で敗退に終わり、UEFAカップに回ることになった。UEFAカップでは決勝トーナメント2回戦でFCステアウア・ブカレストに敗れ、ベスト16に終わった。

バレンシアCF
2006年8月初頭、バレンシアCFが移籍金1500万ユーロを支払ってマリオ・レゲイロを譲渡することで移籍が決定するかと思われたが、レゲイロがバレンシアCF残留を希望したことに加えて金銭面で問題が発生したため、バレンシアCFはレゲイロを譲渡せずにホアキンのために移籍金2500万ユーロ(約37億4000万円)を支払うことで決着した。この移籍金はバレンシアCF史上最高額であった。クラブとは5年契約を結び、1年間の延長オプションが付けられた。2006-07シーズンは35試合に出場し、5ゴールを決めた。

ロナルド・クーマン監督が指揮を執った2007-08シーズンにはフォワードとして起用されることもあったが、慣れないポジションで本来の力を発揮できず、クーマン監督に「30ユーロ(約4800円)分の価値しかない」と批判された。2009-10シーズンはパブロ・エルナンデスが急速に台頭してきたため、リーグ戦ではレギュラーを外れる厳しいシーズンを強いられた。2010年夏、ダビド・ビジャがFCバルセロナに移籍したことに伴って背番号7を譲り受けた。

マラガCF
2011年6月25日、大型補強を行っているマラガCFに移籍した。移籍金は400万ユーロ。2012-13シーズンは主力が流出する中残留し、新たにセカンドトップの位置で活躍するなど、新境地を示した。

ACFフィオレンティーナ
2013年6月12日、ACFフィオレンティーナに移籍することが合意した。

レアル・ベティス
2015年8月31日、レアル・ベティスに復帰した。2018-19シーズン、37歳のホアキンは第3節のセビージャとのダービーマッチで後半75分途中からシーズン初出場、僅か5分後に決勝点となるゴールを決めた。2019年12月8日のビルバオ戦でキャリア初のハットトリックを達成、38歳140日でのハットトリックはディ・ステファノが1964年に記録した37歳での記録を抜き、リーガ最年長ハットトリック記録となり、ヨーロッパ五大リーグでも最年長記録となった。12月26日、クラブとの契約を2021年まで延長した。

スペイン代表
2002年2月13日にバルセロナで行われたポルトガルとの親善試合でスペイン代表デビューした。クラブでの華々しい活躍もあり、2002 FIFAワールドカップに出場するスペイン代表メンバーに選ばれた。グループリーグ1試合と準々決勝の韓国戦に出場したが、その韓国戦では2度の誤審に泣いた。延長戦でフェルナンド・モリエンテスに上げたクロスボールが決勝点をアシストしたかと思われたが、クロスを上げる前にゴールラインを割っていると判定され、審判に抗議したがノーゴールの判定は覆らなかった。決まっていればゴールデンゴールだったモリエンテスのゴールが認められなかったため、勝負はPK戦に持ち込まれ、ホアキンはスペインの4番目のキッカーとして登場したが、李雲在にセーブされて準決勝進出はならなかった。なお、のちにFIFAはホアキンのクロスへの判定が誤審であったことを認めている。

UEFA EURO 2004でも2試合に出場した。2006 FIFAワールドカップでは3試合に出場したが、レギュラーではなかった。FIFAワールドカップ後に「チームはルイス・アラゴネス監督の下で混乱している」と発言したためにしばらく代表を離れたが、2007年6月に約1年ぶりに代表に復帰し、リヒテンシュタイン戦で初めてキャプテンマークを巻いた。

家族

8人兄弟姉妹の3番目の子供として生まれ、大家族で育った。兄のルーカス・サンチェスはカディスCFなどでプレーするプロサッカー選手であり、リカルド・サンチェスはベティスの下部組織でプレーしたサッカー選手だった。2005年7月8日に挙式し、結婚式にはベティスのチームメイトが招待されたほか、勝ち取ったばかりのコパ・デル・レイのトロフィーも披露された。2006年9月22日に初娘が生まれた。

引用元:wikipedia

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2021年1月31日

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