所属 | ACミラン |
---|---|
背番号 | 24 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1989年03月26日(35歳) |
身長 / 体重 | 190cm / 86kg |
国籍 | デンマーク |
所属 | ACミラン |
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背番号 | 24 |
ポジション | DF |
生年月日 | 1989年03月26日(35歳) |
身長 / 体重 | 190cm / 86kg |
国籍 | デンマーク |
シモン・トルップ・ケアー(Simon Thorup Kjær 発音 、1989年3月26日 - )は、デンマーク・ホーセンス出身のサッカー選手。セリエA・ACミラン所属。ポジションはDF。デンマーク代表。
191cmという長身で空中戦に強く、守備だけでなくセットプレーなどの攻撃においても頼りになる存在である。
日本語ではケアーのほかにもキアル、スウェーデン語の誤用からきたシェアーなどと表記される。
クラブ経歴
デンマークのFCミッティランにてキャリアをスタートさせた。
チェルシーFC、レアル・マドリードなど欧州のトップクラブからオファーが届くが、移籍金の額が低すぎるとしてミッティラン側がオファーを拒否した。イタリアで開催されたユース大会のトルネオ・ディ・ビアで活躍したため、大会直後の2008年2月16日にセリエAのUSチッタ・ディ・パレルモへの移籍が内定した。
当初、イタリア語の習得など環境への適応に時間がかかり、経験豊富なチェーザレ・ボヴォ、モリス・カロッツィエーリらの控え扱いであったが、10月28日のACFフィオレンティーナ戦にてデビューを飾ると、激しいマークで相手の攻撃を抑え、ポジショニング・スピード共に優れた選手である事を証明。以降、定位置を確保した。
2010年7月8日、ドイツのVfLヴォルフスブルクへ推定移籍金1200万ユーロ(約13億7000万円)の4年契約で移籍した。これにより、W杯でも対戦した日本代表の主将・長谷部誠とチームメートになった。ヴォルフスブルクではセンターバックのレギュラーを確保したものの、チームはシーズンを通して下位に低迷し最終節のTSG1899ホッフェンハイム戦で辛うじて残留を決めたが15位に留まった。
2011年8月31日、ASローマにレンタル移籍し、2年ぶりのイタリア復帰。レンタル料は300万ユーロであり、シーズン終了後に700万ユーロで完全移籍できるオプションが付けられた。
2013年7月、LOSCリール・メトロポールへ完全移籍。移籍後からすぐにフランスのプレースタイルに馴染み、チームの10試合連続無失点達成に貢献した。
2015年6月17日、トルコのフェネルバフチェSKへ移籍を決めた。
2017年8月2日、セビージャFCに1250万ユーロ(約16億円)移籍が決定。
2019年9月1日、アタランタBCにレンタル移籍。
2020年1月13日、2019-20シーズン終了までのレンタルでACミランに移籍した。
2020年7月15日、ACミランは買い取りオプションを行使、契約期間は2022年6月30日までの2年契約で完全移籍したことが発表された。。
代表経歴
2006年よりU-19デンマーク代表、2008年よりU-21代表に選出。
2009年2月にデンマークA代表へ初招集され、2009年6月に行われた2010W杯・欧州予選のスウェーデン戦で代表デビューを果たしこの試合でズラタン・イブラヒモビッチを抑えた。2010 FIFAワールドカップ本大会にも選出されたレギュラーとしてプレーしたものの、グループリーグの最終戦で日本に敗れ、決勝トーナメント進出はならなかった。続くUEFA EURO 2012のメンバーにも選出された。
2013年3月22日の2014W杯・欧州予選・チェコ戦で代表初得点を挙げた。
2016年に日本で行われたキリンカップに出場し、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で得点を決める。またボスニア・ヘルツェゴビナ戦、ブルガリア戦でキャプテンマークを付け、現役引退をしたアッガーに次ぐ、代表キャプテンに選ばれる。
エピソード
サッカーを始めたきっかけが父親にあり、家族全員がリヴァプールFCファンである。
所属していたトルコのフェネルバフチェSKでの彼のあだ名は¨ヴァイキング¨だった。引用元:wikipedia
2021年1月31日