パウリーニョ

所属
背番号 7
ポジション FW
生年月日 2000年07月15日(23歳)
身長 / 体重 177cm / 77kg
国籍 ブラジル

パウリーニョの情報

パウリーニョ(Paulinho)こと、ジョゼ・パウロ・ベセーラ・マシエル・ジュニオール(José Paulo Bezerra Maciel Júnior、1988年7月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身のサッカー選手。中国スーパーリーグ・広州FC所属。ブラジル代表。ポジションはミッドフィールダー。

来歴

2004年からPAECのユースチームに所属し、2006年にリトアニアのFCヴィリニュス(リトアニア語版)でプロデビューを果たしたが、人種差別に苦しみ退団。。 2007年にポーランドのŁKSウッチに移籍した。しかし、ここでは給料不払いに遭い、シーズン終了まで耐え凌ぎプレーしたが、退団。。

その後ブラジルに帰国し、家族の元へ戻ったパウリーニョは、サッカーを辞める決断を下した。

「俺は自分の権利のために戦ってきた。約束を守ってきた。でも相手は守らない。それでサッカーが嫌になり、辞めるって決めたのさ」

2週間、自宅に引きこもる生活を続けたが、当時の夫人の以下の言葉が胸に刺さり、引退を撤回する。

『ずっとあなたのために戦ってきた両親に悪いと思わないの? 5歳のときからあなたのためにしてくれたことを忘れるつもり?』

さらに娘が生まれたばかりという事情から帰国直後から声を掛けてくれていたユース時代の古巣アウダックスに連絡をとり、再びユニホームに袖を通すことを決断した。契約条件は、父親として新たな生活を始めるためのアパートの家賃だった。2008年にブラジルのPAECに復帰。4部リーグながら母国でプロデビューしたパウリーニョは、アウダックスではレギュラーとして2度のタイトル獲得に貢献し、チームを2部まで導いた後2009年にCAブラガンチーノへ移籍。2010年にはSCコリンチャンス・パウリスタに移籍した。

コリンチャンスでは移籍直後からレギュラーに定着。2011年は35試合に出場し8得点を挙げ、カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA優勝に貢献。自身もボーラ・ジ・プラッタやプレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロンにおいてベストイレブンに選出された。2012年夏にはイタリア・セリエAのインテルから巨額のオファーがあったものの、コパ・リベルタドーレスを優先して残留し、コリンチャンスのコパ・リベルタドーレス初優勝に貢献した。2012年8月25日にはコリンチャンスが新たにパウリーニョの所有権を55%取得し、2015年まで契約を延長すると共に違約金を1500万ユーロに設定した。その4か月後に行われた、クラブワールドカップで、当時アフリカ王者のアル・アハリ、欧州王者のチェルシーをそれぞれ倒し、世界一にも貢献した。

インテルやレアル・マドリード、ASローマが獲得に動いていたが、2013年7月6日、トッテナム・ホットスパーFCへ1700万ポンドで完全移籍した。2013-14シーズン、リーグ戦ではフィールドプレーヤーではチーム2位となる30試合出場、チーム3位タイの6得点を挙げた。2014-15シーズンはリーグ戦15試合出場で無得点。先発出場は3試合のみと機会を減らした。

2015年6月29日、中国サッカー・スーパーリーグの広州恒大へ完全移籍した。移籍金1400万ユーロ(約19億円)の4年契約を締結し、2015シーズンは超級リーグで背番号48番、AFCチャンピオンズリーグ2015とFIFAクラブワールドカップ2015で8番を着用した。

2015年8月25日に行われたAFCチャンピオンズリーグ2015準々決勝 第1戦の柏レイソル戦で約35メートルの位置からFKを直接叩き込み、ワールドクラスのスーパーゴールを決めた。

2017年8月14日、FCバルセロナへ移籍することが発表された。4年契約で移籍金は4000万ユーロ、契約破棄金は1億2000万ユーロに設定された。9月16日のヘタフェ戦では途中交代からチームを救う逆転ゴールを決め、初得点を記録した。

2018年7月8日、FCバルセロナはパウリーニョに関して、買い取りオプションと共に、広州恒大にレンタル移籍して、1シーズンプレーすることで合意に達したと発表した。

代表

2011年9月14日のスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス、アルゼンチン戦でブラジル代表デビュー。2012年9月19日に行われたスーペルクラシコでは代表初得点を挙げた。同年10月16日の日本との親善試合ではミドルシュートで先制点を挙げた。

2017年3月23日のワールドカップ予選ウルグアイ戦でハットトリックを達成した。

2018年FIFAワールドカップロシア大会、一次リーグの最終戦セルビア戦で先制点を決めた。

プレースタイル

主に守備的ミッドフィルダーとしてプレーし、フィジカルと決定力を兼ね備えている。決定的なスルーパスの出し手としても、パスを受けてのゴールゲッターとしての能力も高い。多くのポジションをこなす事が出来るオールラウンダーで、トッテナムの元指揮官アンドレ・ビラス・ボアスはパウリーニョに、同じプレミアリーグのチェルシーで活躍したフランク・ランパードを感じると評価しており、本人もランパードを目標にしていると語っている。

引用元:wikipedia

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