所属 | レアル・ベティス |
---|---|
背番号 | 25 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1983年04月13日(41歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 84kg |
国籍 | チリ |
所属 | レアル・ベティス |
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背番号 | 25 |
ポジション | GK |
生年月日 | 1983年04月13日(41歳) |
身長 / 体重 | 185cm / 84kg |
国籍 | チリ |
クラウディオ・アンドレス・ブラーボ・ムニョス(Claudio Andrés Bravo Muñoz、1983年4月13日 - )は、チリ・ブイン出身のサッカー選手。レアル・ベティス 所属。チリ代表。ポジションはゴールキーパー。「クラウディオ・ブラボ」と表記されることもある。
経歴
2002年にCSDコロコロからデビューし、2006年までに140試合以上に出場した。
2006年7月12日、スペインのレアル・ソシエダに移籍金120万ユーロの5年契約で移籍し、10月22日のRCDマジョルカ戦でデビューした。29試合に出場しMVP級の活躍を見せたが、2006-07シーズン終了後にチームはセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。2007-08シーズンは生え抜きのアシエル・リエスゴにポジションを奪われ、1試合も出場できなかった。2008-09シーズンはリエスゴがレクレアティーボ・ウエルバにレンタル移籍したため、ポジションを取り戻した。この年、リーグ最少失点だったこともあり、2部の最優秀GKに選ばれた。2009-10シーズンはシーズンを通じて上位をキープし、2010年2月14日のジムナスティック・タラゴナ戦では直接フリーキックを決め、プロキャリア初の得点を挙げた。しかし、3月27日のコルドバCF戦で膝を負傷し、その後のシーズンを棒に振ってしまった。その後、南アフリカW杯のチリ代表メンバー23人に選ばれたため(後述)チームを離脱。6月13日のセルタ・デ・ビーゴ戦でチームは最終節1試合を残してプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。
2014年6月25日、FCバルセロナへ移籍することが発表された。10月4日のラーヨ・バジェカーノ戦にてペドロ・マリア・アルトラの持つ開幕からの560分継続無失点記録を更新し、最終的に755分の開幕継続無失点記録を樹立した。最終的に37試合出場で19失点におさえ、リーガ・エスパニョーラ優勝に貢献した。
しかし、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲンとのGKローテーション制に不満を持ち、2016年8月、FCバルセロナの元監督であるジョセップ・グアルディオラの誘いもありマンチェスター・シティFCに移籍が決定。開幕当初はスタメンとしてプレーしていたが、枠内シュートでの被弾率がリーグワーストを記録するなど低調なパフォーマンスが目立ち、シーズン後半は控えに降格。更に2017年夏にエデルソンが加入して以降は、第2GKに降格。2020年8月19日に契約満了で退団した。
2020年8月30日、レアル・ベティスと2年契約を結んだ。
代表
U-17、U-20、U-23世代のチリ代表に選ばれた経験がある。2004年7月11日、コパ・アメリカのパラグアイ戦でチリA代表デビューした。2006 FIFAワールドカップ南米予選後はいったん代表を離れたが、ベネズエラで開かれたコパ・アメリカ2007で復帰し、4試合に先発出場した。マルセロ・サラスの引退後、代表のキャプテンを任された。
2010年6月1日、2010 FIFAワールドカップに臨むチリ代表23人に選ばれた。正GKとして出場したこの大会では、スペイン戦で失点につながるミスなどもあったが、グループリーグ3試合をスペイン戦の2失点のみに抑えた。決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れたが、3大会ぶりのベスト16進出に貢献した。
2016年3月24日、2018 FIFAワールドカップ・南米予選のアルゼンチン戦に出場し、チリ人としては初となる代表100試合出場を達成した。しかしチームはワールドカップ本戦出場を逃し、更にはブラーボの妻と母が同僚のアルトゥーロ・ビダルを批判したことで、彼と犬猿の仲になったと報じられている。そこからしばらく代表からは遠ざかっていたが、2019年8月29日に2年ぶりに復帰した。引用元:wikipedia
2021年1月31日